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      Intermission -1- 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       (・・・ちっ、ひでえ面してるなぁ・・・・・・・・・) 
       
       
       
       曇った鏡に映る顔。 
       
       眠たげな半開きの目。鏡の中の左頬、ということは右の頬か、・・・そこに擦ったような赤い傷。対照的なほど青白い顔。たった今、酒のなごりと酸素を吐き尽くしたせいだ。 
       
       ぼさぼさの金髪に、顎にはまだらな不精髭が点々としている。・・・前に剃ったのは、2日?・・・いや、3日前か。 
       
       
       
       (・・・・・・・・・ちきしょう、思い出せねぇ。) 
       
       
       
       
       
       ゆうべも、アナベル・ガトーが訪ねてきて、二人で酒を飲んだ後、ひとしきり話をして帰っていった。 
       
       
       
       ・・・その間中、ガトーは、酒を止めろとも、こんな生活を続けてどうする、とも言わなかった。いつもそんな事はひとことも言わない。ただ士官学校時代の懐かしい話をしたり、月の生活について語ったりして、帰っていくのだった。 
       
       それが、ガトーなりの友情の表れだとは思うのだが、自分で自分の状態を許せないケリィ・レズナーには、素直に受け止めることが出来ない。 
       
       結果、ガトーが去った後に、二人で空けた以上の量の酒を、たった一人で飲み干してしまったのだ。 
       
       "大虎"だの"うわばみ"だの大変ありがたくないあだ名を、士官学校時代から付けられているケリィだが、さすがに今日は、かなりの胸の悪さと共に目覚めて、ひとしきり便器を抱えていたのだった。 
      
  
       
       
       
       「・・・?」 
       
       鏡の中、生気のない顔。そこに、一瞬の既視感。どこかで見たような・・・・・・・・・ 
       
       
       
       (ああ、・・・おやじに似てるんだ。) 
       
       
       
       呑んだくれの、ろくでなしの、くそおやじに。 
       
       ・・・・・・・・・おやじのようにだけは、なりたくないと思ってたのに、そっくりだ。・・・ははっ。 
       
       
       
       一年戦争のさなか、妹の所へ行くとの便りを最後に消息を絶った、父ビリーの面影が確かにそこにあった。 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       ・・・宇宙世紀0073年9月。 
       
       
       
       「アナベル・ガトーだ。よろしく。」 
       
       聞き間違いようのない明瞭な、だが、淡々とした声で、初めて言葉を交わした時、ケリィ・レズナーの方は、男の顔と名前をすでに知っていた。 
       
       
       
       士官学校の入学式に、壇上で新入生を代表し挨拶に立った男は、15、6歳の同級生より頭ひとつは飛び抜けた長身で、透き通るような銀の髪を持ち、はっきりとした美しい顔立ちをしていた。 
       
       ただ美しいと形容するには、どこか硬質で、冷たく近寄りがたい雰囲気を漂わせているが、それでも10人が10人とも、ハンサムボーイと答えるには違いない。 
       
       ・・・宣誓するガトーの声は、新入生たちの耳にひどく大人びて聞こえた。 
       
       
       
       幸いにもそのガトーを、ケリィはいま見下ろしている。そう、今期の新入生の中で、最も背が高く、最も逞しい体つきをしているのが、ケリィ・レズナーその人だった。そしてそれが、彼のほとんど唯一の長所でもあった。 
       
       それがなければ、貧乏な港湾労働者の息子に過ぎないケリィが、このジオン第一士官学校に入学できる可能性はほとんど皆無だったろう。数多の士官学校の中でも、第一士官学校はザビ家やその側近の子女が通うエリート校なのだ。 
       
       ザビ家の子女が入学する年度は、"ご学友"に当たるということで、試験科目に家柄まで含まれるという、もっともらしい噂まであった。 
       
       
       
       そんな学校に、どうしてケリィが入学できたのかといえば、皮肉にもまたザビ家のおかげである。 
       
       
       
       将来は、ジオン軍を背負って立つエリートを育てる為の士官学校だというのに、容姿端麗な生徒が揃い、いささか体力より知力に重点が置かれたようなこの学校の現状を憂いたドズル・ザビが、異を唱えたのだ。 
       
       彼の進言により、学力テストがレベル2(最高1〜最低7)でも、スポーツ大会で優勝またはそれに等しい結果を得た者が、奨学金付き推薦入学の対象となったのは、ほんの一年前。
  
       
       
       ケリィは、ジュニア・ハイスクールの先生からこの制度について聞かされた時、迷わず第一士官学校を受験先に選んだ。合格するという確信はなかったが、それが、生まれ育った、このはきだめような町から這い上がるのに、一番手っ取り早い気がしたからだった。 
       
       
       
       おりから、地球とサイド側との関係は年々悪化をたどり、中でもジオン公国は、宇宙世紀0069年8月15日に連邦からの独立宣言をしたこともあり、国内にある種の雰囲気があった。 
       
       ・・・戦争さえ起これば、地球から自由を求めて宇宙に飛び出したはずなのに、新たに築かれつつある階級、そこに押し込まれた自分たち、だがそれを飛び越えて、出世も名誉も金も、つかめるかもしれないと。 
       
       
       
       
       
       「やってやるさ!」 
       
       勉強は不出来というほどではなかったが、トラック3000メートルと砲丸投げでサイド3の全ジュニア体育記録を持つケリィは、明らかに知力より体力の方が優っていた。 
       
       
       
       新しい暮らしを夢見て地球から移住した父のビリーは、とっくにサイド3での生存競争に負けていた。宇宙港で働きながら、思い出したようにケリィをかわいがったり殴ったりして育ててきた。酒が入ると、手を上げることが多く、それでもケリィは妹を殴られるよりは・・・と、自分から父の拳の前に立った。 
       
       母が幼いケリィと妹の二人を残して、父と同じ職場に勤めていた男と出奔してからは、ますます酒にのめり込んでいった。 
       
       
       
       「父さんは負け犬だ!・・・俺は絶対、父さんみたいにはならない!!」 
       
       湧きあがる怒りに身体を震わせながら、叫ぶケリィ。 
       
       「生意気なことを、言うな!!!」 
       
       バシーッ!・・・と、頬を叩く音。 
       
       
       
       だからといって、10歳にもならないケリィには、どうすればそうならないで済むのか、想像もできなかった。年齢に比べて大柄な体格を生かし、ガキ大将を気取ってはみたものの、それはほんの小さな世界のこと。 
       
       ジュニア・ハイでは、勧められるまま、陸上にうち込んだが、それがどういう風に未来につながるのか、もちろんわかってはいなかった。 
       
       ・・・・・・・・・そうして、ようやく一筋の光が彼の前に射したのだ。 
       
       
       
       
       
       士官学校での、はじめての白兵戦・・・つまりは、今でいう空手と柔道を合わせたような、格闘技の授業だったのだが、身長順に組まれたペアの相手が、あの優等生アナベル・ガトーだったのである。 
       
       
       
       (・・・ふん、こんな奴、ひとひねりだ!) 
       
       明らかに出自の良さそうなガトーに対して、反感もあったのだろう、だがケリィの目論みは見事に失敗した。 
       
       
       
       「えぃ、・・・・やあああーーーっ!」 
       
       「おりゃーーーっ!!!」 
       
      白い道着の襟元に互いの手がかかる。 
       
       
       
       kgで測れる力だけなら、確かにケリィの方が上回っていただろう。しかし、ケリィが得意にしていたそれは、あくまで自己流の格闘術で、街でイキがる少年に相応しい程度の技だった。 
       
       
       
       (・・・・・・・・・えぇっ?!) 
       
       決して力だけではない、体のバランスを必要とする洗練された動きで、ガトーは見るもあざやかにケリィを投げ飛ばした。 
       
       
       
       (あー、・・・えーーーっと、・・・アレレ???) 
       
       気づいた時には、天井を見上げていた。・・・実際の倍は高く遠くに見えた。 
       
       
       
       「・・・痛ッ!」 
       
       何が起こったのか理解するより早く、背中に受けた衝撃が軽い痛みに変わる。・・・ひょいっと真上から、憎い男の顔がのぞき込んだ。 
       
       
       
       「大丈夫か?」 
       
       こちらを見つめる瞳、・・・あれ、心配そう・・・な。・・・・・・・・・何を考えてるんだ、俺は。・・・そうだ、こいつに投げられたんだぞ! 
       
       
       
       「くっそう、まだだ!!!」 
       
       とたんに、跳ねるように体を起こし、ガトーに掴みかかる。 
       
       
       
       怒りが、さっきよりも無鉄砲にケリィを突進させた。ガトーはひょいっと身をかわす。ケリィがこの術に長けてないことに気付いたガトーも今度は手加減するつもりだ。 
       
       ・・・軍人の祖父から、みっちり仕込まれたガトーの腕前は、はるかに上だった。 
       
       
       
       
       
       授業の終わりには、マットレスの上に、半死体が約一名。
  
       
       
       「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」 
       
       何度も受身を取り損ねたせいで、体中を走る痛み。それでも、どこか心地よいのは、どうしてだろうか。 
       
       
       
       「・・・おまえ、・・・顔だけじゃないんだな。」 
       
       寝転んだままのケリィが、そばで息を調えているガトーに告げた。 
       
       
       
       「・・・?」 
       
       言われたガトーの方が、しばらくキョトンとする。 
       
       
       
       「・・・ははっ・・・はははっ。」 
       
       その笑い声は、入学式や授業の時よりはるかに明るいトーンで、なんだ笑えるんじゃないかと、ケリィは思った。・・・そうだ、休憩時間も仏頂面しか見たことなかったぞ。 
       
       
       
       「そんな風に、私に言った奴は初めてだ。」 
       
       「そりゃー、言えんだろう。そんなでっかい体に睨むような目をして・・・さ。」 
       
       「そうか?・・・そういうつもりは、全くないのだが。」 
       
       ケリィの方に白い手が伸びてくる。関節は確かに男のものだが、指は細長くむしろ女性の手を連想させた。・・・サイズを考えなければ。 
       
       ガトーにひょいっと引っ張られて、ようやく体を起こす。 
       
       
       
       「・・・だいたいよー、おまえくらいの年で、そんな喋り方する奴も少ないぜ。」 
       
       「すまぬな。」 
       
       「だから、そういうのが、な!・・・・・・・・・まあ、いい。」 
       
       乱れた道着の帯を解いて、汗びっしょりの体に風を当てる。 
       
       
       
       「いつか倒してやるからな!」 
       
       「はは、それは楽しみだ。」 
       
       
       
       
       
       ・・・・・・・・・いま思うと、どうやらガトーには友人が少なかったらしい。 
       
       
       
       入学早々、目立つ存在だったから、確かに取巻き連中はいた。それらに囲まれて、悦に入るわけじゃないが、慕う風に勉強の教えを乞うたり、悩みを相談されると無視はできないガトーである。距離を置こうとしてもついてくる男たちに、事欠かなかったのだ。 
       
       
       
       (士官学校が男ばっかりってのが、問題なんじゃないか。飢えた年頃で・・・しかも寄宿舎だしなぁ。) 
       
       自分はさにおき、そんな風にガトーの困った様子を楽しむケリィは、多少なりとも、お坊ちゃま連中よりは、世間というものを知っている。 
       
       
       
       入学してから3ヶ月後には、優等生アナベル・ガトーの一番の友人は、問題児すれすれのケリィ・レズナーだと、あたりまえに思われていた。 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       (・・・・・・・・・やっぱり、死んだんだろうなぁ。) 
       
       
       
       音信不通の父と妹。それともどこかで人生をやり直しているのだろうか。 
       
       
       
       キュッ・・・と、曇ったガラスに濡れた手を滑らせた。さっきより、はっきりと映る顔。・・・ますますおやじに似て見える。 
       
       
       
       (・・・あん時は、俺もガキだったから。) 
       
       何度も、おやじを罵った。何度もおやじに殴られた。 
       
       
       
       だが、今なら少しは父親の気持ちもわかる気がする。一生懸命働いたとしても報われず、夢も希望も幻のごとく消え、憧れだったはずの宇宙に返された冷たい仕打ち。 
       
       
       
       ブルっと冷たさに体が震える。・・・酒だ。おやじのことをこんな風に思うなんて、酒が足りないんだ。 
       
       
       
       
       
       ケリィは、洗面所を後にし、台所に戻る。・・・・・・・・・安物のウィスキーが、ただ呑みたかった。 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
      -End-
       
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