ここに、静かに















 初めて操縦桿を握ったのは、いつだったか・・・。

 アナベル・ガトーは考えるとは無しに思った。・・・・・・・・・ああ、そうだ、あれは6歳になったばかりの夏。父と、母と、一緒に行った遊園地でフライトシュミレーターの操縦桿を握り、スクリーンに写し出される星空の中を飛んだ。父は側で操縦桿に時々手を伸ばし、私はダメー!と叫んで奪われまいとし、母はそんな二人にただ笑っていた。

 6歳になったばかりだというのに、そうもはっきりと思い出せるのは、それが父と母との三人で遊んだ最後の夏だからだ。・・・秋に静かに、母は逝った。



 (ハー・・・、ハー・・・、ハー・・・)

 ヘルメットの中に呼吸音がやたらと響く気がする。息を整えようと深呼吸をしてみたが、腹筋が引き攣れて傷が痛む。腹部に貼ったパットには、殺菌と痛み止めの両方の効果があるが、こうも深い傷には無意味に等しい。よく効くアンプルもあるが、それを打てば頭もぼーっとする。・・・そんな状態で戦いたくはない。





 士官学校では、毎日毎日いやになるぐらい操縦桿を握り締めた。シュミレーターのも、本物のザクも。微妙なタッチを手が覚えるまで、一体になるまで。それこそ吐きたくなるまで(実際に吐いや奴はいくらでもいる)、何十時間も狭いコクピットに閉じ込められて。

 ・・・・・・・・・なのに、今、操縦桿を握る手に、まったく力が入らない。こんなことでは、満足に戦えない。



 (ギュ・・・、ギュ・・・、ギュ・・・)

 くり返し握る動作をして、握力の回復を待つ。





 「武人の鑑」、「サムライ」、「戦士」、「エースパイロット」

 回りの人間は言う。・・・ストイックだとも言われた。自分ではそんな風に思ったことはない。軍人を志した頃、ジオンと連邦の間にもう火種は燻っていた。戦争へ向って、公国は準備を重ねていた。そんな時代に、描く未来は、妻をめとり、子を成すことではなかった。戦いの先にこそ、理想が待っていると思えた。

 ・・・だが、こんな時代でなければ、自分も一社会人として、結婚し、家庭を作り、御飯を食べて、笑って泣いて、生きていたのだろうか。

 (想像できんな。)



 アイランド・イーズの回りに機影はない。・・・ただ一体を除いては。・・・・・・・・・不思議なほど静かな宇宙(うみ)。





 間近で顔を見たのは、三度きり。オーストラリアの初見では、幼い顔に少尉の階級章。士官学校出のひよっこだと一目でわかった。つい説教じみたことを言ってしまったほどに。・・・だが、さっきの顔は別人。・・・・・・・・・まぎれもなく男の顔だった。それでこそ戦いがいがあるというもの。



 目にモヤがかかったような視界の悪さ。パチパチと瞬きをくり返しても直らない。血圧が落ちているのがわかる。スロットルが瞬時に踏めるだろうか。私がこうも弱っていると知ったら、あの男は、手加減するだろうか?・・・そんな男なら戦う価値はない。軽蔑し、一瞬で忘れてやろう。










 『命』を賭けてまで、どうしてアナベル・ガトーはここに留まっているのだろう。



 彼自身の戦うことの意味は何だったのだろう。










 イーズのコントロール室の側で、ひとつの光が煌いた。・・・もうすぐだ。あの男が出てくる。驚くだろうか、・・・驚くだろうな。



 (おおおっ!)

 声にならない喜び。握力が戻ってきた。・・・いける。これなら戦える。口の端に笑みがこぼれる。



 (我々の真実戦いを後の世に伝えるために)

 デラーズ・フリートの誰もが全力で戦ってくれるだろう。



 (そして『私の』戦いは)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おまえが、最後の証人。



 紫の目が睨んだ先には、デンドロビウムの白い巨体が静かに、だが確かに動き出している。










 宇宙世紀0083年11月12日23時34分、・・・・・・・・・最後の戦いが、・・・今。















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