歴史のない国















 この国ができてから、まだ13年。・・・・・・・・・たったの13年。

 そんな国の歴史教師の存在意義は、どれほどのものなのだろう。















 ヴィルヘルム・シェーンハウゼンは、キャリア5年目の歴史教師である。毎週月曜から金曜の朝8時半から5時までは、勤め先であるパブリックスクールの校舎に詰め、夜は教員宿舎で過ごす。土曜日の午前中には愛用のマウンテンバイクを15分ほど走らせて自宅へ戻り、月曜日の早朝にはその逆のルートで学校へ帰ってくる。・・・そういう生活を続けている。

 宇宙世紀0071年の彼は30歳。・・・・・・・・・だが彼はすでに、人生に退屈していた。



 もちろん、教師になりたての頃は、ある種の希望に燃えていた。古代の歴史も近代史も大好きだったし、その好きなことが仕事になったのだ。12歳から15歳ほどの思春期真っ只中の子供たちを教えるのは大変であろうが、むかし自分が感銘を受けた先生のように、子供たちから尊敬され、大人になったら教師になりたいと思ってもらえるような、立派な先生でありたい・・・、そんな風に思っていたものだ。

 そんな彼に退屈をもたらしたもの、それは『ジオン・ズム・ダイクン』の死と、それに続いたザビ派とダイクン派の争いだった。知り合いも幾人かが巻き込まれ、亡くなった。

 歴史教師である彼は、『歴史は繰り返す。』という使い古された言い回しが、これまでも真実であることを知っていた。・・・が、そのことをさらに実感し、そして静かに絶望したのだった。

 せっかく与えられた『宇宙』世紀という新時代に相応しい名称も、ジオニズムという思想も、たったひとつの死をきっかけに意味のないものになってしまう。ジオン共和国はジオン公国と名を変え、議会民主制は末期の叫びを上げている。



 この国は、どこへ進んでいくのか。軍事独裁国家か、それとも神の支配する国か。



 (民衆はむかしからとても愚かだった。)

 政治を他人に任せればラクだ。善悪の判断はいらなくなる。真に悩むことも無い。そうして、ローマはカエサルを選び、2000年の後にドイツはヒトラーを選んだ。

 (結局、歴史からは何も学べないのか・・・。)

 先頃、ザビ家の長子、ギレン・ザビが呈した『優生人類生存説』に至っては、人類最大の悪夢の再来としか言いようが無い。なのに、それに心酔する人々がいる。



 そんな国で、歴史教師の役割なんて、何にもありはしない。・・・淡々と日々を過ごしていけば、いいだけさ。



 サイド3は政治体制も教育制度も何もかもが新しく布かれた国である。彼が勤めるパブリックスクールは、ジオン公国一の進学校と位置づけられ、その体裁を整えるための金がつぎ込まれていた。必然、国からの干渉も多くなる。生徒に対するカリキュラムも厳しくチェックされ、この新興国家の国民たるに相応しい人間を生み出せるよう、目立たない形での思想統制が始まっていた。

 それに反発する教師もいたし、そのために首を切られた者もいた。何とか隙をぬって、自由な教育を施そうと知恵を絞る教師もいれば、シェーンハウゼンのように、日々安泰に過ごしていければいいという考えの者もいる。

 (過去をいくら反省しても、戦争はやってくる。民衆は都合のいい歴史だけを見てるのだ。)

 歴史から何も学べないなら、歴史を教える意味はどこに?・・・・・・・・・だから、彼は、朝の6時に起床して、7時までに身支度を済ませ、食事を取って、8時半には教科準備室へ出勤し、文書をチェックして、9時からの授業に向かい、昼食を挟み、また授業をこなし、今日も一日終わったとため息をついてから、5時までは準備室へ詰めておいて、教員宿舎へ戻る。毎日毎日、その繰り返しを続けていたのだった。





 教科準備室は校舎の二階にあった。壁には、大きな世界地図が3枚ほど貼られている。右端のものには、地球の旧ヨーロッパとアフリカとインドや中国らしきものが描かれている。・・・らしきもの、という意味は、陸と海を分ける複雑なはずのラインがかなりおおまかにぼやけており、ヨーロッパらしい、インドらしい、としか言えないからだらだ。旧世紀の1400年代、かのクリストファー・コロンブスが西回り航路でインドを目指し、うっかりアメリカを発見してしまった際に、用いた地図だと言う。この時代の世界はこれっぽちの広さで、こんな地図なら、たしかにうっかり発見してしまうよなぁ・・・と、シェーンハウゼンはあきれ気味につい眺めてしまう。

 また真ん中の地図には、宇宙世紀前の地球全図が北極を上に南極を下にして描かれている。これが『世界』地図なのである。この頃は、地球だけが世界の全てだったのだ。

 左のものには、地球と月とサイド1からサイド6が描かれ、サイドの中ではジオン公国がとりわけ大きく描かれていた。公国になった記念に配られた地図で、半ば強制的に学校教材として用いられている。それでもシェーンハウゼンは、この地図と残り2枚のレプリカ古地図を見るのが好きだった。この3枚を並べて見ると、それは地図の形を用いた歴史であり、歴史教師の職に退屈していても、歴史そのものはまだ、愛していたのである。





 部屋の窓からは、学校を囲むように植樹されたマロニエの並木がよく見えた。並木沿いはまた、遊歩道として整備されており、一周約1.6kmほどのジョギングコース代わりとして、生徒だけでなく近隣住人からもよく利用されていた。

 ブラックコーヒーを片手に、窓から外を見れば、密閉型コロニーの偽物の薄青い空と、整然とした灰色の街並みとマロニエの木がきれいなコントラストをしてシェーンハウゼンの心を慰めてくれる。

 (・・・・・・・・・おや、もうそんな季節か。)

 夕方の4時過ぎ、そのマロニエ沿いのジョギングコースを十数人の少年たちが揃いのTシャツとまちまちのパンツ姿にスニーカーを履いてかけって行く。マロニエの実が落ちる頃に、ちょうど入学してくる新一年生たちが最初に与えられる課題のひとつが、この並木道の掃除なのである。『奉仕』という名の強要ではあるが、共同作業には何かしら学ぶべきことがあるはずだ、と考えるのは、昔から権力者の側の者によくある傾向である。

 この学校の生徒の半数は、財界政界関係の子弟で、残りの半数は軍の関係者だった。学費も高くそれなりに裕福な家庭でないと入学してこれないであろうが、それでも月や地球に留学させるよりは安くすむ。

 セキュリティーを解除して、窓を開けてみる。今日はいくぶん風があるように設定されているようだった。少年たちは落ちた実を手で拾ってバケツに放り込んでいる。・・・なぜかホウキでかき集めてはいけないことになっている。それは、この作業がただの掃除ではなく、あくまで新入生たちに一緒に作業することを学ばせるための場である証で、こんなよけいな手間をかけさせているのだった。シェーンハウゼンは、カップ半分ほどになったコーヒーを袖机に置いて、窓枠に腰掛けるように身を乗り出し、この時期の定番風景を眺めてみる。

 (定番、と思えるほど、なんのかんの言っても、俺はこの学校にいるんだなぁ・・・。)

 そんな感慨も沸く。

 ここの風紀規則は、カリキュラムの締め付けに比べたら、それほど厳しくはないが、さすがは新入生、長くても襟足ぎりぎりで切りそろえた短髪に、まだ細い手足が、いかにも子供っぽい。この学校は全寮制である。親や保護者から離れて暮らすにはまだ幼かろうに・・・と思ってしまうほど、無邪気なはしゃぎ声をあげながら、茶色い小さな実を拾っている。案の定、それを隣の友だちにぶつけたり、離れて気づいてもいない背中に向けて投げたりしている。

 「こらー!!!いつまでたっても終わらないだろ!」

 不思議とよく通る声が、少年の群れの中から響いてきた。その声の方を探してみるが、どれもこれも似たような姿で誰の声なのかよくわからない。しばらくすると、こそこそ、ぼそぼそ、と集った少年たちが、せーの!のかけ声とともに、パラパラとマロニエの実を一人の少年に投げつける。

 (あーあ・・・。)

 痛くはないだろう、いや痛いかな、などと考えながら、あれでも喧嘩になっては困るなぁと様子を窺っていると、きりっと回りをひとにらみした少年がいた。ああ、この子がさっきの声の主なのか・・・とぼんやり思う。

 (・・・・・・・・・。)

 遠すぎて瞳の色まではわからないが、そのにらんだと見えた視線は、確かに効果があったのだろう、はしゃいでいた少年たちは、しぶしぶながらようやくマロニエの実をちゃんとバケツに入れ始めた。

 (ふーん。)

 しゃがんだ少年のうなじに乗った銀色の髪が風に揺れている。せっせと手を動かして、バケツに山を作っていく。・・・どうやらすっかり静かになったようなので、シェーンハウゼンは窓を閉めた。あの少年は、知らない顔に見えた。もっとも新入生のうち、授業で顔を合わせたのは、3分の1ほど。残りの知らないほうの生徒なのだろう、きっと。



 (おや、もう5時か。)

 いつもより少しだけ早く時間が過ぎた気がする。冷めたコーヒーは飲まずに片付ける。



 (マロニエ並木を一周してみるか・・・。)

 この国の短い歴史を、どう彼らに教えていけばよいのだろう。・・・・・・・・・シェーンハウゼンは、少しだけ遠回りして宿舎に帰ることにした。きれいになった並木道は、本で見たパリの風景とやらにどこか似てる気がした・・・。




















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