北半球に位置するオークリー基地では、昼の長い季節を迎えていた。



 訪れつつある夏の気配が、そこかしこに色濃い。青く伸びた麦も、大きな影を生む緑の木々も、白や黄色の花をつける小さな野草も。

 ・・・・・・・・・それらの匂いを運んでくる、爽やかな風も。



 「コウ。・・・どうしたんだ、調子悪いじゃん?!」


 「・・・キース。はは、そうかな。」

 後にジムIIと名付けられることになる試作型ジムのコクピットから、二人の青年士官が降りてきた。コウ・ウラキ少尉とチャック・キース少尉。



 今日の任務を終えた彼らは、格納庫の定位置にジムを収めて、整備担当に委ねた後、パイロットスーツを着替えるために、隅っこのロッカーへと歩いていく。

 確かに、今日のコウは、コウらしくない、単純ミスを連発していた。5kmほど離れた演習用の荒れた大地で行なわれた1対3の模擬戦で、いくつもペイント弾を受けていた。これでは、試作型ジムの性能が疑われるばかりである。



 「うん、なんでもないよ。」

 コウが笑顔を作る。が、やはり『作った』ものであると、付き合いの長いキースには、ばればれだ。



 「・・・そういえば、最近あんまり外出しないのな。」

 「えっ?そう・・・かな。」

 ロッカーの前で、うっとおしいパイロットスーツを二人は脱いだ。・・・もっとも、上着のファスナーはコクピットを降りた瞬間に下までずらしてはいだが。

 代わりに、中から連邦軍の標準型夏用制服を取り出して、袖を通す。



 ・・・そして、キースは、一番気になっていることを訊いた。もしそうなら、やっぱりコウは、おかしいよ、と思いながら。



 「まだ、会ったりしてんの?・・・・・・・・・あの男と。」



 その問いに、ロッカーを閉じようとしていたコウの手が、一瞬止まった。



 「・・・いや。」

 意識しているのだろう、コウは顔をまっすぐロッカーの中へ向けたまま、キースの方を見ようともしない。



 「べつに、いいんだけどさ。・・・もうジオンじゃないんだろう?」

 コウの様子をうかがいなら、キースはそう付け足した。コウの落ち込みの原因が、あの男のせいでも、こういう姿を見るとつい、慰める側に回ってしまうのだ。・・・・・・・・・ほんとはよくないけどさ。なんだよ、これって。・・・あーあ。



 パタン、とロッカーが閉まる音がした。コウはやっと顔を上げて、また作り笑いでキースを見る。



 「うん。・・・・・・・・・そんなことよりさ、早く食堂へ行こう。俺、おなか空いちゃった。」





 そう、あれから、連絡の、ひとつ、も、ない。





 ・・・・・・・・・あの、キス・・・の、後。










Call











 あの日、どうしてガトーと『キス』してしまったのか、コウは今だに頭の中が整理しきれていなかった。





 偶発事故だったような、でもガトーの方からされたような。・・・ひょっとしたら、自分から進んでしたような。



 困ったことに、お酒が回っていたせいで、記憶の一部がぼやけている。



 ガトーが、3週間ほど任務で欧州に渡るというので、送別を兼ねて二人は、ガトーのマンションで一杯やっていた。3週間で送別とは大げさだが、ここのところ毎週末に会っていた二人にすれば、当然の成り行きだった。

 そうして、酒を飲んで、喋って、笑って、深夜の0時過ぎにもう遅いから帰ると告げたコウを見送りに、マンションの1階までガトーも一緒に降りて、『戻ったら、連絡する』と・・・・・・・・・





 で、キス、したのだ。



 どうして、キスしたのかわからないのに、その瞬間のことは、鮮明に覚えている。



 通りには人気が無くて、ガトーの顔がすぐ目の前にあった。・・・とうことは、目を開けていたのだろう。



 唇が触れた。軽く、ごく軽く。でも挨拶のキスじゃない。家族じゃないのに、口にキスするわけがない。



 ・・・・・・・・・俺は、ガトーの顔がゆっくりと近づいてくるのを見てた。その唇がうっすらと開くのを見てた。これから多分「キス」されるんだろうな、と思った。思いながら避けずに待った。・・・いや、最後まで待たずに、俺も少し顔を前に出したような気がする。



 ガトーの唇と俺の唇が、確かにピタリと合わさって、柔らかい感触と暖かく湿った空気が伝わって、でもほんの一瞬のことで、それはすっと離れていった。

 俺は、ちょっと見上げていた。だってそうしてないと、ガトーの顔も唇も見えていないはずだ。

 それで、離れた後、ガトーの顔が驚きの表情に変わっていった。俺の方も、似たような表情をしていたと思う。両手は体の横に下ろしたまま。唇以外どこも触れていない。ガトーも同じ。



 それから、『・・・連絡する。』

 その一言で、ガトーは背を向けてマンションに戻った。いつもは、基地へ向かう俺と車をしばらく見送ってくれるのに、それもせず、さっさと消えたんだ。



 そうだよ、確かに言ったんだ『連絡する。』って。



 ・・・・・・・・・もう、一月は経つのに。















 アナベル・ガトーは、ジオン軍の欧州地下組織の今後の活動方針と出資者側の意向の調整のため、久しぶりに大西洋を渡っていた。

 地球に降りた当初は、あちこちの都市をかけ回っていたものだが、オークリーの街にマンションを借りてからは、初めての長旅だ。考えてみれば、不思議な気もする。地球に住む部屋を持ち、そこから離れるからといって、落ちつかない気分になるなど。



 そして、それらの任務が済んだ後も、ガトーは、戻りたいはずの家へ戻れないでいた。原因はわかっている。



 あの、キス、のせいだ。



 酒量を少々越えたからといって、何かを忘れるようなことがないガトーは、そのすべてをはっきりと覚えていた。

 ・・・それで、ホテルの宿泊予定日数を延ばし、いろいろと用事を作っては、帰らないでいるのだ。



 自分が覚えていなくても、コウが覚えていれば同じことだし、その事実が消えるはずもないのだが、たまには噂に聞く『酔って記憶を無くす』状態になってみたいものだと思っていた。・・・男とキスしてしまったのだから。



 だが、眠ろうとしてベッドに横になれば、他に考えることがない。繰り返し『キス』のことを思い出すだけ。





 一体、何をしているのだ、私は。さっさと、帰ればいいではないか。



 ・・・・・・・・・帰る、のか。・・・ウラキがいる場所へ。



 私は、何をしたのだ。・・・キスだと?・・・なぜ、キスしたか?!決まってる、そうしたかったからだ。だが、何故そうしたかったのか??・・・・・・・・・ウラキは男だ。男だぞ。



 もう帰ると言うウラキを送りに、マンションの前まで降りて、しばしそこに立って、ウラキを見た。ウラキも私を見ていた。頬が少し赤くて、運転できるのか?と訊いたら、大丈夫、と言った。

 それで、シンとした空気が流れたような気がして、何となく黙っていたら、ウラキが・・・



 ウラキが「でも、寂しいな。」と言ったのだ。



 その瞬間、私も同じだ、と思った。

 ウラキと過ごす時間の穏やかさが、しばらく無いのだと思ったら、寂しいと感じたのだ。



 だから、帰したくない人と別れる時と同じように、・・・まったく同じように、唇を重ねてしまった。相手が女では無いと意識もせずに。



 ・・・・・・・・・そうして、キスしてから気付いた。コウ・ウラキという名の男であるということを。



 何か言おうとしたが、見当違いの言葉ばかりになりそうだった。だから、『連絡する』とだけ言って、部屋に戻った。ウラキも困惑しただろうに。男にキスなぞされては、な。・・・ふっ。















 平日の夕方。食事を終えてしまえば、基地の中で特にすることもない。談話室でテレビを見たり、雑談をしたり、ビリヤード台で勝負をつけたり、片隅で酒を飲んだり。

 コウは、その部屋の右の壁際にある、12台ほど並んだ電話の前にいた。

 軍隊の伝統とでもいうのだろうか、機密保持の為という名目で、各自の部屋に外線電話はない。電話用ブースに兵たちが群がっているのも、昔からの休みの前の光景。だが今日は水曜日で、ここは静かだった。端っこで一人、中尉の階級章をつけた男が喋っているだけ。



 どうしよう、電話して、みようか・・・もう、帰ってるかな・・・でも、もし出たら・・・・・・・・・何て、言えばいい?



 ガトーが出なければそれで済むのに、と、コウは思う。

 それなら、任務が長引いているだけで、コウのせいじゃない。コウとしたキスのせいで、ガトーが連絡してこないのではない。















 ガトーは、ホテルの部屋の電話機の前で、ためらっていた。いつも通り、押し慣れた番号を押せばいいだけなのだが・・・



 ようやく午前3時を過ぎた。何事も無ければ、コウはスケジュール通りに仕事を終え、夕食も済ませた頃だろう。いつも電話をかけるのは、この時間。オークリー基地は、午後8時過ぎのはず。

 帰ったら、連絡すると言った。予定は3週間だった。気にしているかもしれない。だから電話を入れようとこの時間まで待ったのに、・・・ダイヤルが押せない。



 電話をかけて、ウラキに何を言うのだ。・・・・・・・・・無かったことにしてくれ?・・・忘れてくれ?・・・そう言ったからといって、忘れられるはずもない。私も・・・たぶん、ウラキも。



 ・・・・・・・・・あの時、ウラキは、わかっていながら、キスを待っていたように見えた。















 結局、コウは、電話をかけれなかった。・・・情けないな、と思う。意識しすぎ、・・・・・・・・・でもしょうがない、と自分を納得させようとする。

 部屋に戻ってからも、考えるのは、そのことばかりだ。日を追うごとに、ひどくなる。



 何度も思い出す、その時の姿。溜息をつきながらベッドに腰掛けたコウは、手を上げて指で自分の唇をなぞった。ガトーの唇が触れた唇を。



 ・・・・・・・・・あ。



 キスの感触を思い出すと動悸がした。・・・・・・・・・俺って、バカ、だ。

 胸の辺りが熱くなって、そんな自分がいやになる。



 ・・・・・・・・・やっぱり、ドキドキしてる。・・・・・・・・・どうすれば、いいんだよ、俺・・・俺・・・



 コウは、その鼓動を消してしまいたいと、うつ伏せになって固いベッドに胸を押しつけた。



 『ガトー・・・』

 コウが顔を埋めた枕の中から、その声は漏れる。















 結局、ガトーは電話をかけれずにいた。その上、眠れずにいた。こんな不健康なことは、嫌いなのだが、どうしても眠くならない。



 時差を待つ間に考え過ぎたキスのせいだろうか。体が熱い。



 もう、何年もキスなんか、していなかった。だから、男にキスしてしまったのか。

 ・・・・・・・・・いや、違う。ウラキだから、だ。



 地球に降りてから、たくさんの時間を一緒に過ごした。

 親友、ではない。ただの友達とも、違う。敵という意識も薄い。・・・共通するのは『痛み』だけ。



 ・・・・・・・・・そうか、その痛みだけか、私とウラキを繋ぐものは。



 だが、なれ合えなくとも、安らぐ。距離を置いても、暖かい。



 その暖かさが惜しくて、あの時、私は、・・・・・・・・・ああ。



 考えて進めないのでは、アクシズにいた時と同じだ。動いてみるしかない。そうすれば、はっきりする。



 「・・・そうだな、ガトー。」

 わざわざ声に出してそう言うと、ガトーは受話器を取った。・・・コウにかけたのではない。



 「コンセルジュ?航空券の予約を頼みたいのだが・・・」















 予定より10日ほど遅れて、オークリーに戻ったガトーは、すぐさまコウに電話をかけた。





 「会いたい。」





 ・・・と。





 「・・・俺も。」





 二人の間に、何が起こったのか、どうしても理解するために。















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・・・初々しいでは、ありませんか(笑)。
いや、普通はこれくらいショックだと思いますよ。
男を恋愛の対象として見てなかった人が、ねぇ・・・(^^;)。

そして、まだ「恋愛」という言葉通りの意味で認めたわけじゃないし(苦笑)。
たぶん、初セックスの後ですら、そういう意識は薄いままでしょう(><)!!!
二人ともね。

管理人@がとーらぶ(2000.11.19)











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