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ノーカラーの濃紺のスーツに、薄いブルーの綿シャツを合わせた男が、緑なす木々に囲まれた灰色の敷石の上を歩いている。
スーツ姿のわりには、黒のウォーキングシューズのせいか、カジュアルな雰囲気が漂う。男の身体が動く速度は、散策、というより目的の場所に向かって迷わず進んでいくという感じだ。男の一足ごとに、背中に掛かった銀髪が風をはらんで揺れている。
本物の木に見せかけた合成樹脂の白い柵の一個所に開いた門をくぐって、ようやく芝生の中、石が群れなす場所にたどりついた。
・・・文字が刻まれた、大きな四角い石。その上には、十字に組まれた飾り。
男は、右手に握っていた薄い黄色の花束をその前に置くと、静かに目を閉じる。
『生きて再び、墓前に立つこととなりました。・・・・・・・・・母上。』
月の一都市、フォン・ブラウン。
地球から月へ行くことが夢の夢だった時代、それを夢見て実現させた学者の名前を冠した街。
・・・・・・・・・地球圏に戻ってきたアクシズからの先行偵察艦が、最初に入港したのは、ここフォン・ブラウンではなく、グラナダであった。
凱旋ではないのだ。シャア・アズナブル大佐とアナベル・ガトー少佐は、連邦軍の監視の目を避けることを必要としていた。
グラナダは、あの一年戦争の終戦時までキシリア少将が占領していたこともあり、今でもジオンの影が濃く落ちている都市である。つまり、大っぴらに地球圏へ帰還できない逃亡ジオン兵にとって、隠蔽工作を進んでしてくれるような場所だからこそ、寄港もできるというわけだ。
二人を含めたジオン兵たちが、地球に戻ってくるための下準備は、帰還途上の艦の中と、受け入れ先のグラナダの両方で着々と行なわれてはいたものの、実際に現地に降りてからでないと決められないことも多かった。それに宇宙空間で交わす秘匿通信にも限界がある。
結局グラナダでほぼ一ヶ月を忙しく過ごし、シャアはこのまま月を含めたサイド側で反地球連邦政府勢力の動向を窺い、必要とあればさらに援助強化することに尽力する、一方ガトーは地球上へ降りて同様の任を務めることとなった。
『IDカード:No.xxxxxx-xxx:Name・・・・・・』
アナベル・ガトーの名はシャア・アズナブルほどではないにしても、軍関係に限れば、かなり多くの人に知られていた。パイロットとして『現代戦史』の教本に記載される程の実績に加え、全地球規模で行なわれた『デラーズ・フリート宣戦布告』放送の為でもある。
一年戦争の終戦協定では、ザビ家に罪を着せて、他の者の戦争責任が問われることは無かったが、なんといってもガトーは、その後の『デラーズフリート抗争』最高位の生き残りだ。抗争それ自体を無きものにしたい連邦にとって、無視するにはアナベル・ガトーの名は大きい。生き証人としての価値があり過ぎるのだ。元を断てば済むと、どこからかこっそり手が回るとも限らない。・・・逮捕拘禁とか、もっと言えば不自然な事故とか。権力を持つ側には、いくらでもその手だてがあった。
当初、新しい身分で地球に降りるよう勧められたガトーは、過去に諜報活動と縁がないこともあって、偽名を使うことを潔しとしなかったが、冷静にそれらの現状を分析した結果、不承ながら了解した。
『ガトー・ディアス・ニボラ』
・・・それが、ガトーに与えられた名前である。地球圏で暮らす以上、これから偶然ガトーのことを知る人間に出会い、声を掛けられても不自然にならないよう、本当の名前も織り込んだ。
普段は『ディアス・ニボラ』だけ名乗っておけば、余計な想像も産まなくて済む。
そういった身分は、一年戦争時の行方不明者リストから年恰好の似たような人間を選んで、『生きていた』ことに細工して得た。個人そのものよりもIDカードが優先される時代にあって、コンピュータの端末さえ操作すれば、さほど難しいことでもない。
フォン・ブラウン出身の連邦兵士、MSパイロット。生存の確認後、即時原隊復帰と同時に退役願。以後予備役に編入。・・・架空の経歴が簡単に作られていく。
「後は、地球へ降りるだけか・・・」
「はい、大佐。」
「シャトルは二週間後だ。・・・それまでに世間に慣れてもらわんとな。」
このまま地球に降りるには、確かに少しの不安があった。一年前とは違い、一般市民の間に紛れることも多いはずだ。だが、地球での流行りひとつ知らないのでは、いったいどこからやって来たのかと思われかねない。
他人の、だが偽造ではないIDも手に入れた。これまで一ヶ月近く、宿舎兼仮司令部たるこのマンションから外出していない。今なら、街を歩いていて万が一尋問されても、不都合はないはずだった。
「フォン・ブラウンに行きたいと思うのですが・・・」
「・・・?・・・ああ。君は、一年戦争の後、あの街に潜伏していたのだったな。」
「はい。あそこでしたら、土地感もありますし。」
シャア大佐には関係ないことだと上申していないが、ケリィのことも心に引っかかっていた。
フォン・ブラウンで散ったはずの親友、ケリィ・レズナー元大尉。なんとか機会を作ってと思っていたが、もちろん任務の方を優先せねばならなかった。今さら、何ひとつ出来ないことはわかっているが、せめて自分の足でケリィの暮らしていた場所へ行き、その死を納得したい。
「ここでの仕事は終ったんだろう、好きにして構わんよ。」
「ありがとうございます。・・・では、失礼します。」
そう言って、一ヶ月ほぼ毎日のように居合せた、シャアの執務室から、ガトーが去ろうとしたとき、背中に声が掛かった。
「・・・地球での任務を希望しているのに、変わりはないんだな。」
もう一度、その意志を確認するように。
「はい。大佐殿。」
「私は、あそこに降りたくないがね。・・・それから、」
振りかえったガトーのきっぱりとした口調とは裏腹に、シャアのどこかシニカルな声がそう告げた。
「今度会う時は、大佐ではないぞ。『クワトロ・バジーナ大尉』だ。・・・忘れるな。」
・・・・・・・・・いささか愉快気にも聞こえる。
『4つ目』の意味を持つ『クワトロ』を新しい名に選んだシャアにとって、それが本当に4つ目の名前であることを、ガトーが知る由もなかった。
月の一都市、フォン・ブラウン。
地球から月へ行くことが夢の夢だった時代、それを夢見て実現させた学者の名前を冠した街。
『何が、違ったのだろうか。』
デラーズ・フリートの一員として多くの犠牲の上に成し遂げた『星の屑作戦』。
だが、池に投じた石は波紋も作らず、むなしく沈んでいった。
『何が、足らなかったのだろうか。』
アースノイドの間ではコロニーの落下が、移送中の『単なる』事故にされてしまっている。
命懸けの戦いに、与えられた称号がそれだった。
・・・・・・・・・私はいったい『何を』見損なったのだろう。
アクシズにいる頃から、地球圏の情報がもたらされる度に、ガトーの胸の内で繰りかえされてきた疑問。
ガトーは母の墓石に、誰にも訊けないことを語りかけた。
フォン・ブラウンは、アナベル・ガトーの人生の中で、唯一軍とは関係ない思い出が散りばめられている場所だ。
父と母が出会った街。
一時の慰めを与えてくれた女性と過ごした街。
親友とやるせない思いを抱いてさ迷った街。
3年ぶりに訪れたこの街でガトーが最初にしたことは、母の墓を訪ねることだった。
3年前この街を出る時に、そうしたのと同じに。
「・・・また、伸びてしまいました。」
肩まで下ろした銀髪をかきあげながら、ガトーはあの日のことを思い出す。
その声は、彼を知る誰もが驚きそうなほど、優しく柔らかい響きだった。いつものどこか怒りを含んだような低い声とは違って。
3年前、休息の時を過ごしたフォン・ブラウンから『茨の園』へ向かう日、ガトーは何かに駆られるように肩まであった銀髪をばっさり切った。・・・そう、まるで何かを振り捨てるように。
決意と共に別れを告げにきたあの日、もう生きてここに来ることは無いだろうと思っていた。自分の死を予感していた訳ではない。死にたいと思った訳でもない。だが戦いの終り方は『死』しかないはずだ、それが当然だ、と考えていただけだ。
6歳で死に別れた母の記憶は、かなりぼやけている。母が恋しい訳でもない。旅立ちの日にわざわざ立ち寄ったのは、フォン・ブラウンでの思い出を忘れるため、彼なりのけじめの儀式だったのだろう。
だが、時は経ち、もう一度、髪を長くした自分がここにいる。・・・・・・・・・今度は何を告げるというのか。
「・・・不甲斐無いものです。」
申し訳なさそうに、ガトーが囁く。
物語りが上手で小さな彼に色んな話を聞かせてくれた。いつも静かに微笑んでいた。腰まで伸びた銀色の髪が光に透けるとキラキラと輝いて綺麗だった。優しい手で彼の頭を撫ぜてくれていた。
・・・そんな母の記憶。
フォン・ブラウンの大学へ留学中の父と恋に落ち結婚したのだという母の姿は、思い出の中で決して年を取らない。
10歳の時、父とも死に別れたガトーは、ジオン軍人の祖父の元で、その後の養育を受けた。国防隊時代からの生え抜きの将校である祖父が、孫のアナベルを引きとって最初にしたのは、その髪の毛をバッサリと切らせたことだった。
父の感傷だったのかもしれない。母の亡き後、女の子みたい、と言われながらもずっと伸ばしたままだった絹のような銀糸は、唇を噛み締め、こんなことで泣くもんかと決意した少年の足元に落ちて広がった。
こうしてアナベル・ガトーは、望むべくもない形で、少年時代の終りを自覚させられたのだった。
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・・・おんなじひにうまれたのに、
なぜぼくとおにいさんはぜんぜんちがうの?
なぜおにいさんはあんなにきれいなの?
あおいいろとしろいいろがぐるぐるとうずまいて、
ぼくもおにいさんみたいになりたいよ。
ぼくがもうすこしきれいなら、
ぼくのことすきになってくれたかな。
まいにちまいにちなきつづけて、
とうとうなみだがいってきもでなくなりました。
からだがからからにかわいてしまいました。
『月の涙』
ルビー・ルゥ著
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『・・・かわいそう。』
『そうね。でも泣いてるだけでは、何も変わらないのよ。』
懐かしいフレーズ。お気に入りだった絵本。・・・何故だろう?思い出す限りは悲しい物語のはずなのに。
墓地を後にし、フォン・ブラウン市の最下層にあるケリィの家を訪ねようとしたガトーは、途中で本屋に寄った。
・・・・・・・・・コンピュータ全盛の時代でも、紙に印刷された本は出版されていた。本の持つ温かみと手触りのやさしさは、決して電子の文字では得られないものだ。
「・・・ああ。これだ。・・・・・・・・・まだ売ってるのだな。」
絵本のコーナーにお目当てのそれはあった。その場でパラパラと立ち読みしようとして、なぜか急に気恥ずかしくなったガトーは、買う気のなかったその本をレジへと持っていく。
「プレゼントですか?」
「いいえ。」
そう答えてから、「はい」と言っておけば良かったと思う。・・・子供向けの絵本を自分のために購入したみたいではないか。
実際その通りであるのに、ガトーは包装された本を受け取ると、早々に店を後にした。
「・・・ふーっ。」
ガトーはレンタルエレカの助手席に本を置いて、エンジンをかけた。人波を横目に見ながら、低速で車を走らせる。何層にもなった地下都市を一段降りる度、周りの景色から色が減り、華やかさが失せていく。
・・・そうして、ケリィの家まであと少しという最下層までたどりついて、ガトーは思い出した。
あの絵本が好きだった理由。
『今の月と地球そのものね。地球に憧がれて、不平を言うだけで何も行動しないルナリアン。』
『地球から権力をみせつけて、弱いものに手を差し伸べることをしらないアースノイド。』
絵本を読みむ度、繰りかえされた母の言葉。・・・そして最後に必ず、
『忘れないで、アナベル。・・・小さきものの思いを。』
そういって、ガトーを抱きしめた。痛いほど抱きしめた。いつも、いつも・・・・・・・・・
その母の胸の温かさが好きだったのだ。
・・・ふわり、と
抱きしめられて、
幸せだった、
あの頃。
母がそんなことを言うのは、あの絵本を読み聞かせた時だけだった。子供のガトーには、さっぱり理解不能であったが。
そう、なぜ・・・なのだろうか。なぜ母はあの本に限って、そんなことを語ったのだろう。
だが母には。訊けない。・・・いや、訊くことはできるが、永遠に答えてもらえない・・・もらえないのだ。
『夜になったら、もう一度ゆっくり、この本を読もうか。・・・ふっ。やっぱりこの街は、私に合わんな。』
月の一都市、フォン・ブラウン。
地球から月へ行くことが夢の夢だった時代、それを夢見て実現させた学者の名前を冠した街。
そのフォン・ブラウンは、アナベル・ガトーの人生の中で、唯一軍とは関係ない思い出が散りばめられている場所だ。
・・・・・・・・・だからこうも要らぬことを思い出す。
アナベル・ガトーは、永遠に26歳のままの母に追いついた自分の年齢を、一瞬だけ憎んだ。
+ END +
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・・・難産でした(号泣)。
書きたいストーリィも決まっているのに、書けないという・・・
なんでかなー、よわっちぃガトー様を書くのがイヤだったのかな(^^;)。
今までにないほど、俺設定爆発してますので、納得できーんと言われても仕方ないです(泣)。
書く側としては、こういう話とラブラブを交互に書いていきたいのですが・・・
管理人@がとーらぶ(2000.11.27)
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