ジープの屋根の上に載せられた犠牲者の手首。
 その回りを囲む人々。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・忘れられない一枚の写真。
 モジュールがやっと慣性飛行に入った。と、同時にシートベルト着用のサインが消える。それを見て、アナベル・ガトーはベルトを緩めて席を立つ。歩き出す。一歩、二歩。意識して踵を床に押し付けないと身体が宙に浮く。・・・久しぶりのこの感覚。・・・・・・・・・無重力の。・・・・・・・・・ここは宇宙。
 『当機は予定通り航行中。フォン・ブラウンへの到着予定時刻は・・・、』
 人気女性アナウンサーのコピー音声が流れるが、ガトーはそれが有名な声だとは知らない。もしも乗客がシャア・アズナブルなら、マリア・カラサの声だと聞き分けるのだろうが、ガトーにはそういう興味は無かった。例えばアクシデントで到着時刻が変更されるとか目的地が変わるとか。・・・そうなって初めてガトーにとってこの声が意味のあるものになるのだ。
 このモジュールはフライトアテンダントがいない便だ。ガトーは、船尾に備えつけられた携帯ドリンク用のバーで飲み物を選ぶ。アルコール類は置いていない。無重力では酒の回りが良くなる。ヘタに酔っ払われては、飛行の安全が確保できないという理由による。コーヒーに紅茶にオレンジジュースにコーラ・・・、結局ガトーはミネラル・ウォーターのボトルを取って席に戻った。シートベルトを締めて、それからストローに口をつける。ごくり、と一口。狭い船内は満席だった。地球から飛び立つ人々。何度も往復しているらしいビジネスマン風の男。これ見よがしなティターンズの制服姿の人間。重役っぽい中年オヤジと若い娘。・・・そして一人きりのガトー。
 『ジープの屋根の上に載せられた犠牲者の手首。その回りを囲む人々。』
 その写真をガトーが目にしたのは、オークリーにある小さな新聞社のロビーで行なわれた『戦後』と題された報道写真展であった。
 一年戦争では、ここ北米の穀倉地帯もジオンの占領政策の対象となったが、ジオンも馬鹿ではない。いずれ自分が支配する予定の土地を荒らすつもりはなかった。0080年を迎えたオークリー近辺は、旧世紀以来の街並みがぽつぽつと残る、田舎じみた、だが美しい土地だった。無事に戦争を乗り越え、・・・そして0083年11月13日のあの日、その光景は一変したのだ。
 その手首は、小さく、恐らく子供のもの。そして手首にはあるべき腕が続いていない。・・・本当に『手首』だけなのだ。・・・・・・・・・衝撃で千切れ飛んだ手首が、窓ガラスが粉々に砕け、ホコリにまみれた緑の車体を晒すジープのへこんだ屋根の上に無造作に置かれ、その回りを数十人の人間が囲んでいる。その瞳は、手首を見つめているようで、もっと遠くを見ているような。・・・あるいは、何も見ていないような。ジープと同じく薄汚れた顔。髪の毛が妙にもさもさとして乾いたようで。
 手首は彼らの家族のものだろうか。息子の?娘の?・・・いや、こんなになるぐらいだったら、家族みんな死んでしまったのかもしれない。知人か親戚か近くに住む人か顔見知りの。
 圧倒的な現実を前に、『絶望』を見た人々。
 たった一枚の写真に、ガトーはそれほどのものを見た。・・・見てしまった。
 だからといって、アナベル・ガトーは、コロニーを落としたことを後悔はしていない。決して。
 だが・・・・・・・・・、
 もう一度、ジオンの為に、『コロニー落とし』が必要なのだと言われたら、
 (私にやれるだろうか)
 私はやるだろうか。
 ・・・・・・・・・忘れられない一枚の写真。
 戦後、という。
 まだ終わってもいないのに。
 コウ・ウラキと引き換えにしても、行かねばならなかった。
 終わらせる、ために。
 『フォン・ブラウン到着十分前です。シート・ベルト着用のままお待ちください。』
 マリア・カラサの声と久しぶりに見る大きな月面と小さく連なる灯り。
 ・・・・・・・・・コウ・ウラキと、幸福と、・・・その引き換えに。
+ END +
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イラク戦争で、報道カメラマンの『宮嶋茂樹』さんが撮った写真より。
・・・ほんとは、戦争が終わる前にアップしたかったのですが(苦笑)。
管理人@がとーらぶ(05/02/2003)
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