「……これが来週から訪れるサイド3の滞在日程表です。予定では五日間。目を通しておいて下さい」
「ああ」
「それからこれが本日の予定表。……軍部の骨格が固まって来ましたから、それについてのミーティングを持ちたいと司令本部の人間から連絡が来ています。午前中の方が良いかと思われますが」
「うん」
「午後はスィート・ウォーターの密閉型区画の視察です。夕食は地域有力者との懇談会が予定されています。皆支援者の方達です」
「……ナナイ」
シャアは執務机をギッ、と腕で押すと椅子を少し後ろに下げた。……重厚な作りのクラシカルな部屋だが地上ではないらしく、いっさい窓が無い。
「何でしょうか」
「軍部だの懇談会だの……まるで国を興そうとしているみたいじゃないか」
「……国を興そうとしているんですよ」
ナナイが呆れた顔をして執務机の向こうから、シャアの脇に回って来た。
「嫌なの?」
「断れやしないのだろう?」
「ええ」
ナナイがあっさりそう答えるとシャアは黙った。……しばらく部屋には沈黙が満ちた。
「……少しおかしいわ」
ナナイが無遠慮にデスクに寄りかかった。身体を傾けて椅子に座ったままのシャアの顔を覗き込んでくる。
「何が」
「あなたが、よ」
「……どのように?」
シャアが少し手を伸ばしてナナイの頬に触れた。……先ほどまでの上司と部下、のような関係ではなくて、そこにはもう少し親密な何かが見て取れた。
「地球に行って来てから……おかしいわ」
「そうか?」
シャアは少し笑った。女というのは面倒くさい生き物だなあと思う。
「……こちらへ。それで私はどうおかしい?」
面白半分で椅子をもう少し下げ、膝の上を示すとナナイは少し眉をひそめた。
「私はネコじゃありません」
「そうだったか」
「本当におかしいわ」
ナナイはまだ少し訝しげだったが、結局膝の上に座るとシャアの首に腕を回した。……そしてゆっくりとキスをした。
「……地球で何かあったのね」
「あったと言えばあったかな」
顔を寄せ合い密やかな会話をする私達は、端から見ると尋常な関係には見えないことだろう。
「……それを教えては、」
ナナイが何かを言いかけた時にノックの音が部屋の中に響いた。
「なんだ」
ナナイの頭を撫でたままで、シャアはそう声をかけた。オーク製の扉の向こうから警備の人間の声が聞こえる。
「司令本部のユーリ・オッペンハイマー中佐がいらっしゃいました」
「……すぐ行く」
シャアが立ち上がる。ナナイももちろん膝から降りた。
「……教えてはもらえないのね」
シャアは悪びれた風でもなくナナイに答えた。
「……男同士の問題だ、ナナイ」
-----0091、十一月末。
建物の裏側から外に出た。……一見、地下にテロ集団『ネオ・ジオン』の本部アジトが有る等とは思えない凡庸な建物である。1930年代風。シャアもナナイも、司令本部から迎えに来たというオッペンハイッマー中佐すらもごく普通のスーツを見に纏っていて、キナ臭い印象は何処にもなかった。裏通りに止めてあった大きな車に乗り込み、運転は中佐の連れて来た部下がするようだ。
「司令本部は港湾区画に建設途中です。……そちらでモビルスーツの開発等のお話と合わせてミーテイングを」
「分かった」
「……申し送れましたがユーリ・オッペンハイマーと申します。軍部創設の仕事に関わらせていただいております。……お会い出来て光栄です」
「ああ」
後部座席にオッペンハイマー、シャア、ナナイの順番で座り、窓の外に流れてゆくスィート・ウォーターの街並を眺める。
……貧しい街だな、と思う。
貧しく、疲弊し、連邦の政治政策に振り回され続けた結合型コロニーの風景だ。これが宇宙の現実だ。
「……もし、」
シャアは誰に告げるでもなくつい呟いた。
「もし私が国を興すとなったら、」
「興して頂かないと困ります」
すっかり秘書の顔に戻ったナナイがそう言った。オッペンハイマー中佐も興味深げにシャアの言葉に耳を傾けている。
「国を興すとなったらそれは『軍事政権』ということになるのかな。……ほら私は軍人だから」
何をあたりまえのことを、と言わんばかりにナナイが盛大にため息をつく。
「それに何か問題が?」
オッペンハイマー中佐はその何処が悪いのか想像もつかなかったようだ。
「気になさらないでください、中佐。……総帥は少しお疲れなんです」
ナナイがそう言って、シャアの手の甲をつねった。……中佐はもちろん、そんなやりとりは見てみないフリをした。
「実は最近面白い『もの』を拾いました」
「ほう?」
軍部とのミーティングの帰り道、ナナイと二人きりになると彼女がそんなことを言いだした。
「何だ」
「大佐の気晴らしにでもなればと思って、軽い気持ちで拾ったのですけど……磨けば光るかもしれません」
「だから、何だ」
ナナイの言い方が回りくどくてついシャアは聞き直した。……予定通りなら、これから密閉区画にあるダウンタウンの状況視察だ。
「十四、五歳の男の子よ。可愛い顔をしているわ、でもアムロ・レイにもカミーユ・ビダンにも似ていない」
「……あのだなナナイ」
シャアはため息をついた。
「大きな誤解があるようだが、自分にそちらの趣味は無い。もっと言えば興味も沸かない」
「そんなことは分かっているわ」
「人が言う程に精力的な人間でもない。そんなのは皆が勝手に言っているだけのこどだ」
「それも分かっているわ、でもあなたには『何か』が必要よ。……でなければ何で地球から帰って来てから、」
「……ナナイ」
ナナイが咎めようとしている事実に気づいてシャアは言った。
「君を抱かなくなったのは病状が悪化したからだ。……その、鬱の」
「嘘が上手ね」
車はダウンタウンの中を進んでいた。……速度を落とした大きな車の周りに、面白そうに浮浪児達が群がって来る。
「……君が拾った子どもは、戦災孤児か」
「そうよ、目が気に入って拾ったの」
「磨けば光る、とは?」
「ニュータイプには成り得ないわ。……でも、強化人間には成れそうな質の持ち主なのよ」
「………」
シャアはため息をついて壁の向こうの運転手に声をかけた。
「止めろ」
『はい。』
運転手が車を止める。……もうあたりは、浮浪児でいっぱいだ。
「……どこだ」
「その角の建物の三階よ」
どうやら拗ねているらしいナナイを置いて、シャアは一人で車を降りた。群がる子ども達を散らす為に遠くに金を撒き、疲れた表情でナナイの言った建物に向かう。入り口の鉄格子が錆び付いた、古いアパートメントだった。エレベーターに向かうと、辛うじて電気は供給されているらしい。悪戯書きだらけのそのエレベーターに乗り、鉄の蛇腹を閉め、三階のボタンを押した。
「………」
三階の部屋は二部屋あった。最初に開いたドアの向こうは空き部屋で、家具の上に白い布がかけられておりここしばらく人の住んだ気配はない。シャアはそれを軽く見渡すと部屋を出、隣の部屋に向かった。
鍵はかかっていなかった。
ゆっくりと扉を開くと、軋んだ音が響いた。壁紙の剥げかけた埃まみれの部屋を奥に進んだ。
「……誰かいるか」
シャアは言った。
「誰もいないのか」
ズズ、と変な音が奥からした。……シャアはつい胸元に潜めた銃を確認した。
「……誰? ……ナナイじゃないの」
奥からシーツをすっぽりかぶった、一人の少年が顔を出した。
「……誰? ……俺腹が減ったんだけど。どうしてここに居ろ、っていうのに、食べ物届けてくれないんだよ」
「……」
……ああ。シャアは思った、確かにアムロ・レイにもカミーユ・ビダンにも微塵も似ていないな。
「名前は?」
「アンタが先に言えよ」
スラブ系らしい黒い髪に黒い瞳の少年は、実に怯えた風であるのに半端にシャアを睨んだ。縁取りの濃い、強い瞳だ。……おや心が痛む。……これだからナナイを捨てられない、本当に面白いものを用意する女だ。
「私はシャア・アズナブル。……君は?」
「……」
相手は少し考え込んだ様だった。それほど自信過剰なタイプではないので、ダウンタウンに住む戦災孤児にも自分が認識されている自信は無い。
「……あっそ。……俺は……ギュネイ……ギュネイ・ガス」
案の定、少年は私が誰か全く知らない様子だった。
「今通りすがった。ナナイは下に居る。……良ければこのまま君を連れて行きたいのだが」
「はあ?」
ギュネイは訝しげに自分を眺めた。
「この後視察に向かわないといけないので、時間がない。……どうする」
私は手を差し出してみた。……ギュネイはひどく不審そうに、その掌を見ている。やがて視線が上向き、相変わらず強い瞳で私を睨むと、彼は言った。
「……なんか、食わせてくれる? ……あんた金持ち?」
「それほどじゃないが」
心地よい、中途半端な強がりだとシャアは思った。
これが、ギュネイ・ガスとの出会いである。
2006.12.21.
前回の小咄が連邦寄り(アムロ寄り?)だったので、今回はジオン寄りで。
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