トイレの窓の向こうには夕暮れだいだい色の空が広がっていた。いくつかの基地を転属してきたが、トイレでソレに手を添えて用を足しながら立つ位置の目線の先に、窓がある基地はここだけであった。肝心の用を終えてズボンのファスナーを上げながら、広大な麦畑の向こうに落ちる太陽を見る。それだけでベストな基地に思えてくるな・・・とのんきに考えていたら、携帯式の呼び出しベルが反応した。
 「よっ。とっ。」
 さっと手を洗って廊下に出ると、備え付けのテレフォンを取り、司令室に掛ける。
 「司令っ!大変です!今すぐお戻りを!!」
 「何事だね。」
 「何か巨大な物体がこちらに向ってきます!」
 「なんだと?!!!すぐ行く!」
 この基地に赴任して三年と少し。こんな慌てた通信兵の声を聞くのは初めてだ。夕陽を見たさに、司令室から離れたお気に入りのトイレまで遠征したことを後悔しつつ、基地司令はちょっと肉付きのよくなった身体で走り出したのだった。
黒い雨
 ジャブローからは何の連絡も命令もなく、突如現れた物体に、基地司令は単独で対処せねばならなかった。レーダー上の赤い光点の速度は標準的な大気圏突入速度をはるかに超えている。推定40キロ長の・・・・・・・・・、
 「コロニー・・・か。」
 「そうとしか考えられません。」
 レーダー前に座るオペレータが告げる。今は「コロニー再生計画」が発動中だ。コロニーがサイド3へ移送されているとは聞いているが・・・何らかの事故だろうか?
 (コロニーなら誰にも止められん。)
 苦しげな顔で、基地司令は己にできることを考えた。それもかつてないほどに一瞬で。コロニーの落着予想地点、そのもたらす被害予想、どちらも最悪の状態を示している。・・・・・・・・・急がねば!
 残された20分をどう使うかで、助かる命と助からない命の数を変えれるのだ。
 「非常時だ。管轄内の回線をすべてオープンにしろ!緊急放送を行なう。内容は、・・・そうだな。巨大な隕石と思われる物体が降ってくると。ポイントXX-XXから出きるだけ離れるように。それが無理ならシェルターに隠れるように告げるんだ。・・・頼んだぞ。」
 「司令っ?」
 言うなり、司令室を後にしようとする指揮官に、オペレーターがとがめるような声をかけた。
 「私は、ジムで出る。・・・衝撃と放射能に耐えられそうなのは、あれしかないからな。」
 「司令殿・・・。」
 一年戦争の折、オーストラリアに落ちたコロニーは、全形を留めなくとも最大直径500キロの穴を作った。6万メガトン級の衝撃。・・・それ以上のことが起こるだろう。他の基地も対処してくれるだろうか。
 「救護班の用意をしとけ。Aクラス災害用のマニュアルがあっただろう。それに従って動くんだ。任せたぞ。」
 ジムのコクピットから通信を入れつつ、落着予想地点から600キロの距離を保つポイントまで前進していく。20分で少しでも近くへ。・・・助かる命と助からない命。
 こんな仕事を部下に押しつけるわけにはいかないと思った。今は戦時ではない。・・・・・・・・・ルウム、オデッサ、ジャブロー、ソロモン、ア・バオア・クー・・・、いつも前線にいながら、なんとか生き延びてきた。あと少しで定年だ。・・・なんで今頃こんな目に。
 だが、部下に押しつけるわかにはいかないと思った。・・・・・・・・・基地司令はそんな人間だった。
 激しいアラート音。ノイズだらけで見えないモニター。振り切れそうな針。爆風。高熱。放射能。衝撃。
 「うわああああああっ!!!。」
 覚悟はしていたが、ジムが後ろにそっくり返ってしまった。強い風がまだ吹き続けている。揺れる。その不安さに、ジムの両手でコクピットを覆う。
 宇宙世紀0083年11月13日午前0時34分(現地時間11月12日午後6時34分)、コロニーは北米大陸に落着し、実り豊かな大地をめちゃめちゃにした。
 ・・・・・・・・・やがて風が止むと、空に真黒な雲が現れた。だいだい色の空をすべて消し去る黒い雲。・・・そして、
 「わー、黒い雨だ。おかーさーん、黒い雨だよ。」
 シェルターから這い出てきた子供が珍しさに無邪気な声を上げる。
 「黒い雨だ?」
 赤と白のツートンカラーのジムが、みるみる黒く汚されていく。薙ぎ倒された青い麦の上にも黒い粒が落ちていく。
 「・・・ダメだ!まだシェルターから出るな!!」
 頭上から降ってくる声に、機械であるはずのジムが喋ってるように思えて、子供がきょとんとこちらを見る。・・・後から出てきた母親が、慌てて子供をシェルターの中に引きずりこむ。
 黒い雨。コロニー落着の衝撃で膨張した空気が埃を舞い上げ、大きな雲を作り、急速に冷えていくと同時に、黒い雨を降らす。
 (放射能を含んだ、悪魔の雨。)
 知識でしか知らなかった光景が、知りたくもなかった光景が目の前に展開されている。
 「くっそーーーー!」
 基地司令はジムを走らせた。スピーカーを全開にし、雨が止むまでシェルターか家の中に入ろと、怒鳴りながら。
 黒い雨。
 ジムの目に溜まった雫が、まるで涙のように流れている。
 だがその涙は黒く。
 何ものも癒すことはない。
 基地司令の奮闘ぶりは、どの記録にも残っていない。
 ・・・・・・・・・ただ、人のように喋る機械と人のように泣く機械を覚えている少年が、どこかにいるかもしれない。
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