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      Intermission -4- 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       サラサラと耳に伝わる衣擦れの音に、リビングでテレビジョンを見ていた私が、二階に通じる階段を見上げると、左手の指先を手摺に載せ、右手でドレスのドレープを幾重にか抓み、裾を踏まないように足元を気にしながら、ゆっくりと降りてくる姉の姿が目に入った。 
       
       小さな赤い花と細くて光沢のあるリボンが折り込まれた深緑の髪に、後れ毛の残る白いうなじ。ふわふわと柔らかな動きをするオーガンジーのドレス、ふっくらとしたパフスリーブの袖と、深すぎない上品な胸元。一歩進むたびに、サラサラ・・・サラサラ・・・。 
       
       
       
       プロムに着るために、姉が選んだ白いドレスは、美しく煌びやかで姉によく似合っていた。 
       
       出発前の最後のチェックに余念がない母と、綺麗だな・・・さすが我が娘だと声をかける父と、微笑んでいる姉の後ろで、毛足の短い絨毯の上に私は言葉もなく立ち尽くしていた。 
       
       誇らしくて、頬を赤めて笑っていたように思う。・・・・・・・・・その姉の姿に自分を重ねていたから。 
       
       
       
       突然、玄関のチャイムが鳴る。タキシードを着たボーイフレンドが、花束を抱えて立っている。父が進み出てドアを開けた。どうぞ、と迎え入れる。すぐにその視線が、リビングで待つ姉の姿を捕らえる。そして、一瞬、息をのんだ。 
       
       
       
       『楽しんでらっしゃい。』、『真夜中までには、帰してくれよ。』 
       
       両親の声に見送られて、二人がプロムに向かう。こちらをちらりと見る姉に、手を振ってバイバイをする。 
       
       
       
       
       
       シーマは、お姉さんに似てるわね、とよく言われた。 
       
       大きくなったら私も、かっこいいボーイフレンドと一緒に、賞賛の視線を受けて、プロムの夜に繰り出せると思っていた。 
       
       
       
       ・・・・・・・・・あのふわふわの白いドレスで。 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       「う・・・うぅ・・・あああぁぁぁっ!!!」 
       
       その叫びを知る者は、シーマ自身しかいなかった。そう叫ぶようになってから、彼女は誰とも一緒に寝たことがなかったし、共同部屋を使わないで済むだけの地位は得ていた。 
       
       
       
       (ちっ・・・またかい。) 
       
       自分の叫び声に目を覚まされて、シーマは不機嫌だった。半舷休息に入っている艦内では、まだ多くの者が眠っていることだろうに、その時間いっぱいを睡眠に当てることができなかったからだ。それは、ここ数日、のことではなくて、もうずっと続いていた。一年戦争の、あの、忌まわしき日から。 
       
       一旦、ベッドから降りると、汗をかいた身体で休む気にはなれない。シャワーを浴びようと、下着とタオルを用意する。水量制限は、艦長特権でオフにしてある。たっぷりと水を流しながら、シーマは悪夢がこのまま排水溝に吸い込まれて、宇宙空間に氷の粒となって吐き出される絵を思い描いた。だが、実際には、水は完全リサイクルされている。・・・なら、飲み水になって、また身体に取り込むのかね。 
       
       バカな空想はそこまでにしようと、シーマはさらに水量を上げた。腰に届く長い髪に入り込んだ白い泡が、あっという間に消えていった。 
       
       
       
       「・・・・・・・・・ふぅ。」 
       
       体が冷えない内に、水滴をバスタオルで拭い取る。ブラジャーとパンツ姿のまま、鏡の前に立つ。そこに写る顔は・・・・・・・・・自分がこういう顔だと思っているより、何歳か年を取っているように見えた。鏡なぞじっくり見たくもないのに、基礎化粧品でしっかり手入れをしなければ、すぐに肌がくたびれてしまう。目の下のクマ、目じりのシワ。30歳を過ぎた頃から、目立つようになった。・・・いや、あの日からだ。あの日の夜、最初の悪夢を見た時から、私の顔は・・・・・・・・・あぁ! 
       
       
       
       
       
       一年戦争開始直後、ジオン公国が取ったコロニー奇襲の手段は、無抵抗のコロニーにG3ガスを注入することだった。密閉された空間、にそれは当然、絶大な効果を誇った。G3ガス、生物科学兵器のひとつ、いわゆる毒ガス・・・・・・・・・コロニー内の全ての住民が僅かな時間で死に絶えていく。 
       
       カメラが捕らえた映像を『見るな!』と部下に命令しておきながら、シーマの目は、建物から転がり出て、のたうちまわる人間の姿を凝視していた。 
       
       
       
       ・・・・・・・・・その夜から、同じ映像が繰り返し繰り返し、悪夢となってシーマを襲う。 
       
       
       
       
       
       (だから、何だって言うんだい!) 
       
       上からの命令に従っただけなのに、その行為故に、終戦後のシーマはジオンからも連邦からも歓迎されなかった。シーマ艦隊は、いつしか悪名高い海賊集団へと成り果た。・・・ジオンの名を冠しながらも。 
       
       
       
       「そういやぁ、あのリボン、は、どこへいったかねぇ・・・」 
       
       濡れた髪を、一まとめにアップにしながら、ふとシーマは、プロムの日、姉の頭を飾っていたサテンのリボンのことを思い出した。翌日、まだ眠そうな姉のベッドの上に座り、それを欲しがったシーマに、『はい。』と言って渡してくれた。少し手の中でもてあそんでから、たからものばこ、の中にそっと収めたはずだった。クッキーかチョコレートの、きれいな柄の空き缶に、ビロードの余り布を敷いて、たからものばこ、と呼んでいた。リボンの他にも、姉にもらったイヤリング、姉にもらった香水の瓶、姉にもらったカード。・・・なんだい、姉さんから、もらったものばかりじゃないか。 
       
       時々、蓋を開けて中を見た。どれも大切なたからものだった。・・・・・・・・・どこへ、消えたのか。 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       「シーマ様。情報通り、前方に輸送艦隊です。護衛艦は1隻のみ。・・・ちょろいもんですぜ。」 
       
       「・・・油断すんじゃないよ!決めてあった通りに、手順よくな。」 
       
       「へい。」 
       
       それがシーマの日常。彼女と共に行き場を無くした部下たちを、彼女は食わしていかねばならない。最低のルールは伝えてあった。奪う積荷は2割が目安。余分な殺しはしない。・・・連邦に、本格的な掃討作戦に出られても困るのだ。『通行料』、『安全対策費』、掲げる名目。ちゃんと部下を面倒を見てやってる、という小さな誇りと、・・・海賊行為を重ねるごとに増す惨めさ。・・・・・・・・・このまま年を取っていくのか。10年後も20年後も、獲物を求めて宇宙をさ迷っているのか・・・・・・・・・こんなことのために、私は・・・、 
       
       
       
       応戦する護衛艦のみを集中的に攻撃する。所詮、『荒くれ者』集団が操縦するMSに、かないっこないのだ。砲火を避けて、あっという間にブリッジの真上に陣取り、90mmマシンガンを突き付ける。・・・さぁ、私の出番だ。 
       
       
       
       「こちらは、『シーマ艦隊』だ。・・・名前ぐらい聞いたこと、あるだろうねぇ。・・・大人しく荷物を引き渡せば、無茶はしないよ。・・・どうせ保険に入ってるんだろう。命が惜しけりゃ、さっさと抵抗を止めな。」 
       
       これぐらいのこと、自分がMSで出るまでもないと、旗艦リリー・マルレーンに残ったシーマの声が、通信回線を伝わる。 
       
       
       
       『仕事』が上手くいって、満足げな部下の顔、それを受けて、にやっと笑って見せる自分。・・・まったくの日常。 
       
       
       
       
       
       「シーマ様、いいものがありましたぜ。」 
       
       「・・・なんだぁ、コッセル?」 
       
       接収した積み荷の中から、コッセルが何か白くて大きなものを抱えて、艦長席に座るシーマの元へやってきた。よく見れば、白地に黒い縞。・・・動物の頭まで付いている。 
       
       
       
       「ホワイト・タイガーの毛皮です。」 
       
       「・・・・・・・・・で、これをあたしにどうしろと?」 
       
       「いや、その椅子に敷けば、具合が良さそうだと思いまして。」 
       
       「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ぷちっ)。」 
       
       みるみるシーマの表情が曇った。・・・怒鳴られそうな空気が漂う。シーマとの付き合いも、もう3年。コッセルは慌てて先手を打つ。 
       
       
       
       「シーマ様には、白がよく似合いやす。」 
       
       コッセルが驚くぐらい、シーマの動きが止まった。・・・椅子から立ちあがりかけた体勢のまま、しばしじっとする。・・・・・・・・・それからゆっくりと、椅子に座り直した。 
       
       
       
       「シ・・・シーマ様?」 
       
       そうこられると、不安になる、コッセル。 
       
       
       
       (白、が、似合う、か。) 
       
       そう思っていたのは、いつのことだったろう。・・・決して裕福な家ではなかった。それでも姉が一番輝いていた時にはなんとか人並みの生活が送れていた。娘にプロムのドレスを買ってやれるぐらいに。シーマがやっとで高校を出る頃には、パーティ・ドレスは、夢の夢になっていた。 
       
       高校を卒業したシーマは、安定した収入と、家と、食事を、全て得られる場所として、軍隊を選んだ。・・・・・・・・・姉に似ていたはずの自分は、姉よりもずいぶんと背が高くなり、運動能力に長け、軍では小数派の『女』でも、男と肩を並べて訓練に勤しんだ。そしてますます、ドレスから遠のいていった。 
       
       
       
       「あ、のー、シーマ様。」
  
       どうしようか、調子にのりすぎたか?・・・シーマ様に何か悪いことをしてしまったか。コッセルの逡巡の向こうで、シーマの回想が続く。 
       
       
       
       (そうだ・・・あのリボン。) 
       
       明日が入隊という日、身の回りの最後の整理をしながら、久々に開けた、たからものばこ。 
       
       
       
       もらった時と同じに、きらきらと輝いていたサテンのリボン。 
       
       固まったマニキュア、花のイヤリング。ガラスのペンギン。 
       
       レースのハンカチ、二人で撮った写真。 
       
       最後にもらったクリスマス・カード。 
       
       
       
       明日が入隊という日、もう自分には必要ない、と姉に返したのだった。 
       
       
       
       ・・・・・・・・・姉からもらったものを、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・姉が眠る土の下に。 
       
       
       
       
       
       「シーマ様・・・すみま、」 
       
       「・・・ははっ!・・・ははははっ!!!」 
       
       とりあえず謝っておこうとしたコッセルの言葉は、シーマの高笑いに途中で遮られた。 
      
  
       
       (白いドレス、の代わりに、白い虎の毛皮かい。・・・それもいいかもね、このあたしには。) 
       
       
       
       「コッセル!」 
       
       「は、はい!!!」 
       
       「じゃぁ、敷いておくれ。」 
       
       「へい、シーマ様!!!」 
       
       コッセルは、両手に抱えたまま行き場を無くしていた白い毛皮を、艦長席の上に置く。シーマがあつらえさせたその席は、足を伸ばしたまま座れる特注のものだ。頭の中のわずかな『文化』的知識から、まるで昔のアラブの王様と王女様が座っていたような席、とコッセルは思っていた。だからこの毛皮はぴったりなはず。・・・・・・・・・形を整えながら、彼は自分の見立てにとても満足していた。そしてそこに座ったシーマの姿に、彼はさらに満足した。 
       
       
       
       ・・・艦橋を陣取る連中は、虎の上に座るシーマを見慣れるのに、一時間とかからなかった。まるで昔からそこにあったみたいに、馴染んで見えた。 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       (・・・姉さんはこんなあたしをどう思う?、・・・くっくっくっ。) 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       ・・・・・・・・・あの憧れの白いドレス。 
       
       
       
       大きくなったら似合うと思っていた、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう遠い昔。 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
      -End-
       
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