”向い風に向かって鶏冠を膨らませ 俺は叫んだ
何故 世界はこれほどに醜い
何故 世界はこれほどに美しい
何故 世界はこれほどに醜い
何故 世界はこれほどに美しい
そして何故 俺はこれほどに無力なのか と”



「……荷物です。爆発物のチェックは済んで居ます。」
 転送に転送を重ねたらしい封筒が目の前に差出されて、ボギーは我に返った。……宇宙世紀0091、十月末。
「……はいよ。……どーも。」
「どういたしまして。」
 そう答えて、封筒を持って来た秘書は部屋を出て行こうとする……しかし何故か、彼は扉の前で振り返るとこう言った。
「……情熱的な詩ですね。」
 いつの間にモニタを覗き込んでいたのだろう。
「そうか? ……そうか? こりゃ、アレだ。」
「アレ? アレじゃ分かりませんよ。」
「……『カミーユノート』だ。……聞いたことくらいあるだろう。」



 『カミーユノート』というのはアングラに大量に出回っている一冊の書物の名前である。詩集だ。しかしそれに付いた煽り文句が凄まじく、諜報もチェックを入れない訳にはいかない事態に陥っている。
「……へえ、これがあの有名な『カミーユノート』ですか。」
「馬鹿、てめぇ、後は自分の端末で見ろ。」
 それだけ言うとボギーは画面を閉じる。……秘書は少し悔しそうな顔をして背筋を伸ばした。
「はいはい。……では失礼いたします。」
「『はい』は一回! 二度と来んな、馬鹿。」
「はいはい。」
 秘書が出て行くのを確認して、ボギーは画面を開き直した。……『カミーユノート』。……精神病院に収容されたグリプス戦役の義勇兵にして英雄、カミーユ・ビダンがその病室で書き綴ったという曰く付きの詩集である。
「……本当かどうかは分からねぇけどな。」
 ボギーは灰皿に煙草を押し付けた。……本当かどうかは分からねぇけどな。馬鹿みたいに、
 青臭い詩集であることだけは確かだな。



”向い風に向かって鶏冠を膨らませ 俺は叫んだ
何故 世界はこれほどに醜い
何故 世界はこれほどに美しい
何故 世界はこれほどに醜い
何故 世界はこれほどに美しい
そして何故 俺はこれほどに無力なのか と”



 回されて来た封筒の表書きを見て考え込んだ。……ラサの陸軍病院? 念の為に、表書きの脇に貼ってあるバーコードをスキャンしてみる。転送記録が見れる筈だ。……香港宇宙港弟三貨物ターミナル、アーティ・ジブラルタル総合貨物基地、サイド1中央貨物基地、連邦軍北米方面物資補給倉庫、それから北米オークリー基地。
「……なんだこりゃ。」
 確かにこの一ヶ月、自分は仕事で地球を二周り半ほどし、宇宙に出、そしてオークリーに戻って来ていた。どうやら、この荷物はその間自分の後をずっと追いかけ回していたらしい。
「……」
 ボギーは疑心暗鬼でそうっと封を開けた。……臆病であることは、生き残るには重要だ。確かに宛名は自分なのだが、諜報の自分にこれだけくっついて来れたあたりでかなり『怪しい荷物』だ。
「……ぁあ。」
 封筒の中から出て来たものを見てボギーは溜め息をついた。中身はたった一枚の報告書だった。
 一行目に、『DNA鑑定結果 対象者:クワトロ・バジーナ大尉』と書いてあった。



 約束の日時に約束の場所に鑑定結果を届けに行ったら相手が屋敷ごと吹っ飛んでいなくなっていた……ので、おそらく医療部の連中は困り果てたのだろう。
「それで、俺に回って来たのか。」
 ボギーは紙をペラリ、と振った。……この紙に何か意味はあるのか。この鑑定結果に何か意味があるのか……と問われたら答えはノー、だ。事件は既に終わっている。俺は今のいままで『クワトロ・バジーナの遺言』のことなんか忘れていた。
 当然のように報告書は『屋敷に拘束中の人物と、被験者「クワトロ・バジーナ」のDNAは99.9パーセント一致。』と結んであった。
 その結果に何か意味があるのか。……だから答えはノーだ。俺は、俺の中で別の結論に至っていたし、本物だろうが偽物だろうがあの『シャア』を逃がすことには違い無かっただろう。
「……」
 目の前に翳している一枚の紙切れと、その向こうに透けて見える端末の画面が奇妙に重なる。……真っ青な画面に白い字で書いてある詩だものだから、よけい紙に透けて見えた。……『カミーユノート』。……そして『クワトロ・バジーナの遺言』。
 ……あぁ。
 ボギーは慎重に煙草の箱に手を伸ばし、一本取り出して火をつけた。……これは二つとも『グリプスの亡霊』だ。そうに違い無い。そういう意味で、とても良く似ている。
 煙草に火をつけ、そしてついでに報告書をぐしゃぐしゃに丸めた。
 丸めた紙切れを灰皿に放り込み、ライターで火をつけた。……勢い良く紙は燃え上がった。



”向い風に向かって鶏冠を膨らませ 俺は叫んだ
何故 世界はこれほどに醜い
何故 世界はこれほどに美しい
何故 世界はこれほどに醜い
何故 世界はこれほどに美しい
そして何故 俺はこれほどに無力なのか と”



「……俺も、」
 よほど経ってから、ボギーは秘書に繋がる通信ボタンを押した。
「……十分、青臭ぇな。……カミーユ・ビダンや、クワトロ・バジーナ程じゃ無いにしても、」
『はい、秘書室。』
「俺だ。」
『はいはい、分かってますよ。……部屋で何を燃やしたんです。スプリンクラーが起動しそうですよ。』
「俺は愛煙家だ。……裁判の予定表を調べて届けろ。」
『何の。』
 五十絡みの、愛煙家の、諜報三課課長は秘書に向かって怒鳴り付けた。
「四課の連中の裁判の日程に決まってるだろ、馬鹿!」
『はいはい。……元・諜報四課のメンバーの軍事裁判は既に連邦陸軍ナイメーヘン基地にて開始されています。……どうしますか。』
「何を。」
『……チケット取ります? ……民間機の。』
「……軍用機を回せ。……俺はちょっと、オランダに行ってくる。」
『……はいはい、行ってらっしゃい。』




 ボギーは椅子から立ち上がるとトレンチコートを身に纏った。……ソフト帽を手に取り、ドアから出る直前に自分のデスクを振り返る。
 ……モニターには『カミーユノート』が映ったままだ。
 ……ああ、青臭ぇよ、俺も十分、未だにな。
 『カミーユノート』に突き動かされるぐらいには。



 ナイメーヘンで裁判を受けている最中の、元・諜報四課のカムリに面会した。
「……一つだけ聞く。……諜報に未練はあるか。」
「……」
 硝子の向こうのカムリは即答しなかった。彼は今現在、ウスダの謀略を手伝った罪で起訴されている。
「……質問を変えよう。……シャア・アズナブルとアムロ・レイに、もう一回会いたいか。」
「……」
 硝子の向こうのカムリが顔を上げた。……ああ、こいつも青臭ぇな。ボギーは目許に深い皺を刻んで思った。『カミーユノート』と『クワトロ・バジーナの遺言』を見て、まっ先にこいつを思い出した。
「……悔しいか。」
「……あぁ。」
 ついにカムリが答えた。……まっ先にこいつを思い出した。あの現場で、ひどく途方に暮れていたこいつのことを。
「俺のところへ来い。……半年程度で出れるだろう、悔しいんだったら、俺のところへ来い。……諜報を諦めるな。」
「……」
 硝子の向こうでカムリが頭を抱えた。
「……お礼を……っ!」
 ボギーはトレンチコートを翻し、それ以上は一言も話さずにナイメーヘン拘置所の面会室を出た。
「シュミレーションソフトのお礼を、俺は、まだ、アムロ大尉に言えてなくてっ……!」



 見ろよ。……世界はこれほどに美しい。世界はこれほどに醜い。世界はこれほどに思うようにならない。……世界は『諦められない人々』で満ちている。



”向い風に向かって鶏冠を膨らませ 俺は叫んだ
何故 世界はこれほどに醜い
何故 世界はこれほどに美しい
何故 世界はこれほどに醜い
何故 世界はこれほどに美しい
そして何故 俺はこれほどに無力なのか と”



 だから俺はこれからも生きてゆく。……凡人なりに、自分の手足で。……死ぬまでには一回、カミーユ・ビダンの顔も、拝んで見てぇもんだな。
 拘置所の建物から出たボギーは、風を避けながら煙草に火をつけた。
 その煙草の先から出た煙は、薄く細く線を描いて、地球の大気の中へと溶けていった。











2006.09.14.







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