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機械油の、慣れない人間には鼻をつく匂いと、工具と装甲がぶつかりあって響く乾いた金属音が独特の雰囲気を醸し出す。せわしなく動き回る人の群れが四方に数10メートルも飛び交って、ここが無重力の空間であると、その動きで表している。たった今、ハンガーに格納されたばかりの09には、整備兵が取りつこうとしていた。
この格納庫は、どうしたことか、金属の壁と剥き出しの岩盤からできている。・・・まだ建設途上といった趣だ。
「少佐殿!」
その09のコクピットから出てきた、伍長の襟章をつけたノーマルスーツ姿の兵士が、宙を飛んで憧れの教官の前に降り立とうとする。
・・・ざわざわざわ。
だが、伍長のお目当ての教官は、すでに多くの教え子に取り囲まれていた。わずかな時間を、自分こそが、その教えを乞うことを競って。
「ガトー少佐。自分は、急制動から急加速への切替えが上手くいきません。フットペダルを踏むタイミングが悪いのでしょうか。」
列の一番前につけた兵が、頬を紅潮させて教示を願う。20歳になるかならないかといった若さだ。
「うむ・・・確かに先ほどの演習では、遅れがあったな。・・・だが、よく気づいた。計器盤だけを見ているからだ。もちろん、それも大切だが、身体でジェネレーターの振動音を覚えるんだ。計器が壊れることもあるのだからな。そもそも・・・」
190cmを超える長身に、ノーマルスーツ越しでもわかるたくましい体つき。だが、軍人には不似合いなはずの長髪が、この男のどこか繊細な一面を示しているようにも見えた。ヘルメットを小脇に抱え、まっすぐな姿勢で立っている。
・・・地球からほど遠い、アステロイド・ベルトにある、要塞アクシズ内のMS教練所。
一年戦争時ジオン軍が誇ったエースパイロット、そしてデラーズ・フリートの勇、アナベル・ガトー少佐は、ここの主席教官を務めていた。
「英雄」ガトーにふさわしいのは、本来「最前線」のはずだった。作戦計画を立てるにも、MSを自分自身で駆って宇宙を翻弄するにも。だが、ここアクシズに、最前線は、ないのだ。あるのは、ただ、いつか来る「時」に備えて、力を蓄えるための潜伏の養生の鍛錬の場。彼の輝かしい戦歴に比べたら不釣合いに思える、MSの操縦理論や実戦レベルの操縦テクニックを教授するという任務も、とりわけ閑職に回された訳ではなかった。
とにかく、アナベル・ガトーがその実力を生かせる場が、他になかったのだ。
「どうしてもペダルが最後まで、踏み込めないのです。・・・その身体が押し付けられるような気がして。・・・申し訳ありません。」
アナベル・ガトーに対して、つまらぬ発言をしたとの自覚があるのか、慌てて謝罪の言葉を付け加える一兵士。
「・・・そんなことでは、いかんぞ。軍人たるもの、まず、基礎体力の充実を図らねば、満足に戦うこともできぬ。」
だが、ガトーは堅い口調ながら、決して怒るではなく、淡々と説いていく。
この教練所の兵士たちにとっては、憧れの「ソロモンの悪夢」からMSの実戦操縦技術を教えてもらえることは、この上ない喜びだ。出来が悪いと怒鳴るだけの教官や、個人ごとのレベルも考えず、自分の理論を披露するだけの教官などと違って、受けも上々だった。
(雲の上の人のはずなのに、一人一人の実力に応じて、きめ細やかな指導をしてくれる・・・)
と。
「少佐殿!大変失礼ではありますが、来週のペイ・デーに、我々で親睦会を予定してまして、ぜひ出席をお願いしたのですが。」
「・・・」
突然の申し出にガトーは、少々驚いた。だが、ここに集まっている兵士たち全員が、肯定の返事がもらえるのを期待して、彼を見ているではないか。
「その、できればなんですが。」
「よし・・・同席させてもらおう。」
わぁー!と歓声が上がる。この閉ざされ、隔離された空間では、彼らの楽しみも少ない。憧れの人と同献できることを、純粋に喜んでいる。酒の席ともなれば、新しい武勇伝が聞けるかもしれない・・・燃えるような彼らの期待。
地球から遠く離れ、もしかすると、時代から取り残されつつあるかもしれないというのに、ここに居る者は全員、この状況に満足、していた。
・・・アナベル・ガトー、以外は。
ガトーは、私室ではなく、教官としての研究室で、報告書をまとめていた。高級士官に相応しく、広々とした部屋が与えられているが、調度品は唯ひとつだけ。机についた時、背にあたる壁に、ジオン公国の国旗が飾られているだけだ。
彼に授与された数々の勲章は、暗礁宙域にある「茨の園」内に残してきた。今も同じ宇宙にあるか、もしくは勝利を得た連邦軍がすでに接収済みかもしれない。地球からアクシズまでの距離は、情報を早さ、信憑性共に、著しく悪化させる。もはや、確かめようがなかったし、目に見える形での自分の武勲に、彼はこだわっていなかった。
「・・・集団戦法と個人戦法の違いについて、か。」
アナベル・ガトーのモスグリーンをメインカラーとした軍装は、軍服に美しいという表現を使って良ければだが、まさに、美しい姿だった。黒いマントは彼の身体の動きに合わせて優雅に翻るよう、計算された長さに設えてあるし、軍靴は足の太腿と脛のバランスが整っているからこそ、似合っている。過去には信奉する兵たちから、面と向かって、美しいと言われたこともあったし、黙って吐息をつかれたこともあった。
・・・彼自身は、男性である自分に対し、「美しい」という表現は、女性的でいささか不愉快だと思っていたが。
「MS戦術理論、第三章一項によれば、・・・・・・・・・つっ。」
無意識に、足を組みかけて、違和感を感じる。左足にわずかな麻痺と痛みがあり、それが椅子に腰掛けた際、つい右足を上に組んでしまう彼の癖を妨げているのだ。前年の戦いの名残は、未だに完治していなかった。
日常生活に支障がないからといって、それを大したことではない、と言えるだろうか。巨大な出力を内蔵するモビルスーツで、初動が0.1秒でも遅れれば、それは、あっという間に秒速数十mという差になり、距離にして数十kmという違いになり、敵と接した場合、それが原因で命を落とすかもしれない。急旋回がかなわなければ、背後から無様に、ビームライフル一発で撃墜されてしまうかもしれないのだ。
(技術の未熟さを、精神でカバーできると言う人間は愚か者だ。)
ガトーは、思う。
自分を鍛え上げ、敵とレベルが対等になってこそ、初めて精神力がものを言うのだ。だが、教官という立場にある自分は、時に精神論を、気高い心が何物をも凌駕すると、まだ若く純粋な兵士たちに説かねばならない。
(・・・欺瞞、だな。)
自己欺瞞。・・・いや、そうと信じていた頃も、あった。
初めてザクIIに乗って戦場に出た時、信じていたのではないか。「高尚な志」を持つスペースノイドたる自分が、決してアースノイドに敗れはしない、と。
初陣の後も、敗戦の後も、星の屑作戦の時も・・・
ジオン・ズム・ダイクンによる「サイド3独立宣言」の年に産声を上げたことまで、誇らしく思う自分であったではないか。
(・・・信じて、いた、では、ない、か。)
一語、一語を噛み締めるようにして、ガトーは心の内に問い掛けた。自分、が変わってしまったのか。そんなはずは・・・
「ない!・・・ないのだ!!」
口に出すと、どうしてこんなに虚しく聞こえるのか。それに比べて、
(清々しいものだ、彼らは。)
先程まで、ガトーの一挙手一投足を、目を輝かせて見守っていたパイロット候補生と実習生の姿が目に浮かぶ。疑いのない、目標に満ちた、大勢の若者たちの群れ。
・・・清々しい。
不意に、ガトーの記憶層が刺激されて、頭の奥から何かが湧き上がってくる。その感情は、以前にもどこかで味わったことがあった。一年戦争、か?・・・いや、そんな昔では、ない。では、星の屑の時、か?
「ああ・・・」
あの戦い、だ。
白く巨大なモビルーアーマーと、全力でぶつかりあった、あの・・・
戦う価値もないと思っていた少年が、たった一月の間にあれほど成長し、私が全力を振るうに相応しい男となった。応えてやるのが、私の義務だと・・・だからあの時、コロニーの外であの男を待った。
・・・違うな、義務などではない。私は、心を奮わせられる相手との戦いをただ望んでいた。これまで歩んできた私の道程、振り返れば、累々たる死者の群れが横たわる血塗られた栄光の道。その全てを吸い尽くしてきた救いがたい闘争本能の赴くまま、大儀もしがらみも忘れ、あの男と戦うことを・・・
(私は、欲していた。心から。・・・ふっ、連邦の一兵士に過ぎんのにな。)
「コウ・ウラキ・・・か。」
最後の戦いの間、自分は、喜びすら感じていたのかもしれない。あの男もそうだったのか?・・・わからぬな。
そのコウ・ウラキが何故に、わずか一ヶ月で成長せねばならなかったのか、ガトーはわかっていない。わかっているのは、ソーラ・レイの光熱で水入りするまで、己の持てる技量を尽くして戦った記憶が持つ清々しさと、今の自分の在り様が、それとかけ離れてしまったのではないかという訝しい思いだけだ。
「あの男は、生きて地球へ戻ったのか?」
敵であったはずなのに、いや、敵だからこそ、一瞬の魂の輝きを共にした相手の顔を、ガトーは脳裏に浮かべ、それから意図的に消した。
・・・予定時間だというのに、仕上がっていない報告書を完成させるために。
「それでは、僭越ながら、開始の挨拶を、私が述べさせて頂きます。」
辛うじて一番年嵩の伍長が、この場の責任者となって、酒席の始まりを告げる言葉を、緊張のため、ややかすれた声で話し始めた。言葉遣いが堅苦しいのも、ガトーが同席しているからだろう。アクシズの居住区にある、軍御用達の、とあるバー。あまり広くもないので、20人ほどの兵士と1人の教官とで貸切になっている。
「・・・このような席に、ガトー少佐の臨席を賜り、我々一同、喜びに耐えません。訓練の行程も半ばに入り、ここで一つ気合を入れて、後半戦にのぞみたいと思います。・・・ガトー少佐、一言お願いします。」
「うむ。」
兵士の声に応えて、三つほどある丸テーブルの一番奥まった場所に陣取っていたアナベル・ガトーが、席を立ってグラスを右手に掲げた。乾杯のためにシャンパンで満たされたそれは、ガトーの手の中で天井の照明を映してキラキラと輝く。
「諸君らの益々の精進とジオン公国の繁栄を願って、・・・ジーク・ジオン!」
『ジーク・ジオン!!』
わーーーーーーっっっ!!!
歓喜とともに、一斉にグラスが口元に運ばれる。その後に、割れんばかりの拍手が続いた。
ガトーの挨拶は、全く型通りのものだったが、彼らにとっては、珠玉の名言に聞こえるのだろう。その身体に、心に、えも言われぬ力が漲ってくるほどの。
(・・・あまり緊張させては、酒の味もわからぬだろうな。)
乾杯の言葉を終え、椅子に座りなおして、教え子の一人が注ぐ杯を受けながら、ガトーは思った。
彼にも新兵と呼ばれた時代が、あったのだ。
初陣の後、小隊長が奢ってくれた黒ビール。
武勲を立て、ドズル閣下にお目通りが叶った誉れの席の30年もののワイン。
とうとう同期の仲間を失ってしまった後の弔いの苦い酒。
ガトーの酒の記憶には、必ず僚友、がついてまわる。飲酒年齢に達したのも、軍隊に入ってからだし、影でこっそり学生たちが酒宴を設けていた士官学校時代にしても、そうだ。
だが、今はもう、失われた顔の方が多いのだ。そして、自分は生きている、生きている・・・・・・・・・
「少佐殿!」
(・・・はっ?)
「お差し支えがなければ、ぜひ、ソロモン戦のお話を聞かせて頂きたいのです、が。」
兵士の頼みに我に返る。無邪気とも思えるその願い。「ソロモン戦」は撤退戦だったのだ。ガトー自身は、ドズル閣下から下賜された専用機のMS−14で獅子奮迅の活躍を見せ「ソロモンの悪夢」の異名を得たが、ジオンの敗色はもはや塗り替えようが無くなった戦い。ビク・ザムで特攻し、帰らぬ人となった我が敬愛する上官、ドズル中将。・・・・・・・・・それが、聞きたいのか?
「ははは、それよりルウム戦役はどうだ?」
「少佐がよろしければ、ぜひ!!」
他の兵たちも注目する。おい・・・ガトー少佐が。しっ、静かにしろよ。ちゃんと座れ・・・ボソボソと交わされる低い囁き。
「そうだな。それでは・・・」
「あっ・・・?!」
パリーン、ン、ンッ!!!
(・・・・・・・・・むっ?)
ガトーの話に聞き入ろうと、静まり返った店内で、調子はずれの甲高い音が鳴った。ちょうどガトーの左隣にいた、この席の責任者たる伍長が、テーブルの上の肴を寄せようとして、ガトーのシャンパングラスを床に落としたのだ。
「・・・す、すみません!!!」
咄嗟に、テーブルの下に潜り、飛び散ったガラスを拾い集める。照明がもう少し明るければ、青くなった顔が見えたかもしれない。・・・失礼をしたと。
「いい、そんなことで、慌てるな。」
不意の中断に苦笑いを浮かべながら、ガトーが言った。すると、テーブルから這い出た伍長が、床にナフキンを広げ、グラスの破片で何かゴソゴソと・・・
「何をしているのだ?」
「ざっと、組み合わせてみれば、破片が全て回収できたかどうか、確認できますので・・・すみません。」
伍長が重ねて謝る。
「ああ、そうか・・・手を切らぬようにな。」
日常の生活レベルでは、逆に新兵から教わることもある、と面白くも思いながら、ガトーがその手元を見ている。すると、
「あ・・・足りない。」
声が漏れた。グラスの口の部分が3cm四方も、欠けている。危ないので・・・と呟きながら、伍長はもう一度、床に這った。
『そんなことは、いいから早くしろよー。』
控えめな声が遠巻きに上がる。ガトー自身が、伍長の行動を許しているようなので、控えめにしか主張できないのだ。
ガトーは・・・ガトーは、その時、何かが心に引っかかっていた。・・・何が?
真面目できれい好きな伍長の姿ではない。・・・では、何が?
パリーンと音が響いた瞬間から。・・・一体、何が?
(・・・グラス、だ。)
無残に割れた、シャンパングラス。
(今の自分は、このグラス・・・なのでは、ないか?)
元通りに貼り合わせたはずなのに、一片が欠けていた、シャンパングラス。
確かに、身体はほとんど回復した。左足に残るごく軽い麻痺をのぞいて。だが、ずっと抱きつづけていた違和感。・・・喪失感。
死んだはずの自分。死んでも構わないと思った自分。だが、アクシズへと戻る艦の中で、生きて目覚めた自分。
一度は、砕け散った私は、何かが欠けたまま再生し、そして未だに、欠けたままだ。・・・・・・・・・ああ。
(気づきたく、なかった。)
そして、一瞬の後、そう思ったことを、アナベル・ガトーは、恥じた。
欠けたものは、また取り戻せば良いではないか!
だが、ここにいては、それが取り戻せないのだということにも、気づいていた。・・・だからこそ、気づきたくなかったのだ。
「・・・少佐殿、片付きましたので、続きをお願いしたいのですが。」
切腹ものだぞーっと、外野で小声が上がる。
「・・・・・・・・・ああ、ではルウムの話を。・・・心して聞くように。」
彼らは、わかりはしないだろう。だが、ガトー自身は、嫌というほどわかっていた。心せねばならぬのは、自分、だ。ここで、ジオンの魂を説こうとしている自分だ。
なのに、魂が抜け落ちている自分だ、と。
上気した顔で自分を見つめる集団に、ガトーは話し続けた。彼らの望むまま、夜遅くまで、己を・・・罰するかのように。
+ END +
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アナベル・ガトーの内面をあれこれ考えるのは、とても楽しいです。
人間味がないようですが、実はあるのですよ。いろいろと(笑)。
小説版に、アフリカのキンバライト基地に到着した際、疲れていたけど、
出迎えの兵士たちの歓呼に応えて、ポーズを取るという描写がありまして・・・
彼は、疲れもしないようなサイボーグではないんです。
エースパイロット「ソロモンの悪夢」が何であるか、自分でわかっているからこそ、
さらに努力し、自分を高めてるというか。・・・ああ、痛々しい(T-T)。
・・・というようなドリームで、私は満たされているわけで(笑)。
今回、恥ずかしながら、誉めまくってみました(爆笑)。
樹様、紆余曲折があったかどうかはナイショにしておいて(笑)、
こうなりました。捧げさせて下さい(><)!え・・・ダメですか(泣)?
管理人@がとーらぶ(2000.08.31)
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