ガチャっとドアの開く音が背後でしたが、アナベル・ガトーは振り返らなかった。ノックも無しにこの部屋に入ってくるのは、同室のケリィ・レズナーしかいなかったし、その後のどすどすという足音もケリィ自身であると重ねて証明していたからである。読み掛けの古典「葉隠」は興味深く、ケリィが彼のベッドに腰を降ろしてがさごそと物音を立てようとも、気にもしていなかった。・・・が、

 『みゃ〜。』
 「・・・・・・・・・ケリィ、へんな声を出すな。」
 「俺じゃないって。」
 「・・・?!うわっ?!!!」

 ケリィの方を見たガトーは不覚にも驚いてしまった。なんと彼のベッドの上には、ケリィとそれから・・・子猫がいたのである。ケリィのごつごつした手に比べたら、その中にすっぽり入ってしまうほどの小さな白い猫。生まれてわずか数週間に見える。

 「いったいそれは?」
 「・・・あのなー、これが猫以外の何かに見えるか?」
 「そんなことはわかっている。いったいどうして猫がここにいるのかと訊いているのだ!」
 「教会の裏手にある丘でみゃーみゃー泣いてたから、つい・・・。」
 「ふー・・・。私が風紀委員だと知っての狼藉だろうな?」
 「まーまー。堅い事言うなって。」

 士官学校の付属教会の裏手は小高い丘になっていて、そこがケリィのお気に入りの昼寝場所のひとつだとガトーも知っていた。

 (それにしても猫とは・・・。)

 この時代、スペースコロニー内のペットは厳重に管理され、捨て猫や捨て犬は珍しかった。捨てたことがわかれば飼い主には高い罰金が課せられるし、道義的にも許されざることであった。

 「親がいるかと思って辺りをざっと見たんだけどな。・・・迷子・・・いや迷い猫みたいでさ。」
 「動物管理局に照会してみてはどうだ?」
 「そんなことしてもし飼い主が見つからなかったら、あの世いきだぜ。そんな可哀想なことが俺にできるか。」

 と、ケリィにしては殊勝なことを言う。・・・こんなケリィには逆らってもしょうがない。好きにさせておこう。ガトーは元通り自分のデスクに戻って、葉隠の続きを読もうと決めた。一応、念は押しておく。

 「私は何も見てないからな。」
 「了解!・・・っと。」

 ベッドに寝転んでケリィが子猫とじゃれている。

 『みゃ〜みゃ〜。』
 「おーよちよち。」
 「・・・・・・・・・。」
 『みゃ〜みゃ〜みゃ〜。』
 「かわいいなぁ。」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 これではどうにも気になる。・・・だが、なんとか本を読んで一時間のち、

 『みゃ〜。』
 どす。
 「う?!」

 ガトーの頭の上に突然、何かが被さってきた。・・・子猫だ!

 「ケリィ?!なにを・・・、」
 「やーめた。俺としたことがいくらベティ・スーにフラれたばっかりだって、子猫相手にかまけるとは。やっぱり本物のオンナじゃないとな。・・・というわけで、頼む、ガトー。」
 「おい、ケリィ!」
 「じゃなー。」
 
 言うが早いか、ケリィがドアから出て行く。出るなら猫も一緒に連れていけ!というガトーの心の叫びはケリィにはこれっぽちも聞こえなかった。子猫が落ちないよう右手を頭上に掲げたガトーは、生暖かい感触にちょっとあせっていた・・・・・・・・・。














子猫















 (さて、どうしたものか・・・。)

 その小さな生き物を前に、ガトーはしばし途方にくれていた。彼の祖父は愛玩動物の価値を認めるような人間ではなく、猫に限らず犬や鳥やウサギといった類を飼った経験はない。

 『みゃ〜ん。』

 たしかにケリィが子猫と遊んでいる姿を見て、興味が無かったといえば嘘になるのだが、こうしてまだ小さく弱い生き物のすべてを預けられると、ちょっとどきどきしてしまう。

 『みゃみゃ。』

 ガトーの頭から脚の上に移された子猫は、ガトーの指をざらざらした舌で舐めた。

 「なんだ、もしかしておまえ、お腹が空いているのか?」

 子猫にわかるはずないのに、そう言葉を声に出してしまうのはおかしなものだな・・・と思いながら、ケリィ用のクローゼットのどこかに入っているつまみのことを思い出し、席を立って子猫をベッドに載せて探そうとしたが・・・、

 「こんなもの食べるわけがないか。」

 ケリィのつまみとは装備品の横流しのチョコバーやキャンディや桃の缶詰である。とうてい子猫が口にするはずがない。

 (煮干しか鰹節・・・は、まだ食べれそうにないな。ミルクでいいのか?)

 「・・・おとなしく待ってろよ。」

 子猫に聞かせるように、優しく言ってからガトーは食堂に向った。



 (ミルク、ミルク・・・。)

 この午後3時過ぎという時間帯では、食堂はカフェメニューになっているはずである。コーヒーや紅茶やジュースと並んでミルクもあったはずだ。・・・ちなみにすべて無料である。

 「ミルクをひとつ。」
 「OK!」

 ガトーはごく普通に頼んだのだが、いつもは紅茶ばかり飲んでいるのを知っている下級生たちが、遠巻きに不思議そうな顔で見ている。その上、ミルクでいっぱいのグラスを食堂から持ち出そうとするガトーの姿(規則では禁止されている)を見て、目を丸くする。

 (ええぃ、かまうものか。)

 ガトーはそれこそ下級生たちが口を挟む余地がないように、背筋を伸ばしていつもにも増して独特のオーラを発しながら、堂々と来た道を戻っていく。



 「おーい。ミルクを持ってきてやったぞ。」

 部屋に戻るなりベッドに腰掛けると、左手でグラスを握り、右手で子猫の胴体をわしづかみにし、小さな顔がグラスの縁に届くよう支えてやる。

 『・・・・・・・・・みゃう。』
 「ん?」

 しかし、子猫はひと舐めしただけで、グラスから顔をそらす。・・・困った。ぐるぐると頭の中で色んな知識が回っていく。

 「・・・・・・そうだ!赤ちゃんのミルクは温めたものをあげてたはずだ。」

 きっと赤ちゃんも子猫も一緒だよな、と。・・・ガトーはグラスを手に食堂まで小走りで向かおうとしたが、そうすると中のミルクが波打ってこぼれそうになる。ままよ、とばかりに子猫が口をつけたミルクを一気飲みして、部屋を出た。



 「ホットミルクをひとつ。」
 「・・・OK。」

 空になったグラスを返して、温かいミルクでいっぱいの白いカップを受けとる。又も注がれる下級生たちの好奇の視線にかまわず、ガトーはこぼれない程度の早足で急いで部屋に戻った。

 「さぁ、今度は大丈夫だろう、飲めよ。」
 『・・・・・・・・・みゃみゃう!』
 「・・・なぜ飲まんのだ?!」

 さっきと同じに、ひと舐めしただけで、子猫は飲もうとしない。・・・・・・・・・困った。・・・・・・・・・いやちょっと待て!・・・温かいミルク。上がる湯気。だが、猫といえば・・・、

 「猫舌だった!!!」

 ガトーはカップを口元に運び、ふーふーと表面を吹く。ふーふーふーふーと何度も。ぴちゃぴちゃと子猫が舐めてくれるようになって、

 「よしやったー!」

 気分は汗だくのガトーが、本気で喜ぶ。・・・・・・・・・それから、ちょっと気恥ずかしくなり、誰もいないはずの部屋をなぜか見回してから、満腹になった子猫と一緒にベッドの上に寝転んだ。

 『みゃ〜みゃ〜みゃ〜〜〜。』
 「温かいな、おまえ・・・。」

 小さな小さな生き物。寝転んだせいで、目線の高さが一緒になる。白い毛皮、・・・ちょっと薄汚れた。今はまだ弱っちい感じだけど、もっとミルク飲んで元気になったら、洗ってやるからな・・・な・・・。ブルーの眼がこちらを見つめている。



 こんなに小さいのに温かい。・・・その温かさに眠気を誘われる。・・・・・・・・・いい・・・よな。・・・・・・・・・ガトーにしては珍しく午後遅くの昼寝となった。側らの子猫も一緒に。










 ・・・・・・・・・子猫と寝るガトーの図を見れたのは、ナンパに失敗して戻ってきたケリィ・レズナーただ一人である。



 (これは、これは・・・、ナイスショットが撮れそうだぜ。)

 後で色々使えるな、と思いながら、ケリィはこれまたクローゼットの奥に隠してあったカメラ(官給品)を取り出してくる。・・・だが、

 (ん?)

 フレームの中に写る子猫の様子がヘンだ。口元には、ミルクを吐き戻したような跡。・・・ようなじゃなくて、本当だ!



 「ガトー!起きろったら!」
 「・・・ん?ケリィ?戻ってきたのか・・・。今日は・・・、」

 と、そこまで言って、ガトーも目の前の子猫の異変に気づく。

 「おいっ!どうした!!」
 『・・・・・・・・・。』

 上半身を折るようにして顔を猫に近づける。体を揺すっても目を明けない。ぐったりしてる?・・・いや・・・・・・・・・、

 (死ん・・・でる。)

 「なぜだ!」
 「あーあー、やっぱ弱ってたのか・・・。」
 「ケリィ!」

 あまりにも呆気なく言うケリィが腹立たしく、ガトーはそちらを睨んだ。

 「おっと、猫が死んだのは、俺のせいじゃないだろ。・・・それよりどっかに埋めてやろうぜ。」

 まだ、その死が信じられないガトーは子猫を左手に載せ、やんわりと毛並みを撫でた。・・・ほんのりと温かい。時計を見ると眠っていたのは一時間と少しなのに。突然の死。何度も撫でてやる。が、やはり目は開かない。生き物が持つ鼓動も感じられない。

 「な、ガトー。・・・もうあきらめて、ちゃんと弔ってやろう。」
 「・・・・・・・・・ああ。」

 呆気ない死。










 最初にケリィがこの子猫を拾ったという教会裏の丘に埋めることにした。スコップで50cmぐらいの穴を掘り、子猫を横たえると上から土をかけた。それから二人で小さく十字を切った。不思議と涙は出なかった。・・・一緒にいたのは二時間ぐらいだろうか。涙が出るような関係ではなかったのかもしれないが、悲しい。・・・泣けないのに悲しい。・・・・・・・・・こんなにも悲しいのはなぜだろう。





 たぶんそれが、10代後半という多感な時代の意味なのだ。・・・初めての小さな小さな生き物との出会いと別れ。





 ちょうど暮れかけたオレンジの空が、丘の上の二人のシルエットを長く長く写し出していた。















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