「……俺だ。」
『今、何処だ?』
「リーズ。……あんたは?」
『俺はナイメーヘンだ。……近いな。』
 カイ・シデンは端末の画面から目を上げると、ホテルの窓から外を見渡した。
「……ネタか。」
『ああ、ビッグニュースだ。どうする、会えるか。』
「これ、軍の回線か?」
『まあな。……ここはナイメーヘンだし、俺は軍人だ。ベルファストはどうだ。明日。』
 アクセス・キーで接触して来た相手はボギーだった。ナイメーヘンは旧ヨーロッパ地区、オランダにある。連邦軍の大きな基地と、名門の士官学校があることで有名だ。
「……ベルファストには行かない。」
『なんだって?』
「ロンドンでどうだ。」
『なんだって、あんな治安の悪いところ、』
「恐いのか? 軍人のくせに。」
『……何時だ。』
「じゃあ、明日の午後三時に。……ウェストミンスターで会おう。」
『……分かった。』
 それでボギーからの接触は終わった。……カイは端末に繋いでいたイヤホンを引き抜くと、外の空気を吸う為に窓を開いてベランダに出た。
 ベランダからは旧世紀の大戦でロンドンが半分吹き飛んだ後、英国の首都となった街の風景と、その周囲に広がるヒースの荒野が見える。……ヨークシャーの大地だ。0091年、十月末。
「……ベルファストには行かない。」
 もう一回呟いて、部屋の中に戻った。……我ながらセンチメンタルな事だよな、と思った。



 旧世紀の大戦……厳密には第三次だったか第四次だったか忘れたが、その大戦でロンドンは東半分が核で吹き飛び、英国の首都としての機能を失ってしまった。グリニッジあたりから全て灰燼に帰したのである。テムズ河の左岸には辛うじて原形を留める建物もあったが、ビックベンは中ほどから崩れ落ちていたし、ウェストミンスター寺院も廃虚と化していた。
「……よう。」
 天井の崩れ落ちた大聖堂の中に瓦礫を乗り越え入り込んで行くと、瓦礫だらけの身廊の中程にボギーが既に立っているのが見えた。いつも通りのトレンチコート姿だ。
「早いな。」
「実はキリスト教徒でな。」
「嘘だろう。」
「もちろん。」
 内陣に入る手前で足を止めた。袖廊には浮浪者が住み着いているらしく、薄汚いテントの屋根が重なり合って見える。
「……まだ役に立ってるんだな、この建物。」
「良い事じゃ無いか。……これぞまさに『神の家』だ。」
 住んでいる浮浪者達に、大聖堂の宗教的意味が分かっているとも思えない。旧世紀に廃れた神の家だ。しかし、天井が抜け落ち斜めに光の差し込むその空間は、浮浪者のテントで彩られながらも何処か神聖で厳かに見えた。
「煙草は。」
「……いらない。宇宙生まれは、煙草なんか吸わねぇよ。」
「何故。」
 ボギーは自分の分に火を付けながら首を竦めた。
「……空気の有り難みを知ってるからな。……で、ネタってなんだ。」
 いつまで立っても仕事の話になりそうに無いのでカイは話を振った。
「ああ、テロの情報なんだが……『自由コロニー連合』の地上部隊が、」
「……待て、今なんて言った。」
「『自由コロニー連合』の地上部隊。」
「……どうして、コロニー主義者に『地上派』のセクトなんかがある!」
「だから、ビッグニュースだ、って言っただろ。……ともかくその地上部隊の連中が、地球上での連続テロを画策中らしい……というのが、諜報の仕入れた情報だ。」
「……」
 カイは黙った。……内容が深刻だったのと、大聖堂の袖廊に設えられた貧民街から、毛色の違う侵入者に気づいた人々が寄り集まってくるのを感じたからだ。
「……で。」
「軍人の俺には無理だが、お前ならそのセクトに入り込み、地球上でのテロの詳細な情報を集めて来れるんじゃ無いかと思ったが……」
「鉄砲玉みたいにか。」
「おいおい。鉄砲玉は帰っちゃ来ないぜ。……俺はそれほどお前を軽んじちゃいねぇよ、カイ・シデン。」
 言いながら、ボギーは煙草を吐き出し、胸に下げたホルスターからコルト・マグナムを引き抜く。……カイも後ろ手に、自分の銃に手をかけた。……浮浪者達がじわり、じわり、と神の家の中を二人に近付いてくる。
「……どうして、コロニー主義者に『地上派』のセクトなんかがある。」
 カイはもう一度そう聞いた。……これまで、宇宙でテロは続発しても、地上に残った人々の中から反政府テロなんて起こったことはなかった。
「それがな。……傑作なんだ、カミーユノート。……知ってるか、カミーユノート。」
 ボギーがそう言って、銃を天井に向けて構えた。……大聖堂の天井は抜け落ちていて、ロンドンの青空が向こうには見える。
「……名前くらいは。」
「それが原因なんだ。……宇宙でのシャア・アズナブルのカリスマと同じくらい、地上で読まれている『カミーユノート』には人を引き付ける魅力があるらしい。……アングラ的魅力だな。良かったらファイル送るぜ、」
「……抜けるぞ!」
「……ここを密会場所に選んだのは、失敗だったな!」
 もう、周り中が浮浪者達で満ちていた。……カイの方が先に空に向かってグロックを五発ほど撃った。合わせてボギーが五、六発、コルト・マグナムを撃って浮浪者達の気を逸らせる。ボギーが撃った壁際の上部には、聖人達の彫刻が並んでいた。……崩れかけたまま。
「……罪深いことだな!」
 見れば、大聖堂の出口に向かって走り抜けるボギーは、少し悔しそうにそんなことを呟いている。……あれ、こいつ本当にキリスト教徒だったんじゃないのか。
 崩れ掛けの大聖堂から、光の満ちる外に駆け出しながらカイはふとそんなことを思った。



「……で、潜入は。」
「『地上派セクト』やらの本拠地はどこだ。……連続テロが起こりそうな場所は。」
「ベルファスト。」
 ……あぁ。……それで最初の待ち合わせ場所に、ベルファストを提案したのか、ボギーは。カイはそう思った。
「……残念だが、その仕事は他に振れよ。俺は、ベルファストには行かない。」
「……何だと?」
「ベルファストには行かない。あの街には、二度と行かない。」
 ……軍港のある街だ。軍港のある、アイルランドの、
「……そうか。」
 ボギーはテムズ河の河辺でコルト・マグナムを仕舞った。……川の中程には折れて水に浸かったタワーブリッジが見える。
「……何故?」
「女を死なせたからだ。」
 カイは答えた。……ミハルを殺めてしまったからだ。……ベルファストから乗せたミハルを。



 ……だから俺は、もう一生ベルファストには行かない。



「……後で、『カミーユノート』を送ってやるよ。」
 今回のボギーとの接触は、無駄に終わった。
「……いらねぇよ。……自前で十分、青くせぇから。」
 カイは答えた。……答えながら、自分のグロックを仕舞った。



 だから、俺はもう、一生ベルファストには行かない。



 そして一生、殺めてしまった女のことを想い続けるのだろう、と思った。……ボギーは、溜め息を付きながら俺から離れていった。











2006.09.30.







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