旧世紀、初の木星探査の為に打ち上げられたパイオニア10号は、小惑星帯を越えて木星に接近するまでに、一年九ヶ月もの月日を要したという。

 宇宙世紀と名を変えても、一年戦争の終結後に小惑星アクシズで再起を図ろうとした公国軍残党の都落ちの旅は、一年二ヶ月にも及んだ。補給艦や損傷の激しい艦や民間用宇宙船を含む船団の足は遅く、敗戦の日から心安らぐ時間も場所もないままに、宇宙を旅し続けたのだ。





 月と地球の距離、384、400km。





 地球と木星の距離、628,730,000km。





 太陽から遠く離れたこの寒い場所に、・・・・・・・・・光は、あるのだろうか。










星界の果て











 小惑星基地アクシズは、ジオン公国と月の企業連合体が共同で、木星への中継点として建設したものであった。ヘリウム等の資源を採掘に往く木星船団が往復の際に寄港するだけの辺境の基地。だから基地とは名ばかりで、守備隊と施設維持の為の人間がイチバンチ分より小さな『町』に暮らしている、という程度だった。軍事用の砦ではなく居住用の城としての役割を主に担わされてきたのだが、多数の公国軍残党の流入により、急に砦としての意味合いが大きくなった。その見かけの巨大さに比べて、はかどっていなかった内部施設の建設が急ピッチで進み、居住区画のモウサと呼ばれる部分も、核パルスエンジンも、この時期に竣工された。アクシズの人口は3万人にも達していたとされる。



 主たる住人となった残党軍より二年あまりも遅れてアクシズに到着したアナベル・ガトーは、幸いにして環境が整った状態でここでの暮らしを始めている。地球圏と同じクレジットが流通し、衣食住に必要なものを買うことができる。商業地区の食事処や喫茶店の数もそれなりにある。

 ・・・今まさにガトーは、コーヒー専門店で、その味と香りを楽しんでいた。ガトー『少佐』には、軍施設部の食堂、それも一般用に加えて士官クラス用も利用できるのだが、『外』まで出て、コーヒーを一杯、というのも好きだった。見知った顔ばかりが並ぶ軍の食堂や、従卒に運ばせたコーヒーを自室で嗜むのでは味わえない時間。コーヒーを飲むことだけでなく、コーヒーを飲むゆったりとした時間、が好きだったのだ。

 ちりりんと鈴が鳴った。ふとガトーは顔を上げる。そう、こうした商業地区で知り合いとしょっちゅう顔を会わさない程度には、それなりに喫茶店の数も増えたはずなのに、ここで会うのは、三度目だ。ガトーは、シャア・アズナブル大佐が鈴の付いたドアを開けてこの店に入ってきた時、もうここには来るまいと思った。アクシズを象徴する三人の人物、ミネバ・ザビとハマーン・カーンとそしてシャア・アズナブル。どこか非日常を求めてわざわざこの店でコーヒを飲んでいるのに、その姿は一瞬でガトーを現実に引き戻す。

 店の一番奥、4人がけのボックス席を一人で占領していたガトーは、それでも自分より階級の高いシャア大佐の姿に、席を立って視線を向けたままにする。シャアは軽く会釈をし、ガトーとは離れたカウンター席に座る。

「ココアを。」
「かしこまりました。」

(またココアか。何故この店に来るのだ。)

 とは、ガトーの呟きだ。この店の看板はコーヒーで、それも地球産の一級の豆が供される、ということで知られていた。遠いアクシズでそんなコーヒが飲めるのか、といえば、それが飲めるのだった。木星へ資源採掘に行く船団が、往路ここで地球や月やサイドで仕入れた品を降ろし、復路は木星でヘリウムを満載して地球圏へと向かうのだ。もちろん、軍部とのコネの度合いで調達できる品物の種類と量は異なるが。そのホンモノの味わいが好きで、この店を行きつけにしているガトーには、ココアを頼むシャアの姿に、渋面も浮かべたくなる。

 店主と何気に会話をしながらココアを飲むシャアは、それもまたガトーとは対象的だ。ガトーはいつも一人この奥まった席で、誰と会話することもなく、ただコーヒーを飲む。



 自分の場所を邪魔されたように感じながら、シャア大佐より先に店を出にくい、というわけで、ガトーはコーヒーを飲み干しても席に座ったまま、雑誌の字を追って時間を過ごした。



 二人の男の間に、交わされた言葉はない。















 例え訓練でもモビルスーツに触れていられるのは、嬉しいものだ。・・・・・・・・・嬉しいと、表現して良いものなのか、とは思うが。



 アナベル・ガトーにとって、コクピットの方が自室より落ちつける場所なのは、確かである。自室の場所も愛機の種類も次々と変わり、ひとつの場所に長くはいられなかった。軍人である以上、仕方がないことであるし、苦痛と感じたこともない。それでも人間としてどこか帰りたい場所があるとしたら、コクピットがいちばんそれに近いかもしれないな、と思う。ノーマルスーツを身に付けヘルメットを被り、外の空気と遮断された瞬間から、無事任務を果たして帰還し、再びヘルメットを取る瞬間まで、この狭い空間で多くの戦いを見てきた。多くの勝利を。あるいは多くの死を。そして2度の敗北を。

 時に戦いの合間のわずかな眠りを、戦友と会話を、たわいない夢やジョークも、絶叫や絶望も。



 新兵の訓練、であるのに、ガトーは稀に新兵たちに真似のできない、つまりは参考にもならないから教官としては不適切な動きをしてしまう。デモンストレーションではない。身体が馴染んだ自然な動きが、憧れとあきらめの溜息を誘う。訓練で到達できないレベル、というのは確かに存在する。でなければ、ガトーに『ソロモンの悪夢』などという異名はつかないはずだ。



 ・・・・・・・・・今日の課題は、視覚による帰還訓練。計器を当てにせず、ある程度離れた場所から、基点となる場所まで帰ってこれるかどうか、宇宙で位置を失う、というのはしばしばパニックを引き起こす材料になる。上下左右360度、方角がわからない、といのは怖いことなのだ。戦いの中で起こりうることを想定しての訓練である。

 モニターのマップから自機表示を消す。あとは、星と星の位置関係から推定して戻ってこなければならない。毎日訓練している空間である。もちろん無理だとあきらめた時点で、表示を入れ直せば帰還も可能だし、最悪ガトーに迎えにきてもらえる。・・・罰は厳しいものであろうが。



 ガトーも同じ状態で付き合う。表示を切って同じ条件で基点へと向かう。これまで一度として、訓練生に負けたことはない。口を酸っぱくして言う。モニターに頼るな。宇宙で生きるために、五感を磨け、と。・・・六感ではない。人間が人間として鍛えられる五感を。

 アクシズの中で、ニュータイプ、と呼ばれる存在を知った。全く信じられない、というわけではない。戦場での研ぎ澄まされた勘は、確かにあると思う。だが人の心が読めたりするだとか手足を使わずにモビルスーツを動かせるとか。自分には関係ないことだ。そんなものが戦いの行方を決める日が来るとしたら、ここで生きる意味は何なだ?・・・真剣に訓練に取り組む者たちの意味も、死んでいった者たちの意味も。















 ・・・・・・・・・ぎゅっ。

 アナベル・ガトーは時々その石を手の中に握る。HLVの重圧の中で握った時と同じに、きらきら光る、青いダイヤモンド。



 普段その石は、自室の机の三つめの引出しで眠っている。ストッパーが掛かった引出しを開けると、青い輝きが目に入る。それは、地球、アフリカのキンバライト鉱山跡で発見され、ノイエン・ビッター少将の手からガトーに渡されたものだ。希少なブルーダイヤモンド。資源と資金に乏しいジオン公国のために、大切に保管されており、地球から宇宙に上がるガトーの手で茨の園に運ばれた。帰還したガトーは補給担当に渡した。が、独断で処理するには、範疇を越えていたのだろう。エギーユ・デラーズ中将の元に届いたらしく、そうして結局デラーズの手から、正式にガトーに下賜されたのだった。

 「貴公が所持しておくが良い。・・・・・・・・・ビッターも喜ぶであろう。」
 「はっ。」

 第二次降下作戦でアフリカに降りたノイエン・ビッター少将の一党は、地球から宇宙へ戻りたいと願っても、地球から宇宙を眺めるのが精一杯だった。一年戦争末期の急激なジオンの衰退は、帰れない人たち、を多く地球に残した。三年もの時をただ待った。それでも希望はあった。いや、希望があると信じることが唯一の希望だった。

 宇宙で生きてた人間が、地球で死にたいはずがないのだ。この石には、三年分の思いが詰まっている。ビッター少将の、落ちついた笑みを思い出す。ガトーは、ぎゅっと石を握りしめる。せめてこの石だけでも宇宙に上げることができて良かった、と思いたい。



 (そうだ、この石には三年分の思いが詰まっているのだ。)

 デラーズ閣下がそれを知らぬわけがない。なのに何故、閣下は私に。・・・・・・・・・星の屑作戦の最高責任者として、自分の死を予期なさっていたのか。・・・・・・・・・となると結局、この石には二人分の思いが詰まっているのか。ビッター閣下の、デラーズ閣下の。



 ブルーダイヤモンドは何も答えない。・・・そしてまた引き出しの奥に眠る。















 ・・・寒い。・・・・・・・・・眠れない。



 シングルサイズの固定型ベッド。もう長い間、一人で寝てばかりだな、と時に思う。アナベル・ガトーとて、ごく普通の26歳の成人男性である。人並みに性欲もある。戦場暮らしが長く、まったく女気がなくても理性で我慢できる。抱きたい、ではなく、触れたい、かもしれない。人肌の温かさを知っている。だからその温かさを求める。

 戦場で一時の恋に落ちるものもいたし、たった10分の休憩で狂ったように愛し合うものもいたし、それが吐き出すだけのセックスであろうと嗜好はそれぞれだと認めてきたつもりだし、・・・ただ自分はそういう人間ではなかった、というだけだ。

 茨の園には、女性が一人もいなかった。それは茨の園が恒久的な基地ではないことを意味していた。・・・・・・・・・恒久的であってはならなかった。月やサイドへの短い休暇でアバンチュールを楽しむものもいたが、ガトーは茨の園に帰還して以降、女に触れていない。だが人肌の温かさは忘れていない。・・・寒い。



 若い頃、生真面目に腕の中に誰かを抱いて眠ることを避けた。いざという時の腕のしびれすらパイロットとしては許されないと考えていたからだ。実際は休暇中に呼び出される事態は一度も起こらなかった。















 眠れないついでに、展望室まで出向いてみる。モウサの一番外側に近い部分、強化ガラスを嵌め込んだ場所。アナベル・ガトーが手を伸ばして触れたガラスの二枚向こうは、光の海。太陽も月も地球もわからない。ただの光の海。



 ブルーダイヤモンドは、本来ならアクシズの首脳部にでも渡すべきなのだろう。・・・・・・・・・ハマーン・カーンに献上すれば、少しは覚えめでたくなるかもしれない。だが、ガトーは権力闘争から距離を置きたかった。ドズル閣下の遺子ミネバ・ザビ様はもちろん大切な方だ。だからこそ、あのお年で旗印に使われるのは忍びない。しかし自分は一介の少佐に過ぎない。

 ギレン派とドズル派に別れての派閥争いは、ハマーンが摂政になって以降、表面上は収まっていた。だが、首脳部もきっちり半分ずつ二派が陣取っている。アクシズはデラーズ閣下が目指したものと違うものを目指している、という気持ちが日に日に強くなる。ビッター閣下の、デラーズ閣下の、思いが詰まったこの石を、渡す気になれない。



 光の海で、遠さにも寒さにも負けず訓練に励む新兵たちに、微かな希望を求める。・・・・・・・・・希望を求めて自分を奮い立たす。















 アクシズにも朝は来る。・・・朝が来ても、何も変わらない。それはただ朝の時間が来た、というだけだ。



 宇宙生まれの宇宙育ちで、サイド3以外のコロニーにも行ったことがあるガトーは、コロニーの空の色がそれぞれ違うことを知っている。密閉型と開閉型では、光の量が違う。古いものと新しいものでは、土と水の量が違う。そうして空の色が違う。濃い青、薄い青、紺に水色に群青に。地球の人間なら、コロニーから見る空なんてどこでも一緒、だろうが、違うのだ。

 コロニーには、空があった。見せかけの空に過ぎなくても、雲が流れ、雨が降り、光が射しこむ空が。だが、アクシズには、その見せかけの空もない。アクシズから見る太陽はあまりに遠く、あまりに小さく、だからここは、寒い。





 アクシズに竣工された核パルスエンジンは、地球圏へこの基地ごと帰還するための推進システムである。いつの日か、かならず生まれた場所へ帰りたい。・・・いや、帰るのだ!





 それでも太陽から遠く離れたこの寒い場所に、光は、見えない。・・・・・・・・・アナベル・ガトーはただ今日の任務につく。















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このぐらいのお話になんで時間がかっかったのかといえば、
NASAのパイオニア計画のページを解読(翻訳ではない/爆笑)してたからで。

↑誰もそんなことわからないよなーと思って、自分で主張してみました(笑)。

管理人@がとーらぶ(2002.05.10)











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