高い窓から光の差し込む長い廊下を、不思議な一団が歩いて来る。
「……お早うございます。昨日の支部会議の議録になります」
「デスクに回しておけ」
「サイド4に潜伏中の工作員から報告が届いています」
「ナナイを通せ」
「アナハイムからプロジェクトの企画書が届いています。いかがなさいますか」
「……」
そこで、ついにシャアは立ち止まった。廊下の真ん中を歩いているのはシャアで、彼は寝室を出たばかりだった。証拠に、スラックスの上に簡単にシャツを羽織っただけの格好だ。しかし部屋から出たとたんに待ち構えていた何人もの男達に囲まれ、それを引き連れて廊下を歩く羽目に陥っていた。
「……ナナイ」
シャアはしばらく立ち止まっていたが、やがて辛抱しきれなくなったようにこう言った。
「ナナイ! なんとかしたまえ」
「ここに居ます」
タイミングよく幾つか先のドアから、身支度を綺麗に整えたナナイが顔を出し、集団に加わる。シャアが歩いている間も、立ち止まっている間も下男らしき男が脇にいてシャアにジャケットを着せたり、ボタンを留めたりし続けていた。
「ひどい有様だぞ、ナナイ」
「皆、順になさい」
ナナイは冷たいものでそれだけを言うと、シャアの脇に立ち、一緒に歩き出す。一斉に、二人を取り囲む人々もまた動き出した。
「午後の視察に同行するメンバーの名簿です」
「分かった」
「料理長から今晩の会食のメニューをどうするか伺うように言われています」
「フレンチにでもしておけ」
「一昨日の新聞に不謹慎な記事が載った件に関してですが、どう対処いたしますか……」
シャアはそれでも歩き続けた。一言二言、言葉を返された者から順に人混みから辞してゆく。……最後に、洋服を着付けていた下男が側を離れ、シャアとナナイは廊下の突き当たりに二人きりになった。そこまで来て、ナナイが最終的にネクタイを整える。
「……ナナイ。早急にやるべき事がある」
「何でしょう」
廊下の突き当たりで二人は、エレベーターが最上階に上って来るのを待っていた。
「『組織』を作る事だ。……私は別に専制君主に成ろうとしているのではない。何もかも私に伺いを立てなければ事が進まないとなったら『ネオ・ジオン』は実に稚拙な集団だ」
「仰られることは分かります」
ナナイはシャアのネクタイの結び目がまだ気に食わなかったらしく、その首筋にもう一回手を伸ばした。
「出来うる限り、迅速に、」
「……」
ナナイの手が首筋を撫でる。
「『組織化』しろ。……この集団を」
「分かったわ」
二人はエレベーターに乗り込むと、二人きりで居られる短い時間にキスをして過ごす事を思いついた。……エレベーターはシャアが住居として借り切っているスイート・ウォーターのとあるペントハウスの、一階ロビーへとゆっくりと降りて行く。
「……そういえば、ギュネイの事ですが」
ロビーから出て車に乗り込み、一息ついたところでナナイがそう言った。
「ギュネイ? ……なんだったか、それは」
「一昨々日に拾った『戦災孤児』の事ですけれども」
「……あぁ」
そう言われてようやっとシャアも思い出した。……そういえば、妙に目つきの鋭い子どもを拾ったような気がする、数日前に。
「研究所に連れて行ったのか?」
「いいえ、六番街に居ます」
「……お前の家に?」
シャアは少し驚いた。……ナナイは『強化人間』に向いている、と言ってシャアにギュネイを勧めた。ナナイの好みはともかく、なるほどな、と納得してシャアもそれに同意した。
「どうして?」
「その方が面白いと思ったから」
「……」
女の考えることはこういうとき分からないな、とシャアは思う。
「……で」
「見て行きます? ……身綺麗になったわよ」
「今日の予定は?」
「午前中は一番最初に、アナハイム社重役との面談ね。……で、会っていく?」
しつこく言われてシャアは、余程自信があるのだなと思った。
「……まあ、そうまで言うのなら」
「では少し寄り道を」
ナナイが運転手と自分たちを仕切る硝子を叩いた。
ナナイの家は実に殺風景である。
元々が学会の主流とは程遠い『ニュータイプ』の研究を在野で続けて来た学者である上に、アンダーグラウンドの政治活動等に参加して来た経歴も持っているので、その性格は『優雅』に程遠い。
広い「自宅」を取りあえず持ってはいるが、日々他の事にかまけている風が在る。「自宅」にはほとんど家具らしい家具も、装飾らしい装飾もなく、空っぽの箱のようにそこに在った。実際、月の半分以上はシャアのペントハウスの隣室で寝起きをしている。
このあたりはレコア・ロンドに似ている。
そうして、そのような性格の女性と関係を持つ事が、自分に取っては適度に気安かった。
「……ギュネイ。どこかしら」
ガランとした玄関でナナイが奥に向かってそう声を掛ける。
「……」
シャアはナナイと並んで玄関に立っていた。……奥の方から、ギィ、という扉の開くような音がした。
「ほら、この通りよ。全くどうにもならないわ」
そう言いながらもナナイはどこか嬉しそうだ。二人は、奥に向かって歩き出した。……廊下の先に半分だけ開いた扉が見える。
「ギュネイ」
そう言ってナナイが扉を全て押し開くと、黒い髪の人物が急いで物陰に隠れるのが見えた。
「ギュネイ。シャア大佐よ、忘れたの?」
「……忘れてないけど、」
変な声がした。……ソファの向こうからひょこりとギュネイが顔を出し、鋭い瞳で自分を睨みつけている。
「どこが『身綺麗に』なったんだ?」
シャアは少し呆れてナナイにそう聞いた。
「立ちなさい、ギュネイ」
ナナイはそう言ってギュネイに命令した。……ギュネイが渋々と立ち上がった。
「……」
おや、前言を撤回する、確かにずいぶんと小綺麗な容姿になったものだ。シーツを被った浮浪児の面影はともかく無くなっていた。
「私を憶えているか?」
シャアは興味が湧いて来て、片腕を伸ばしてみた。
「飯をくれた人だろ。……ごちそうさま!」
「……それが人に礼を言う態度だろうか」
シャアがそう言うと、ギュネイは心底困った顔をした。……ナナイの方をちらりと見る。
「食事だけか?」
「食事と、あとは寝る場所と、それから服……」
あの貧しい貧民街で出会った時とは、比べ物にならない綺麗な服をギュネイは着てそこに立っていた。その様子を、シャアは好ましく眺める。
「……よし。年齢は?」
「それが、数えじゃ十六だって本人は言うんです。……見えないわよね」
ナナイも笑っている。ギュネイは、困ったような怒ったような赤い顔のまま、シャアを睨み付けてソファの向こうに立っていた。……しばらくその様子を眺めてからこう言う。
「お礼の言葉が成ってない」
「……っ、」
ギュネイは本当に怒った顔になった。
「もっと食事をちゃんとして、年相応になるべきだ、何だやせっぽちの身体をして」
「……飯をありがとう……」
「『ご飯を頂きありがとうございました』」
シャアはわざとゆっくりとそう言った。
「……あと、服も」
「『お洋服をいただき嬉しく思っています』」
「……寝る場所も……」
「『おかげさまで寝食に不自由無くなりました』……ナナイ」
シャアはもう心から面白くなってきてそう言った。
「なんです、大佐」
「こいつを叩き直せ。……人間の言葉を話せる様になったら、もう一回私の前に連れて来い。最低限のマナーを教え込むんだ、上官に対する、な。……強化人間なぞ夢また夢だぞ、この程度では」
ギュネイは強い瞳でシャアを睨み続けていた。……一年戦争の時の孤児だとしたら、四、五歳で親と死に別れたことになる。……ああ睨みたいんなら幾らでも睨むといい。
「分かりました」
ナナイはあっさりそう答えると、戸口に向かった。
「なあ、ちょっと待てよ、なあ……!」
するとその背中に向けて、ギュネイが悲鳴のような声を上げる。
「何」
ナナイがひどく落ち着いた顔でギュネイを振り返る。……ああだからこういうところが、レコア・ロンドに良く似ている。
「俺、この部屋、大きくて嫌だ……! 大き過ぎて嫌だ、落ち着かない……!」
ギュネイは本当に泣きそうな顔をしてそう言った。……私はつい愉快な気分になってしまって言葉を挟んだ。……たかがナナイの自宅の、少し殺風景な居間、である。それを何だ。
「慣れろ。……それから、文句が在るならナナイではなく、私に言えば良い」
「……」
姿形だけ戦災孤児から脱し、身綺麗になった彼は、それ以上何も言わずに黙り込んだ。
彼曰く「広すぎる部屋」の真ん中で。
……さて面白くなって来た。
2006.12.26.
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