「バレンタイン……」
「バレンタイン」
「……バレンタイン?」
その日、砲列甲板には珍しいお客が訪れていた……整備班班長のアストナージ・メドッソである。
「で、そのバレンうんちゃらが……どうしたって?」
「お前、それがよぉ」
一口に軍隊と言っても、そこには実に様々な人々が属している。同じ階級、立場であっても海軍と陸軍と空軍では呼び方が違ったりするし、その全ての特徴を合わせ持った『宇宙軍』となったら殊更である。
「俺が調べたところによると『バレンタイン』ってのは旧世紀の祭なんだが、」
「はあ、ついに親父までそんなこと言い出したのかよ! ……このところシャアのおかげで妙に旧世紀づいてて、しかもどれもロクな話じゃ無いから俺としてはこりごりなんだが……」
「いいから聞けよ、班長!」
アストナージが珍しいお客だった理由はつまりこういう事だ。アストナージ・メドッソは工兵で、アリスタイド・ヒューズは砲兵である。そしてそれぞれが整備班と砲列甲板をまとめる責任者でもある。更に言えば、アストナージの専門はモビルスーツだし、砲列甲板には砲列甲板で実は専門の工兵がいる。……つまり、本来来る必要が全く無い場所に、アストナージが転がり込んでいるのだった、しかもわざとらしく工具箱を持って。……それだけで十分怪しい。
「……まあ、聞くだけは聞くけどさ」
「よしきた。そうこなきゃな。でよ、この祭ってのが実に面白い。恋人同士の祭だそうなんだがどう言う訳か、女が男にチョコレートを贈る事になってるんだそうだ。日頃の感謝と愛情を込めて」
「はぁあああ? ……聞いた事ねぇけどなあ、そんなの。本当かぁ?」
何故かデッキの隅で身体を丸めてコソコソと話をしている大の男二人を、砲列甲板の若手達が面白そうに眺めている。
「本当だよ、馬鹿!」
「……で、それで何だってんだ、結局?」
「馬鹿! 班長! ……分からねぇのか、だからお前は稼ぎ損ねるんだよ!」
「親父だって滅多に儲けて無いじゃ無いか!」
「馬鹿! それはなあ、いつか来る『勝ち』の為の貯金なんだよ、貯金!」
「……じゃ、アリスの親父は貯金し過ぎッスね」
若手の一人がニヤニヤしながらそう言って脇を通り過ぎ、アリスは忌々し気に唾を吐く。……砲列甲板はいつも通りに、今日も柄が悪くて活気に満ちた素晴らしい職場だった。
「……で、話は戻るがよ」
「ああ、さっさと戻してくれよ。今の話の一体何処が儲け話に繋がるんだか俺には見当がつかねぇ」
「馬鹿! だからお前は稼ぎ損ねるんだよ!」
「二度も言うなよ!」
「……あのな、チョコレートの数を賭けの対象にするんだよ。分かるか?」
「あぁなるほど……って、無理じゃ無いか? 誰も知らないぞ、バレンなんとか、なんて」
「だから班長に助けを求めてんだろうがよ!」
「はぁ〜?」
つまるところ、この密会は違法な賭けで大儲けをしたいアリスが、アストナージを巻き込んでいる、という場面らしい。
「口の軽いヤツだ。整備兵でもパイロットでも誰でも構わない。この艦で一番口の軽いヤツに頼んで、『バレンタイン』を流行らせるんだよ!」
「……」
今回の賭けも敗北に終わって、アリスの取り戻せない『貯金』が増えることになりそうだ……とアストナージはうっすら思った。わざわざ旧世紀の祭を流行らせて、チョコの数を競わせようなんて無茶な話だ。
「居ねぇのかよ! とんでもなく口の軽いヤツ!」
しかし、他でも無いアリスの親父の頼みである……この艦にアリスを嫌いな奴なんてきっと一人もいない。アストナージはしばらく考え続けて、それから言った。
「口のとびきり軽いヤツって言ったら……」
まあ、そんな祭が流行ったら、自分もケーラに……チョコの一個くらい貰えるかもしれないしな。
「そりゃあやっぱり……サットン・ウェイン少尉だろ?」
アストナージの予想に反して、『バレンタイン』はラー・カイラム艦内で大流行りを見せていた。
『大尉! 大尉、大尉はバレンタインに誰かにチョコをあげるんですか!』
『……』
サットン・ウェイン恐るべし、である。彼は実に元気に……そして陽気に艦内中にバレンタインについてふれ回り、おかげで誰もが「こうなったら自分も誰かにチョコを贈らないと!」という気持ちになっていた。
『サットン、今は練成訓練中……』
『一つじゃ無くてもいいんですよ! 皆にあげたっていいんです! 大尉は、俺にくれますか!?』
『サットン!』
アムロは軽く溜め息をついた。何の事は無い、艦隊には娯楽が少なかったのである。それで皆が飛びついてしまったのだ。
『サットン、申し訳ないが俺は男だ』
『男の人からあげたっていいんですよ、多分!』
『多分って何だ』
「つまりそれは……ラー・カイラムルールです!』
『……』
アリスは今頃、砲列甲板でちびた鉛筆を嘗めながら書き換えられるオッズ表にほくほくしている頃だろうか。娯楽を求める皆の気持ちも分かっているので、ブライトもこの手の賭けは強く禁じない。……しかしなぁ。
『……今日の訓練はここまで。皆、しっかりと休むように』
『大尉〜! 俺の質問に答えて下さいよ!』
『尚、ウェイン少尉は訓練中に私語を発したので戻ってから腕立て伏せ百回』
『……そんな! 大尉ー!!』
そもそも艦隊というのは男女の比率が普通とは違うのだ。そんなところでバレンタインという祭をやろうとしたら、絶対にどこかおかしくなる。
格納庫に帰還したとたんに、休息中だったケーラに「十四日、楽しみにしていてくださいね!」と笑顔で話しかけられ、その後ろから泣き顔のアストナージまで流れて来て、アムロは本当に頭が痛くなって来た。
「ケーラ、どういうことだ!? 俺にはくれないのか!?」
……喧嘩中なのか、この二人? いや、ともかくこのままでは全ての任務に不都合が出そうな気がする。
「……しょうがない。ブライトのところに行くか」
アムロはそう小さく呟いて、モビルスーツデッキを離れた。……平和なのは良い事だ、戦争よりはよっぽどそっちの方がいいと思ってる。……それにしたって、だ。
「普通のチョコレートと、チョコレートドリンクだったらどっちの方がいい?」
「……」
艦長室のドアを開いた瞬間にそう言われて、アムロは逃げ出そうと思った。……が、気力で耐えた。
「……その事なんだが、ブライト」
「もてるっていうのも大変だな。……さっき内線でアリスに確認したが一番人気はやっぱりアムロ・レイ大尉だそうだ。今回は獲得個数も賭けの対象になっていて、ピタリ賞が出るとなんと食券一ヶ月分」
「……」
アムロはついにソファに座り込んだ。
「……止めろよ」
「娯楽だ」
「……俺はどうしたらいい。白状すると、実は甘いものもかなり苦手だ」
「まあ、誰にもあげないのが一番良いんじゃ無いのか? ……誰にあげても、アムロの場合大騒ぎになってしまいそうだからな」
「……」
「災難だったな」
「こうなったら、ブライトに『だけ』あげようかなチョコレート……」
愉快そうなブライトの顔が癪に触って、ついそんな言葉が咽をついて出た。と、そのとたんに彼の顔色が変わる。
「……話し合おうアムロ。私はまだ死にたく無い。そんなことになったら、艦隊中の皆から恨まれる」
「分かればいいんだよ、分かれば。……で、俺はどうしたらいいと思う?」
「……そうだなあ……」
---二月二十四日。
結局、アムロの元には二百個を超えるチョコレートが届けられ、苦笑いと共にそれを受け取る羽目になったのだが、もちろん彼はそれだけでは終わらせなかった。
「……やあ、アリス」
満面の笑顔と共にデッキに降りて来たエースパイロットの姿に、砲列甲板はどよめいた。
「……へ?」
「儲かったか? ……これ、大したもんじゃ無いけど、俺からの気持ち。受け取ってくれよ、いつも援護射撃本当にありがとう」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「……親父ぃいい!?」
アムロはブライトと話し合った結果、事の発端であるアリスタイド・ヒュ−ズ中尉、ただ一人に『だけ』、愛を込めたチョコレートを贈るという作戦に出たのである。
「……親父!! どうするんですか!」
「賭けどころじゃ無いですよ、刺されるっスよ! アムロ・レイからチョコレートを受け取った、なんてことになったら恨みを買いますよ!
全艦隊中から!!」
「親父ぃいい! 短い人生だった……!」
「勝手に殺すな、てめぇら! ……あああああ、でもやべぇな確かにこれは想定外だった……!」
その後、アリスタイド・ヒューズが夜道で襲われたのかは定かでは無いが、先んじるようにブライトによって『ホワイトデー禁止令』が出されたことだけは確かである。
……ロンド・ベル隊は。
ロンド・ベル隊は、今日も愉快な仲間達を乗せて航海を続けている。
2008.02.17.
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