十一月のオークリーは、もうすっかり秋の気配を脱ぎ捨てて冬の衣をまとい始めている。基地をとりまく更地の茶色と麦を刈り取った跡の茶色。おまけに灰色の金網で区切られた、連なる灰色の建物。こうなると基地外の演習地から格納庫まで二本足で歩いて戻ってくるジムやゲルググの迷彩色の方が生き生きとした色を成してるように見える。
フォン・ブラウン市を後にして、二週間あまりの地球上での生活。もっと早くここに来れたのだが、どうしても足が向かなかった。そもそも、ここに来たい、いや、ここにいる男に会ってみたいと思ったからこそ、地球圏に帰ってきたのだが。・・・自分の中の矛盾を消化できないまま、黄色と黒の斜線が眩しい停止板の前で運転してきたネイキッドタイプのバイクをゆっくりと止める。
ゲート脇の詰所に立つ当番兵。当然、連邦軍の制服。階級章は・・・二等兵か。IDカードを見せると、当番兵は日付や氏名の浮かぶモニター画面と比べた。取材の予約は事前に入れてある。インターカムに向かって何か喋っているが声が割れてよく聞き取れない。
「・・・シャノン大尉は予定がおして、まだ格納庫にいるそうです。迎えをよこすと言っておられますので、そのままお待ちください。・・・車はそちらに。」
「了解した。」
ガトーは、返却されたIDカードと一緒にプレスカードを受け取った。顔写真入りのそれを胸元に付ける。氏名欄には『Mr.D.ニボラ』と書いてあった。まだ自分の名前として慣れてないが慣れるしかない。
ディアス・ニボラ氏の公式の身分はアナハイム・エレクトロニクス社の社員であり、その身分はアナハイム側と半地球連邦勢力との繋がりを密にすることを目的として与えられたものである。シャア・アズナブルがクワトロ・バジーナとして宇宙側からエゥーゴを動かそうとしていたのと同様に、地上の反対勢力の現状分析・組織的再生及び援助が彼の主たる役割であった。巨大複合企業アナハイム・エレクトロニクスの福利厚生部門でトラベル担当、ということにしてしまえば、地球でも月でもサイドでも何度旅行しようがそれは職務でありなにかと都合が良い。仕事がらみのインタビューを交えつつ、その土地の風土名所等を紹介する記事を社内誌用に書く。・・・まったく今の身分に相応しい仕事。このオークリー基地へもその取材としてやったきたのだった。
迎えを待ちながら金網の回りとぶらっと歩く。タバコでも吸えば手持ち無沙汰に見えないのだろうが、あいにく紫煙を燻らす趣味はない。・・・基地と外との境界線。獣返しの付いた金網。たったそれだけの境界線。夜になると流されるはずの電流も今は切ってある。監視の目を盗んでよじ登ることもできそうな。
(だが、この金網の向こうにあの男は、いるのだ。)
・・・ウラキが。・・・・・・・・・腐った連邦、とあの男に言った。その私が、こうして連邦の基地の前に立つとは。
『ブロロロローッ・・・』
遠くから、低いエンジン音がする。あれが迎えの車だろうか。ガトーは、空を見たり、遠く山並みを見たり、・・・落ち着かない風情。
(どくん。)
だんだん大きくなる音。運転席にいるのは、黒髪の兵だ。たぶん男。ほどほどに褐色の肌。オークリーのMS小隊に取材を申し込んだのは、もちろんコウ・ウラキに会う機会を願ってのことだった。もし会えなければ?・・・それでもまだ会いたいのか、そうまでして会いたいのか、考える時間にもなると思った。・・・だが、いきなり、か。
(どくん。)
・・・・・・・・・横目で車の来る方を見る。もう十分に確認できる。間違いない、ウラキだ。・・・私を見て、驚くだろうか、叫ぶだろうか。ウラキの方は気づいてないだろう。こちらは完全な私服だし、名も異なっている。キューイ、というブレーキの音。それでようやく車が側まで来たのに気づいたのだという態で、顔をそちらに向ける。長袖の連邦軍服。片足を車の外に出し地につける。そして残りの足も、降りる。歩いてくる。全身が見える。
(どくん。)
途端、釘付けになるコウの視線。次に、真偽を確かめるかのように目が見開かれ、それに何か言いたげな口元。・・・そうだ、私、だ。まだ信じられないようだ。声を、かけてみる。
「・・・ウラキ。」
その声に釣られたように、ふらっと力ない足取りでコウが近づいてくる。一歩、また一歩。そしてやっと出た言葉は、
「なぜ・・・だ?」
(・・・・・・・・・なぜだ?・・・・・・・・・そう、なぜなのだろうな。)
ニナ・パープルトンの肩を借りてコロニーを脱しようとした時、コウはただガトーを睨みつけて、とまどいや怒りや嫉妬をない交ぜに行き場ない感情の塊をどうにか押さえようとしていた。・・・忘れえない、あの憎しみに満ちた視線。ほぼ一年ぶりの再会。
なぜ、コウ・ウラキに会いたかったのか、・・・ここに来るまで何度も繰り返した問い。
アナベル・ガトー。ジオン軍元少佐。軍籍は今だアクシズのままであるし、その魂は変わらずジオンのもの。
その男が今、連邦の門をくぐろうとしている。
・・・・・・・・・連邦の男に会うために。
![]() |
(・・・・・・・・・ああ、こんな顔、だったな。)
柔らかそうな黒髪に縁取られたちょっと丸めの顔。黒い眉が前髪に隠れているせいか一見優しげで、だがその下の黒い瞳は真剣そのもの。何もかもこの目で見てやろう、とでもいうように。高くも低くもない鼻とよく変化する口元は、親しみやすい雰囲気を醸し出すが、からかいがいがありそうな子供っぽさも持ち合わせているように見える。
一年ぶり。・・・たった一年かもしれないが、一年前、顔を合わせたのは、三度ほど。モニター越しの時間を加えても30分に満たないのではなかろうか。別にこの顔がいつも忘れられなかった訳でもない。アクシズに居た頃、ふと考えた。あの男は今も連邦を信じられるのか、信じているのか、と。ソーラ・レイIIの光を受けてもなお、連邦の為に戦っているのかと。最後は『懸命』な顔をしていた。その顔を思い出す間隔がだんだんと短くなり、コウと話してみたいと考え始め、そして今ここに立っている。それは、ガトーの中から信じうるものが欠けてしまったことへの反作用に過ぎない。が、ガトーはまだそのことを深く意識したくないのだ。
(・・・。)
(・・・。)
詰所の前で、ガトーとコウが向かいあったまま、時間が過ぎていく。兵達は何事かといぶかしんでいるだろうが、当の二人がアクションを起こさない手前、見ないフリをしている。突然、びゅっと11月の強く寒い風が吹いて、ばさっとガトーのショートコートが翻った。その音に二人とも我に返る。コウの問いに答えるように、やっとガトーが口を開いた。
「敵を知らねば、戦いようがない・・・。」
確かに、そうも思った。だがその声はガトー本人にもずいぶんと自信無さげに聞こえた。
「・・・・・・・・・まだ戦うつもりなのか?・・・まさか、この基地を?」
「・・・・・・・・・。」
どうやら言葉選びに失敗したようだ。連邦の基地に入っておいて、戦い、などと言うのではなかった。たぶん、自分と同じにウラキもトリントン基地襲撃を思い出しているのだろう。
「そうだよ、なんでここにいるんだ。そんな姿で。・・・ニボラだって?・・・アナハイムの社員だって?!いったい!!!」
ガトーの沈黙に勇気づけられたのか、コウの方が続けざまに聞く。だんだんと声のトーンが大きくなり、ガトーの胸倉を両手で掴む。だからガトーは、今ここでそれに答えるわけにはいかなくなった。
「・・・取材の時間が無くなる。シャノン大尉のところに連れていってくれるのだろう?」
「・・・・・・・・・ちっ。」
両手を肩の辺りまで上げ、あたかも降参のようなポーズを取るガトーに気勢をそがれたコウは、手を離すとくるっと背を向けて車に向かった。
「ついてこいよ。」
ガトーは、コウの隣に座った。・・・・・・・・・ジープが走り出す。二人はまた黙り込んだ。しばらく走って、なぜ隣にこの男が座っているのか、二人とも身体の中にうずき始めた落ち着かない違和感を感じていながら、ずっと黙ったまま。とうとうエンジン音だけが響く中、車はMS格納庫まで走り続けた。
「・・・では、大尉のお仕事をわかりやすくご説明していただけますか。」
「そうだな。まずここでは・・・、」
格納庫の片隅で、ガトーの、いや、ニボラ氏のインタビューは続いていた。時々ガトーは背中に強い視線を感じる。明日の準備に忙しいはずのコウが、作業の合間にガトーの方をちらちらと見ている。ここまで連れて来たということは、いまさら騒ぎ立てる気はないらしいが、気にしておかないと万が一、ということもある。不意にカツーンと甲高い音がして、ガトーとシャノン大尉が聞こえた方角を見ると、コウがなぜかスパナを足元に落としたようで、それを拾うために腰をかがめていた。ふぅと目の前の大尉から小さな溜息が漏れた。ガトーは何となく笑いがこみ上げる。が、真顔で話を続けた。
「オークリーは、どんな街でしょう?」
「ははは。のんびりとしたところです。ごらんのように基地以外は目立つもののない小さな街ですからな。」
どんな組織にも派閥というものがある。ジオンでいえば、公王派、ギレン派、ドズル派、キシリア派に分れ、中でもギレンとキシリアは派手に権力闘争を繰り広げ、自分で自分の首を絞めることとなった。ここオークリー基地と基地司令は連邦軍の主流派から外れているらしい。MS実験場を中心とした後方支援的な基地だからだろうか、ガトーのよく知る前線基地とは空気が異なっている。そうだ、軍に特有のあのピリピリした空気というものがない。・・・単にジオンと連邦の違いか。核弾頭が保管してあったトリントン基地でさえ、戦いなんて、という雰囲気に満ちていた。だからあんなに易々と新型ガンダム強奪をやってのけた。戦おうとする人の意志の力、が感じられないのだ。怠惰で安穏で、それは以前のガトーならば唾棄すべきものだったであろう。だがそんな連邦軍の前にデラーズ・フリートの施策は成らなかった。多くの人間の命と三年もの時が賭けられながら、こんな連邦軍を相手に、勝てなかったのだ。・・・ガトーに連邦を罵れるだろうか。・・・・・・・・・否。
「・・・最後に写真をお願いします。」
「男前に頼むよ。」
実験機の一部だけが写るようにフレームワークを決めながら、ガトーがシャッターを切る。背後にコウが近寄る。シャノン大尉からはその姿がよく見えたのだろう、コウに、
「ウラキ少尉、ニボラさんを食堂に案内してやってくれ。・・・では、私はこれで。」
「はいっ。」
「ご協力を感謝いたします。」
整備班の陣取る部屋へ消えたシャノン大尉。後にはガトーとコウが残った。渋々、っぽい表情を浮かべてコウはまたガトーをジープに乗せた。
「・・・まだ新米か?」
格納庫にはコウの他にも人がいた。なのにコウに案内を命じたことを指してガトーが聞く。
「ここでは、俺が一番下っ端なだけだ!新米と下っ端は違う!!」
コウはむかついたようだが、あまりにストレートな反応にガトーはつい笑ってしまう。急にキーっと派手な音を立てて車が止まった。運転席のコウが身体を反転させてガトーを睨みつける。
「教えろよ!・・・なんでここにいるんだ?・・・いや、だいたい俺はあんたは死んだって聞いてた。それがアナハイムの社員だって!いったい何を企んでいるんだ。」
「・・・・・・・・・質問が多いな。もっと理路整然と聞くものだ。それでは答えにくい。」
「馬鹿にするなよ!あんたがガトーだって通報したっていいんだぜ!!!」
「まぁ、待て。・・・一つ、ここにいるのは、取材のためだ。二つ、現に私はこうして生きているのだから、死んだというのは間違いだ。三つ、戦争は終わった。私とて生計を立てねばならぬからな。アナハイム・エレクトロニクス社に就職したのだ。・・・四つ、何も企んでなぞいない。以上。」
興奮するコウを圧倒するように答えるのがガトーだと思っていたが、どうやら様子が違う。しかしこれでは自分だけが愚か者みたいだ、とよけいにコウは大声で聞く。
「おまけに、そのふざけた名前はなんだよ?!・・・ディアス・ニボラだって?!!!」
「・・・・・・・・・五つ、しょうがないのだ。私が生きていては都合が悪いらしい。ジオンではなく、連邦がな。・・・死んだ、と聞かされていたのだろう?」
ハッ、とコウが驚いた顔をした。連邦が、・・・そうだ、自分とて懲役刑で四ヶ月近くを軍刑務所で過ごした。あげく途中で出されたと思ったら、その理由が、・・・コロニー落下の真相隠しとガンダム開発計画の抹消。退役は認められず、『何も話さないよう』に念をおされて後方基地への転属。そんな中、デラーズ・フリートの実戦指揮官が突然現われたら?
だからと言ってガトーが述べたことをすんなり受け入れるには悔しい。そういう目に合わされたのだ。あの戦い、ニナのしたこと、目覚めた時の孤独と怒り。何もかも。あの時。
どうしようもなくなって、コウは前を向きなおすとアクセルを踏んだ。がくん、と車が揺れて発進する。隣でガトーの銀髪が揺れるのが目に入った。・・・その髪は短かった。
「まずいコーヒーだけど。」
「・・・ほんとに、まずいな。」
士官食堂に入ると、ガトーはコーヒーだけを、コウはトレーにサンドイッチとコーヒーを載せて、窓際の席に向かい合って座った。午後4時過ぎ。夕食にはまだ早く、席の埋まりは一割といったところか。ガトーとコウを気にかける者もいない。
「ソロモンのコーヒーはおいしかったぞ。」
ガトーが淡々と喋ったので、とんでもないことを言ってるのにリアルさがない。そうだ。この男は、一年戦争の時、ソロモンにいたんだ。・・・なんたって『ソロモンの悪夢』だし。・・・じゃぁ、
「ガンダムも見た?」
「貴様だって、ガンダムに乗っていたではないか。」
「俺が聞いてるのは、すごいガンダム、のことだよ。・・・アムロ・レイの乗ってた。」
「ああ。・・・・・・・・・途中ですれ違った、ぞ。」
「うそっ?!」
「・・・嘘だ。」
やはりお互いがお互いともそんな会話を続けていることに違和感を抱きながら、それでも会話は進む。連邦の基地の中の士官食堂で。私服のガトーの軍服のコウと。
「・・・・・・・・・あんたに、もう一度会えたら・・・、」
「会えたら?」
コーヒーとサンドイッチが腹に収まり、『世間話』のネタも尽きた頃、コウが言った。
「殴ってやろうとか、文句を言ってやろうとか、考えていたのに。」
「・・・そうか。」
(やめてくれ。拍子抜けする。こんなのガトーじゃない。)
目の前で、静かに受け答えするガトーは、自分の知ってるガトーとは思えない。どうしてこの男が、こんなに静かに笑うのか。そういえば・・・、オークリー基地に赴任したばかりの頃、コウも『コウっぽくない』と、何度かキースに言われたことがあった。あの時の俺は・・・・・・・・・、
(この男も、傷つき迷ってるというのか。)
ガトーの方は、記憶の中のコウの顔を目の前のコウと重ねていた。時々瞳に強い光が浮かぶのはあの頃と同じ。だが無防備に思える表情がそれに混ざる。どう解釈すればいいのかわかりにくいな、とも思う。こうして連邦に身を起き、軍務には励んでいるように見える。とくに投げやりな感じも窺えない。・・・貴様はあの戦いに何を見出したのだ?
少なくとも、自分よりは前向きに見えるコウに、ガトーは聞きたかったこと以外しか話せない。
「・・・ニナは元気か?」
がたーん!と椅子が倒れそうになるほどの勢いで、コウが席を立った。一瞬、食堂がしんとして視線がこちらに注がれる。コウは自分の過剰な反応がイヤになって、小声で答える。
「ニナならに月に帰った。」
「・・・すまなかった。」
失言続きだ、とガトーは苦笑するが、あやまられるとコウは余計に身の置き所がない。ゲートまで送ります、と急に他人行儀に言った。ガトーも席を立った。
今日、三度目のジープの隣席で、何もわからないまま、すごすごと引き上げるのか、とガトーは自問していた。連邦の基地に来たからといって、ウラキに会ったからといって、それだけでどうにかなると、自分は思っていたのか。思っていたのだろうな。少なくとも今よりはマシになると。拭えない喪失感。そんなものを感じるのは、まったく私らしくない。
「オークリーには、今週いっぱいいる予定だ。・・・お勧めのレストランはあるか?」
聞きたいことは聞けないのに、世間話だけが続く。
「はぁ?・・・・・・・・・まぁ、ないこともないけど。今週いっぱいか。・・・・・・・・・金曜の夜なら、俺が案内してやろうか?」
「・・・・・・・・・では、頼む。」
ガトーの意外な問いに、コウの答えはもっと意外だった。当のコウも内心驚いたほどに。
二人ともまだ足らないと、どこかで感じていたのだ。ここで会ったのは、こんな世間話をするためじゃない。確かめなければならないものがあるはずだ。ここでこのまま別れたら、たぶん一生不可解なものを抱えて、生きていくのだろうと。
「じゃぁ、金曜日の8時に、ここで。」
「わかった。」
詰め所にプレスカードを返して、ガトーはバイクにまたがる。車に乗ったままのコウに見送られながら、何も奪わずただ約束だけを得て、オークリー基地のゲートをくぐる。十一月の風はバイクに乗るには少し冷たい。それでもガトーはその風に当たりたかった。
連邦の男に会いに連邦の基地へ入った自分。
連邦の男に会って連邦の基地を出た自分。
これまで自分の力で得られぬものはないと思い、そのために力を尽くして生きてきたのに、なぜウラキに会うだけで、何かが得られると思ったのか。
茶色い大地を、ガトーのバイクが駆ける。・・・・・・・・・数分でゲートは遠くなった。
+ END +
戻る
+-+ ウラの話 +-+
書くのに苦しんだ、というよりは、書く前に逃げてた、って感じで、
・・・・・・・・・お久しぶりですー(笑)。
管理人@がとーらぶ(2002.03.25)
Copyright (C) 1999-2002 Gatolove all rights reserved.