九月に地球に降り、そして戻って来てから暫く何ごとにも興味を抱けない時期があった。何ごとにも興味が抱けないというのだから、当然女にも興味など湧かない。取り繕ってみてはいたのだがナナイにはバレているようで、やんわりと批難の言葉を向けられる事もあった。セックスをしたくない女をその気にさせる方法なら幾つか知っているが、セックスをしたい女をなだめる方法など、考えるのも億劫だ。
……自分は病んでいるのだろうか。病んでいるのかな、そうかもな。
飲んでいる薬の量は変わらない。種類も相変わらず変わらない。アムロには『常用している抗鬱の薬だ』と説明したが、それは半分真実で、半分嘘だ。人は私を鬱だと言うのだが、私にはその自覚が無いからだ。
「ナナイ」
「はい、大佐」
薬などただの気休めだ。飲まなくたってまあ生きてはゆけるだろうし、明日は必ず来るだろうし、私は『シャア・アズナブル』のままだ。
「……それで、『計画』は」
「上々です。……今回の作戦に名前は付けないのですか?」
0091、十二月半ば。
自分を取り戻すきっかけとなったのは、アナハイム・エレクトロニクスに潜入している部下から十二月三日に届いた一つの報告だった。
---ロンド・ベル隊が新規機体開発の為の予算を申請し、先日連邦軍の予算会議を通過した。今日、アナハイム本社で一回目のミーティングが開かれる---
間違い無くアムロ・レイ専用機の予算申請だ。そして彼の専用機がガンダムタイプ以外のはずがない。頭の中が真っ白になった。その連絡以降、私は作り掛けの組織を総動員して連邦軍が管理するガンダリウムの行方を追わせた。
呆気無いほど簡単にガンダリウムの行方は知れた。十二月の末には連邦からアナハイムに、200tが移譲されることになっているようだ。
……欲しい。
そんな単語が頭の中にぽかりと浮かんだ。……ガンダリウムが欲しいのかアムロ・レイが欲しいのか、もはや自分でも良く分からない。しかし驚くほどやる気になった事だけは確かで、あっという間に一つの作戦が出来上がった。私はそれをナナイに手渡した。
「名前だと。……そんなものが今回の計画に必要か?」
「いえ、別に。あっても無くても」
それから一週間。ナナイはむきになって仕事に打ち込んでいるようだ。……それでいい。
「『希望回復作戦』……という作戦が、昔あったな」
ネオ・ジオンという組織は、名前こそ数年前から使われているがあまりに若い。そして途上だ。だからナナイも私の気を引く事よりも、組織を作り上げる事でも最優先にすればいいのだ、などとその日私は思っていた。1930年代風のビルの地下にあるこのアジトはそれなりに使い勝手が良かったが、今月中に引っ越す事になっている。やることは山ほどあった。……山ほど。
「『希望回復作戦』……」
二人きりで居る時の常でデスクの正面に軽く寄りかかっていたナナイは、作戦の草案を手に持ったまま軽く首を傾げる。……あぁ、ナナイは軍人では無くて、元々は学者なのだからこんな作戦は知らないかな?
「『希望回復作戦』……合衆国陸軍に属する第160特種作戦空挺連隊が旧世紀、1991年に湾岸戦争で行った作戦、ですね」
ところが、ナナイがすらすらと「正解」を答えたので私は驚く。すると彼女は、面白そうにデスクの上にその豊満な身体を乗り出して来た。
「……驚いた?」
「驚いたな」
「ちなみに第160特種作戦空挺連隊の通称は『ナイトストーカーズ』。湾岸戦争そのものの中心作戦は『砂漠の剣作戦』で、これは多国籍軍が地上で行った作戦の名称よ」
「……何故作戦に名前を、なんて言い出した?」
「別に」
手を伸ばすとするりと彼女は避ける。珍しい……というよりあからさまで分かり易い。
「分かったよ、君は有能だ。ご褒美が欲しいのか?」
笑顔と共に私はそう言った。
「さあどうかしら」
……と、そこへ部屋の扉をノックする音が響く。構わずナナイの身体に手を伸ばすと、今度はそのしなやかな腕を捕まえる事が出来た。凄まじく久しぶりに「そんな気分」になった。だから構わず事を続けようと思ったのだが、
「……」
「……」
ノックが止まない。……執務室の扉をこれだけ不作法に、そして連続して叩ける人間もそうそう居ない。私はナナイを見た。ナナイが軽く舌打ちした瞬間に、扉の向こうからくぐもった叫び声が聞こえて来た。「ナナイー、ナナイー!
何時まで俺ここに立ってればいいの、ナナイー、俺飽きた!」……と。
「……子どもが呼んでいるようだが」
「出来の悪い子供がね」
ナナイは軽く服を整え扉に向かう。すると、扉の向こうからいつか拾った子どもが転がり込んで来た、
「ああ……アンタ話し終わった? 俺、もう待ってるの飽きたんだけど……」
と言いながら。
「ナナイ」
先日拾った子ども……名前はギュネイと言う……を見ながら、私はそれだけを言った。
「分かってます」
ナナイが答える。……私はまともな口が利けるようになってから、この子どもを自分の前に連れてくるように言った。しかし、この有り様はなんだ。
「ギュネイ。……何があろうとも私から命令があるまでは動くな」
「それは分かったけど……」
「『分かりました、作戦士官殿』」
「……『分かりました』」
自分の家に連れ帰るほど面倒を見ている割には、ギュネイとやらの教育はさほど進んではいないらしい。強化人間にするんじゃなかったのか?
「……ナナイ」
私はもう一度言った。ナナイも頷く。
「分かったのなら外で待機していなさい、ギュネイ」
「でも、今度の『輸送艦落とし』の話をしてるんだろ? だったら俺も……」
「ギュネイ!」
「俺も一緒に話が出来るってば!」
……先ほどまで感じていた一種の熱は既に冷めた。代わりに、今はこの子どもを面白いと思う気持ちで一杯だ。
「……ほう、話が分かるというんだな。じゃあ言ってみろ、お前……なんと言ったかな」
本当は名前を知っている。しかし私はわざとそう言った。
「ギュネイ。……ギュネイ・ガス」
背ばかりひょろりと伸びた栄養の足りない子どもが私を睨む。上目がちの、力強い大きな瞳だ。凄いな、この成長の無さはある意味。……そしてどうせ今は、母親代わりのナナイを私に取られたから私が憎くて仕方ない、とか、考えている事はその程度なのだろう。
「可愛げが無いな」
そうギュネイに向かって言ってみた。するとギュネイは暫く考え込んでから(おそらく彼の事だ、敬語が上手く話せず言葉を選んでいたのだろう、)少し首を傾げてこう言った。
「……アンタは可愛いな」
「ギュネイっ……!」
焦ったようなナナイの声がした。……私は呆然としてしまって、暫く言葉が出てこなかった。
「あなたね、何を言って……!」
「ナナイ」
私は三度、ナナイに向かってそう言った。そして彼女がギュネイに向かって掌を振り上げるより早く、その腕を引き止める。
「私が可愛いといったな。……ギュネイ、何故そう思う」
「大佐……!」
「……だってアンタ、」
ギュネイ・ガスは鋭い瞳で、私を見竦めたままはっきりとこう言った。
「アムロ・レイってのに自分の事を思い出して欲しいから輸送艦とか地球に落とすんだろ。そんな嫌がらせ、普通は好きな相手にしかしない。……それってひどく子どもっぽくて……可愛いじゃないか」
「………ナナイ」
私は四度そう言った。……ナナイは非常に苦々し気な顔をして俯いた。
「……はい」
「計画は予定通りに進行するように。……それから、今回の作戦に『名前』が付けたいのなら別に君の好きに付ければいい」
「………はい」
ああそうだよ、なんて。なんて本当のことを、なんてハッキリと言ってくれるのだろう。……分かっているんだよそんな事は。
君のような子どもに言われるまでもなく。分かっているんだよ、自分でも。
ナナイに首根っこを掴まれて執務室から引きずり出されるまで、ギュネイは私を睨み続けていた。
……あぁ。
一度引いたはずの熱が、奇妙な感慨と共にまた戻って来る。
「……」
思わず椅子を引き、屈み込んでしまった……分かっているんだよそんな事は。
子どもに言われるまでもなく、分かっているんだよ。
今私がいるのはここだし、今私がやらなければならない事はネオジオンを纏め上げる事だし、多くの人々が自分の周りで生きていて、多くの人々が自分に対して期待をしている、分かっているんだよそんな事は。
でも本当はそんなこと全てどうでも良くて、結局はアムロのことばかり考え続けていて、
「……『鬱』の本当の意味が分かったぞ」
私は身体を丸めたまま低く呟いた、ああ確かに私はおかしい。……おかしいんだ。
この熱はナナイに向けられたものじゃない。はっきりとそれに気付いてしまった。気が持ち直したのはアムロを困らせる事が出来ると分かったからだ。ああそうだ、自分はアムロ以外の他の人間なんて本当にどうでも良かったんだ。……どうでもいいから、
「……ひどいな。冷たい人間だったんだな、私は」
最後にそう呟いて、私はそのまま暫く蹲っていた。……ひどいな。
だから自分で、自分すら救えない。……自業自得だな、と思った。
2008.01.28.
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