『……アリタイド・ヒューズ中尉。至急艦長室へ。繰り返す、アリスタイド・ヒューズ中尉。至急艦長室へ。艦長命令だ。』
「……親父!」
「艦長に呼ばれてるぜ、アリスの親父! 一体何をやらかしたんだ!?」
ヒューっという口笛の後に、一気に砲列甲板は騒がしくなった。
「……やかましい! 俺ぁ何もやっちゃあ居ないぜ!」
アリスは舌打ちをすると、デッキの隅に設えてある椅子から立ち上がる。……半舷休息で自分は非番だった。それでも砲列甲板にいたのは、ここが自分にとって一番居心地の良い場所だからだ。
「カードは降りるのか?」
デッキから外に向かおうとするアリスの背中に、彼の副官が声をかけた。テーブルの上にはトランプが放り出したままだ。ポーカーをやりかけだった。
「降りねぇよ。……帰って来たら続きをやる。勝手に仕舞うんじゃねぇぞ!」
「アイサー。」
「絞られてこいよ、親父!」
「達者でなー。」
歓声に見送られながら砲列甲板を出てエレベーターに乗った。……アリスタイド・ヒューズ中尉は、五十柄みの老練な兵士で、ラー・カイラムの砲術長でもある。
「……アリスタイド・ヒューズ中尉であります。」
「入れ。」
艦長室の前に立つ警備兵にIDを見せると、中から簡潔な返事が入って来た。……やれやれ。俺は何かやらかしたかね。そう思いつつドアをくぐる。部屋の中ではブライト・ノア艦長が、何故かテーブルの上にチェス盤を設えているところだった。
「……よく来た。……今は非番だな?」
「アイサー。」
「じゃ、付き合って貰おう。」
当然のようにブライトが目の前のチェス盤を指差した。……アリスは一瞬躊躇した。
「……艦長。用事ってのは、まさかチェスの相手ですか。」
「その通りだ。……非番では無かったのか?」
「いや、非番だったが……」
やれやれ。ドッカリと艦長の真向かいのソファに腰を降ろした。
「艦内放送で呼ぶこたぁ、無いだろう。」
「そうか? ……一番確実だと思ったのだが、」
ふむ、とブライトは腕を組んだ。それから、通信を入れてこう言った。
「……私だ。至急、この艦にある一番高級な酒を艦長室へ。」
アリスが呆れてブライトを見ると、ブライトは面白そうにこう答えた。
「実は、だ。……この間、固定砲台の件でアリスに随分世話になっただろう。……が、そのお礼がまだだったのを思い出してな。」
「礼には及ばねぇよ。」
アリスは呆れてそう答えた。
「……ヒューズ中尉は、ずっと艦隊勤務か?」
結局、チェスをしながら男二人でちびちびと酒を飲むことになった。
「あぁ。海から上がった事は一度もない。」
「ペガサス級は?」
もって来られた酒はワインだった。チェスだけで勘弁して来れ、とアリスが懇願したところ、ブライトは面白そうに奥の寝室からバーボンを持って来た。
「乗った。……アルビオンだ。」
ブライトが感心したように頷く。
「あぁ、それで。……83年の観艦式には?」
「居たぜ。……だが、ド真ん中じゃなかった。アルビオンは、後方に居たんだ。」
そうか、と呟いてブライトの駒を持つ手が止まった。
「一回だけ会ったことがある。……エイパー・シナプス艦長だったな。」
「いい男だった。」
「……その通りだ。もっと教えを受けたかった。……生きておられたらな。……シナプス艦長と飲んだことは?」
それを聞いてアリスは笑った。……砲術士官など艦隊では下っ端中の下っ端だ。
「まさか。」
そもそも、この状態が異常なのだ。……一介の砲術士官と、艦隊を指揮する大隊長が一緒に酒を飲む、というようなことが。
「艦長さんなんて人種と酒を飲むのが今回初めてだ。」
そうか、とブライトが笑った。……優しくて穏やかな声だった。そうか、それでこいつは艦長なのか、とアリスは少し思った。
「固定砲台の件だが、あの時は本当に助かった。」
「……そうか? アルビオンに居た時も似たようなことがあった。」
「ほう? それは初耳だな。」
アリスはうーん、と腕を組んで思い出そうとした。
「まあな、記録に残るような事件でも無かったよ。……アルビオン自体がかなり特殊な運命を辿ったペガサス級だし……」
「そうだな。」
ついに二人はチェスを打つ手を全く止めてしまった。
「……思い出した。『ルンガ沖』だ。」
「『ルンガ沖』?」
ブライトが面白そうに身を乗り出して来た。
「そうだ、ルンガ沖。……あの時は傑作だった。……機動兵器でどうにもならないと分かったら、なんと……」
「なんと?」
ブライトが先を促す。……これでは自慢話のようになってしまうな、とアリスは思った。まぁいい。聞きたいと言っているのは艦長の方だ。
「ガンダム乗りが頭を下げに来たんだ。……砲列甲板まで。」
ブライトが嘆息した。
「……そんなに思い切りの良いパイロットがアルビオンには居たのか。」
「居たね。……考えられるか。モビルスーツ乗りが、それもガンダム乗りが砲列甲板に頭を下げに来るんだ。モビルスーツでは倒せません、だからお願いします、って。」
「凄いな。」
ブライトは腕を組んだまま目を閉じた。……それから、言葉を選んでこう聞いて来た。
「……『POW』と『レパルス』の最後を、どう思う?」
「……」
それが聞きたかったのか、と思った。……俺と酒を飲んで。……確かにこの人物は並の艦長じゃ無い。砲列甲板の心情の分かる艦長だ。
『POW(プリンスオブウェールズ)』と『レパルス』は、共にマレー沖海戦で沈んだイギリス軍東洋艦隊の軍艦である。言っておくが、旧世紀の……第二次世界大戦の時の話だ。
「……砲術士官にそんなことを聞くのは反則だ。」
「それを承知で聞いている。」
「……」
アリスは少し考えた。『POW』と『レパルス』か。……砲術に携わる者でその名に郷愁を覚えない人間は居ない。
「……歴史が終わった瞬間だった。」
「……そうだな。」
「マレー沖海戦で旧日本軍の『零戦』が『プリンスオブウェールズ』を沈めた時、世界中の軍人が思ったはずだ。……『大鑑巨砲主義』の時代は終わった、と。……戦争の主役は、機動兵器に移る。この時代で言ったら、零戦やB29だ。……『艦隊戦』などこの世から無くなる。砲撃手の出番も無くなり、パイロットの時代が来ると。」
「……そうだな。」
実際にそんな時代が来た。……第二次世界大戦の最末期に『大和』が沈み、空母以外の艦の出番など表舞台から消え失せる時代が。
「しかしその後、機動兵器すら存在意義を失う超長距離ミサイルの時代が来た。……互いに核で武装し、敵の大陸を自分の陣地から狙い続ける。そんな時代だ。……特殊部隊以外の一般の兵士なんて、何の為に配備されているのか分からないような時代だった。」
「……それも、その通りだ。」
おい、俺はなんで士官学校をきちんと出た人間にこんな説明をしている。……アリスはだんだん馬鹿らしくなってきた。
「だけど続きがあった。……人類は、新しい海を見つけたんだ。それが宇宙だ。……だがそこでも『砲撃手』は負けた。」
「……ルウムか。」
ブライトがグラスを手に取った。……カラン、と氷が鳴った。
「そうだ、ルウム沖海戦。……一年戦争のアレで、また砲撃手は出番を失った。ジオンのモビルスーツに、連邦の艦隊は沈められるだけ沈められた。レビル将軍ですら捕らえられた。……かつて戦闘機に出番を奪われた砲撃手は、今度はモビルスーツに出番を奪われることになったのさ。」
「……」
ブライトは、もう何も言わなかった。……チェスは途中で放り出したままだ。……俺は本音を言った。アリスは思った。……このモビルスーツ全盛の御時世に、砲撃手がどんな思いで戦闘に望んでいるのかを。俺達は、役に立たない。……役には立たないし、永久に主役となることもない。しかし、それでも……俺は船乗りを続けている。
「この間は、本当に世話になった。」
しばらくの沈黙のあと、ブライトが勢いよく頭を下げた。
「……やめてくれよ、艦長。」
アリスは苦笑いしながら呟いた。ブライトが表を上げた。それから、グラスを掲げてこう言った。
「サー・トム・フィリップス中将に。」
「……サー・トム・フィリップスに。」
サー・トム・スペンサー・ボーン・フィリップス。……『POW』と共にマレー沖に沈んだイギリス東洋艦隊の総司令官である。……良くも、こんな小さな軍人を憶えているな。そう思った。しかも、負け戦の軍人だ。……しかし、そんな艦長だからこそ、
砲術士官として、死ぬまでついてゆこうとその時アリスは決めた。
2006.09.09.
*こんなにも趣味に走った話を、これまでサイトを六年間続けていて書いた記憶が無い(笑)。根っから83だね、自分、と思います。
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