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       イヌイの告白(2) 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
      
 
  
       
       ・・・・・・・・・ともかく、ぼっちゃまの登場が、(失礼ながら)年寄りと中年男のふたりの暮らしに小さな潤いを与えてくれたことは、確かでございました。 
       
       
       
       「だんな様の寝室と書斎は、勝手に入られてはなりません。それから、こちらのリビングルームもです。お客様をお迎えする際に使っておりますので。」 
       ぼっちゃまの髪には、あらためて私が鋏をお入れして、短く刈りそろえました。私は長年従卒を勤めてまいりましたので、剃刀をあてることと鋏を使うことだけは得意なのでございます。すると、女の子のような、という最初の印象は、すっかり吹き飛んで、どこから見ても立派な男の子に見えました。それだけでなく、この家にいらしてからの数日間で、顔つきがよりしっかりとされて見え、思春期に入りかけた少年、といった風情になったように思われました。 
       
       ただの思い込みだったのかもしれませんが、それぐらい坊ちゃまにとっては、これまでの生活とは一変せざるをえない、色んなものをふり捨ててしまったような、新しい環境での日々が始まったのでございます。 
       
       「・・・で、こちらが、家族用のリビングでございます。ここでは寛がれてかまいませんよ。」 
       だんな様が軍をお辞めになったのと同時にご購入なされたこの家は、建物の中心を通っている廊下を挟んで、ほぼ対の造りになっておりまた。私は客用のリビングルームの反対側のお部屋をぼっちゃまにお見せいたしました。 
       
       その頃、私はまだ、ぼっちゃまとの距離を測りかねておりました。だんな様のお孫様であっても、子供は子供。だから子供らしく扱えばよいと思ってはいても、雇い主の尊属であるわけですし。それに私は子供というものを持ったことがございませんで。 
       
       「・・・・・・大きいお家。」 
       「この辺りでは、ごく普通でございます。」 
       豪奢ではないが、どっしりと落ち着いた感じの総二階の家で、公僕を退いた人たちが多く住む閑静な住宅街にございました。 
       
       「大きいよ。前の家は、どの部屋からでも呼べば声が返ってきてた・・・。」 
       誰の?とお聞きするのは、残酷なことだとわかっておりました。きっとこじんまりとした家でお父様と仲良く暮らしてらおられたことと思います。それで、私はつい、 
       
       「ぼっちゃまがお呼びになれば、いつもでイヌイがお返事いたしますよ。」 
       「ほんとう?」 
       これは同情なのでしょうか。それとも人が誰でも普通に持つ感情なのでしょうか。よくもそんなおこがましいセリフを吐いたものです。ぼっちゃまは少しだけニコリと笑われました。子供の笑う顔というものが、こんなにも私の心の中のある特定の部分を刺激するものとは知りませんでした。もぞもぞ、もやもやに、くすぐったいような恥ずかしさまで、色んな感情がじわじわと湧き出してきたのです。 
       
       「さぁ、早く朝食にいたしましょう。だんな様から、新しい学校についてのお話がおありになると思いますよ。」 
       「学校???・・・そっか。こっちでも学校はあるよね。」 
       「もちろんでございますとも。」 
       リビングに隣接したダイニングルームへとぼっちゃまを誘いました。 
       
       
       
       食卓の風景は、ぼっちゃまがこの家にいらした日に比べたら、ずいぶんと静かなものになりました。だんな様とぼっちゃまはお席に、私は給仕にそっと歩く。はまるべき場所にちゃんとはまった光景といいますか。・・・フォークとお皿のかちゃかちゃした音が響き、朝の料理がおふたりの口の中へと運ばれていきました。 
       
       
       
       「アナベル。成績表を見たが、おまえが通っていた学校はそうとうにレベルが低いようだな。まずはプレップスクールで学力を付けてから、パブリック・スクールに進みなさい。」 
       食後の紅茶が供された頃に、だんな様が口を開かれました。その断定的な物言いに、だんな様はそういう人だとわかり始めていらしたとは思うのですが、ぼっちゃまもつい言い返さずにはいられなかったようです。 
       
       「お父さんは、子供が勉強ばっかりしてちゃダメだって、たくさんの色んなことをして、そっから好きなことを見つけなさいって・・・。」 
       「馬鹿なことを・・・。いいか、おまえは将来、軍人になってこの国に仕えるのだ。それはもう決まったことだ。我が家は旧世紀から、その要職を務めあげてきた、武門の誉れ高き家系なのじゃ。」 
       「でも・・・でも・・・、」 
       「言うべきことは、はっきりと話すよう。言いたいことではないぞ。言うべきことを、だ。」 
       その区別がこの年齢の子供にできるものでしょうか。 
       
       「・・・・・・・・・でも、お父さんは、おじい様の息子なのに、軍人じゃなかった!」 
       「だから勘当した。お前には汚名を晴らす義務と責任がある。」 
       「オメイ・・・。」 
       「話は終わった。早く支度をしろ。」 
       私も少しは知っておりましたが、『勘当した』とはっきり聞いたのはこの時が初めてでございました。がたっと椅子が引かれて、アナベル様は黙って出て行かれました。そのまま階段をあがって自室へ向かわれたので、私は、また泣かれるのではないかと、少し時間をあけて後を追いかけました。 
       
       「アナベル様、あと十分でエレカをお回しますよ。」 
       ノックをしながら、許しをえずに、そっとお部屋へ入りますと、すっかり身支度を終えたぼっちゃまがベッドにゆったりとした雰囲気で腰掛けておられました。 
       
       「わかりました。イヌイさん。」 
       こちらを見上げたぼっちゃまに泣かれたようなご様子はありませんでした。・・・・・・・・・ぼっちゃまは、もうここで生きると決められたのでございます。なのに私は余計な心配をして我が身が恥ずかしくなりました。
  
       「ね、オメイを晴らすってどういう意味?」 
       「・・・名誉を回復する、ということでしょうか。」 
       「名誉?」 
       「はい。だんな様は、それほど軍のお仕事に誇りをもっておられたのです。」 
       「・・・・・・・・・けど、あんなに怒るほどのことなの?」 
       「自分の跡を継いで欲しいと願うのは、ごく当たり前のことだと思いますよ。」 
       ぼっちゃまはちょっと考え込まれてから、 
       
       「じゃぁ、父は僕に学者になって欲しかったと?」 
       ぼっちゃまが『父』の名を出したことに、少しどきりとしましたが、そのことに痛みを感じているご様子はなく見えました。 
       
       「イヌイには分かりかねます。・・・が、お父様もおじい様もそれだけアナベル様が大事なのです。きっと。」 
       
       
       
       私が従卒生活の中で、聞き及んできた話の断片を繋ぎ合わせますと、だんな様は地球連邦軍を定年で退官され、故郷の北欧で悠々自適の生活に入ろうとされていた頃に、ジオン共和国から宇宙へ来ていただけないかとの誘いがあり、それに応じられたのだということでございました。 
       
       その頃、ジオン共和国ではザビ家を中心に国防軍の設立計画が練られておりました。軍というものを持たない国が、一から作り上げていくのです。新兵ならば募集して頭数を揃える、ということが可能でしょうが、軍は新兵だけで運用できるものではありません。誕生の時は、たしかに小さな組織だったでしょうが、それでも一国の国防を担うのでございます。手練も数多く必要だったでしょう。 
       
       どのサイドも職業構成は大変偏っておりました。・・・それはこの世界の成り立ちを考えれば当然なのですが、最初に多くの技術者とその何十倍もの単純労働者が、次には利に聡い商売人たちが、その次は知識人や中産階級がやってきて、ですから、新兵のなり手ならいくらでもいたのですが、指導者となるとそうはいかなかったのでございます。 
       
       二君に仕えずといいますが、だんな様がまだ連邦軍に在籍中に持ち込まれたお話でしたら、きっとお断りされていたでしょう。しかし定年後のことでございましたし、またその晩節も右足のお怪我が元で第一線を外され、机上仕事ばかりの日々であったと聞いております。『もう一度前線に。』その思いが、だんな様を突き動かしたのでしょう。一から何もかもを作りあげることにも惹かれたたのだと思います。とにかくだんな様は、根っからの軍人であられたのです。 
       
       
       
       『わしとしたことが、宇宙というものを知らなすぎた。冒険であった。』 
       『無重力ならば、足の怪我も軽くなるように思われてな。』 
       時には、苦く述懐されたことも覚えております。 
       
       
       
       ガトー家は、スペイン北西部に古くから続く名門だったそうで、遠い昔、旧世紀の内戦の折りには、貴族の身でありながら、フランシスコ・フランコの側に付かれたと。それが弱き民衆を助ける道に思われたのだろうと。その時代、それはそれで正しかったのでしょう。事実、ファシズムと称されたドイツとイタリアの政権が倒れたのちも、スペインではフランコ総統の独裁が続いておりました。しかし結局は・・・、歴史が物語っているとおりでございます。 
        
       共和制が終わらんとする頃、追われるように北欧へ移住されたのだそうです。地中海の玄関口に位置するこの土地で、代々築き上げてきたもののひとつとして、かつての領地の名残が海の向こうの北欧にわずかながらあったのです。以後は、そこが新たな故郷となりました。 
       
       そんな名門の生まれにありながら、だんな様は、宇宙へ上がられる際に、新しい名前をお選びになられました。『ラファエル・ガトー』とだけ、登録をされたのです。ジオンという新しい国で生きることへの、だんな様らしい決意だったのでございましょう。 
       
       ですが、だんな様が新しい宇宙で新しい秩序を作ることに人生後半の生きがいを見出されたように、息子さんの方は、新しい宇宙の新しさそのものに惹かれたのです。 
       
       ・・・・・・・・・このニューワールドたる宇宙に。 
       
       
       
       『地球は青かった。』という有名な言葉がございますが、『だが、神はいなかった。』とも。 
       
       神のいない世界に神を作ろうとしたのがだんな様で、神がいない世界を存分に楽しもうとしたのが息子さんとも言えるかもしれません。
  
       
       
       もっとわかりやすく、世のならわしで言えば、だんな様はザビ派で、息子さんはダイクン派だったのです。 
       
       
       
       あとは老いるしかなかっただんな様を、もう一度陽の当たる場所に引っ張り出してくれたザビ家に、だんな様が恩義を感じたことも、その頃たしか16,7歳であった息子さんの若さが、新しい世界を謳うジオン・ダイクンに共鳴することになったのも、しごく当然でございましょう。 
       
       月の大学に進まれて、より自由な思想に触れ、学業もそこそこに大恋愛をされたうえ、成人前に子供を持たれたとか。・・・・・・・・・そう、それがアナベル様にございます。 
       
       学生の本分を忘れた姿にだんな様が激怒されたのが、仲たがいの始まりと聞いております。 
       
       
       
       私がこのことをぼっちゃまに語ったのは、坊ちゃまが無事士官学校を卒業されてから後のことでございました。ですから、ぼっちゃまが軍人の道を歩むようになったのは、ぼっちゃまなりの理由があってとのことと思うております。 
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
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