イヌイの告白(1)















 ・・・・・・・・・はい。ぼっちゃまに初めてお会いした時のことは、よおく覚えておりますとも・・・。



 あの日、私(わたくし)はシャトルの到着予定時間に変更が無いことを確認し、夕食の準備に取り掛かっておりました。だんな様は予定が予定通りに進むことが大変お好きなのです。・・・思えば食卓に席がひとつ増えることになるということは、だんな様にとって、それこそ予定外で気に入らなかったということになりますね。

 門前にエレカが停まったのが窓越しに目に入りましたので、私は玄関前のホールへお迎えにあがりました。帰ったぞと、だんな様が差し出されたコートと帽子を受け取って、軽く頭を下げます。それは私が執事としてお仕えするようになってから、度々繰り返されてきた日常の場面のひとつでありました。

 コートと帽子を手に持ったまま、その後ろから入ってくるであろうぼっちゃまをお待ちしておりました。ちらと視線をそちらにやると、なぜかぼっちゃまは扉の前で躊躇されたように、立ち止まっておられました。体と同じほどの大きなトランクの影に半分隠れるようにして。

 失礼なことに、その第一印象は、あれ?女の子だったか?というものでした。もちろんそんなはずないとわかっておりましたが、ゆるくウェーブした銀色の髪が腰まで長く伸び、大きな紫の瞳がとても愛らしく思えたのです。ですが同時に、その目のきつい光とよく駆けまわっているのでしょう、半ズボンから伸びた健康そうな足は、間違いなく男の子のものでございましたした。入りなさい、とのだんな様の声にうながされて、重そうなトランクを引っ張りながら、家の中へと歩まれました。

 「アナベルだ。・・・こちらは執事のイヌイ。」
 だんな様がぼっちゃまと私と双方に紹介してくださいます。

 「はじめまして。こんばんは。」
 「はじめまして。よくいらっしゃいました。」
 よく通るソプラノの声は、少年とも少女とも判別がつきづらいお声で、後年のぼっちゃまのたくましいお姿と低いお声とは似ても似つきません。初めての家だからでしょうか、ぼっちゃまはやや緊張したご様子で、表情が少しこわばっておいででした。

 「夕食は、八時に頼む。」
 「はい。だんな様。」
 ほとんどとんぼ返りでぼっちゃまをお迎えに行かれて、たいそうお疲れなことでしょうが、いつも通りの時間をご指定になられました。

 「おまえの面倒はイヌイが見る。何事もよく聞くように。」
 「・・・よろしく、イヌイ。」
 こつん、とだんな様の杖が床を叩きました。こういう時は、何か注意すべきことがあるのです。

 「おまえは、まだ子供だ。ちゃんとイヌイさんと呼びなさい。」
 「・・・ごめんなさい。イヌイ・・・さん。」
 「さぁ、お疲れでしょう。お部屋へご案内します。」
 「それから、・・・身なりを整えさせるようにな。」
 「わかりました。・・・さぁ、ぼっちゃま、こちらですよ。」
 自室へ上がって行かれるだんな様の背中を見送って、玄関脇のクローゼットにコートを帽子を掛けてから、ぼちゃまのトランクを引き取り、新しいお部屋へお連れします。ぼっちゃまは、きょろきょろと辺りに視線を走らせながら、後ろをついてこられました。同じ2階のだんな様のお部屋から一番遠いこのお部屋をご用意いたしました。なにせ子供の面倒を見るのは初めてでございましたから、ベッドとデスクをご用意したぐらいで、まだまだ殺風景なお部屋です。ひとまずトランクを床に横にして、ぼっちゃまと向き合いました。

 「お荷物は、私が開きましょうか?」
 「いい。僕がやる。・・・自分でやりますから、イヌイさん。」
 まだ幼い子供の丁寧な言葉を聞くのは、どうにもくすぐったかったですね。だんな様は執事として私をご紹介くださいましたが、本当はそんな大そうなものではございません。長年、だんな様の従卒を勤めさせていただいた後、だんな様があのことで軍をお辞めにならざるをえなくなったのに憤慨し、一緒に辞任はしたものの、何せ官舎住まいでしたから、明日から寝起きする場所もない身。・・・結局、そのままだんな様に拾ってもらったわけでございます。他に通いの料理女と洗濯女がいるだけで、執事と呼ばれるほどの仕事なんぞ、ないのでございました。

 「それでは、夕食まであまり時間がありませんから、片付けは後にして、バスルームへ。」
 「バスルーム?」
 「はい。こちらの扉の奥がバスルームになっております。」
 「手を洗うの?」
 「・・・そうですね、夕食の席に相応しい格好、というものがあるのです。」
 「・・・・・・・・・?」
 ぼっちゃまは、どうもわからないご様子で、バスルームを覗かれました。坊ちゃまの背では、まだ少し高めのスツールに座らせるようにします。洗面台の引き出しからバスタオルを取り出し、ぼっちゃまの首回りを囲むようにぐるっと一周させました。理髪用のケープまでは、用意がございませんでしたので。それから、おもむろにハサミを握ると、
 「少しお髪を整えましょうね。」
 たとえ女の子でも長すぎるぐらいの銀の髪にハサミを入れようとした時、
 (がたっ!!!)
 ぼっちゃまは、慌ててスツールから降りられました。
 「何するの?!」
 「ですから、少しその長いお髪をきれいにしましょうね。」
 「何で?!!!」
 「だんな様が仰ったでしょう。身なりを整えるように、と。」
 「この服じゃだめなら着替えるし、髪なら結べばいい。・・・切らないで。」
 「だんな様は、そういう格好がお好きではないのです。」
 「切らないで!」
 ぼっちゃまが涙目で訴えられます。・・・しかし私にはどうしようもないことです。

 「よく聞いてください。この家では、だんな様のお言葉は絶対なのです。慣れてもらわねばなりません。」
 「じゃぁ、おじい様が、死ねといったら死ぬの?」
 「はい。・・・ですが、そんなことをおっしゃることはけしてございませんよ。」
 予想外の返答だったのでしょう、ぼっちゃまはキッと私を睨んだままで言葉が続きません。

 「おお、もう八時になります。さぁ、ぼっちゃま、お髪を切らせてください。」
 「絶対、やだ!絶対!絶対!絶対!!!」
 それ以上、私にはどうしようもできませんでした。ひとまず、梳った髪を首の後ろでひとまとめにして、スーツを着させると、ダイニングルームへご案内いたしました。あとはだんな様におまかせすることにしたのです。執事失格ですね。

 「・・・どういうことだ?」
 ぼっちゃまのお姿を一目見るなり、だんな様の眉間に深い皺が寄りました。

 「それが、・・・どうしても切るのはいやだとおっしゃいまして。」
 「アナベル。この家で暮らすなら、この家のルールは守ってもらうぞ。」
 「いやだ!」
 だんな様の不機嫌なお声に負けず、ぼっちゃまが叫ばれました。

 「じゃ、夕食は抜きだ。・・・イヌイ!」
 「はい。」
 「連れて行け。」
 「はい、だんな様。」
 こうなるような予感はしておりました。たとえ孫とはいえ、甘やかすことはありません。・・・いやそもそも甘やかすという行為をご存知ないぐらいのお方でございました。

 「さ、ぼっちゃま。お部屋へ戻りましょう。」
 ぼっちゃまは、押し黙ったまま、お部屋へと帰られました。

 「なんで?おじい様は僕が嫌いなの?」
 まっすぐに聞いてこられます。そう思われて当然でしょう。

 「・・・そんなことは、ございませんとも。」
 「十歳になるまで、おじい様がいることも知らなかったんだ・・・。」
 私が知る限りのことを今ここで話すのは僭越でございます。ただお慰めするしかありません。

 「何か理由があってのことと思いますよ。・・・ぼっちゃまこそ、どうしてそんなに髪を伸ばされているのです?」
 「出てって。」
 「ぼっちゃま。」
 「出てってよ!!!」
 小さな手で私の背中を押して扉の向こうへと追い出します。そっとしておいた方がよいのか、無理やり言うことを聞かせた方がいいのか、・・・子供を育てたこともない私にはどうにも難問でございました。

 「ぼっちゃま、また後で参ります。」
 これが、初日のできごとでございました。ダイニングルームに戻ると、むすっとした顔のだんな様がスープを啜っておられます。

 「・・・・・・・・・髪を切るまで、席には着かすな。」
 「はい。・・・ですが、」
 言葉を続けようとする私に、だんな様がひと睨みなさいました。・・・しかし言わねばなりません。命令を果たせなかったのは、私なのですから。

 「相当な根競べになると思います。」
 あの意思を持った紫の瞳。全身で拒否する強さ。最初に女の子かと思った姿などきれいに吹き飛んで。

 「かまわん。いつまでも我慢はできんだろう。」
 ・・・しかし、その見通しは、甘かったと言わざるをえません。翌朝、お部屋に入った私が、ベッドの中のぼっちゃまの赤く濡れた瞳を見た時は、胸が痛みましたが、髪は切らせてもらえず、お昼もノーで。夕食前に今度こそと思いきや、ついには部屋に入ることすら拒否されました。

 「ぼっちゃま、お腹がお空きでしょう?サンドイッチをご用意いたしましたから。」
 ドアをほんの少しだけあけて、部屋の入り口の床に銀メッキのお盆を置いてゆきます。三日目の朝に覗いてみると、まったく手が付けられてない状態で、そのまま置いてございました。

 「ぼっちゃま、いくらなんでも、お体を壊しますよ。」
 「入ってくるな!」
 「・・・ぼっちゃま。」
 やっと11歳になろうかという子供がこんなにも自分の意思を貫くものなのでしょうか。私は、感嘆するやら、呆れるやらで、・・・ただぼっちゃまに、好感を持ったことは確かです。・・・好感などと言うのは不遜でございましょうが。とにかく、女の子のような髪型をしていても、ぼっちゃま確かにしっかりとした男の子であったのです。

 「・・・あやつは?」
 三日目の夕食の席で、初めてだんな様の方から、ぼっちゃまのご様子をお尋ねになられました。

 「まだ、お部屋に篭られておいででして。」
 「なんと、強情な。・・・誰に似たのだ。」
 もちろん、祖父であるだんな様に、そして一度もお会いしたことがございませんが、ぼっちゃまのお父様にも、そういう所がおありになるのでしょう。

 「だんな様、しばらくは、ぼっちゃまの好きにさせてあげられましたら。」
 かちゃん、と杖の代わりに、紅茶のカップを皿に置かれます。

 「わがままは許さん。・・・自ら出てくるまで手を出すでない。いいな、イヌイ。」
 「・・・はい。」

 しかし、わがままだろうと強情だろうと、これ以上、子供を放っておくわけにもまいりません。夕食の後片付けを終えると、私は暖かいコンソメスープを手に、ぼっちゃまのお部屋へと向かいました。

 「アナベル様。入りますよ。」
 ・・・返事は、ありません。倒れでもしていたらと、それでも足音を忍ばせるようにして、奥へと進みます。ぼっちゃまは、ベッドの中に横になっておられました。薄暗い部屋の中で、かなり疲れたご様子で。私は、そっとベッドの端に腰掛けると、そのきれいな銀の髪を撫でながら、声をかけました。

 「・・・もう、限界でしょう。こんなことなさって何になるのです。」
 私の手を振り払う元気すらなく、ぼっちゃまは横たわったままです。

 「ここで、生きていくしかないのです。・・・強くおなりなさい。」
 「・・・・・・・・・強く?」
 小さな声が返ってきて、少し安心しました。

 「髪を切るぐらい、どうということもないぐらいに強く。」
 「この髪は・・・、」
 「何か願掛けでもなさってるのですか?」
 「ガンカケ?」
 「私のふるさとでは、そういう風習があるのですよ。」
 願い事がかないますように、とまるで自分の孫に話すかのように、声が優しくなってしまいました。

 「おとうさ・・・父が、・・・・・・・・・好きだったんだ。」
 「・・・・・・・・・。」
 続きを促すように、そっと髪を撫でます。

 「母に似てるって。・・・よく僕の髪を指で・・・ぐしゃって・・・、」
 失礼ながら、ぐしゃっと指に髪を絡めてみました。

 「・・・そんな風で。」
 ここにいらしてから、何度も流したであろう涙が、またこぼれて落ちて、私は思わず、ぼっちゃまを抱き起こしてしまいました。

 「だんな様も厳しいお方ですが、けして悪い方ではないのです。」
 ぼっちゃまはわかっていると言いたいのか、私の胸で何度もうなずきます。・・・その暖かい体。小さな体。

 「では、だんな様を好きになる魔法をひとつだけ教えてさしあげましょう。」
 「魔法?」
 ぼっちゃまが顔をあげて私を見ます。

 「おじい様の洗礼名は、ラファエル・フェルナンド・ルイス・ロドリゲス・アナベル・デ・ガトーというのです。アナベル様のおなまえは、そこから付けられたものなのですね。」
 「・・・・・・・・・もう一度。」
 さすがに全部は聞き取れなかったようでございますが・・・。

 「魔法は、何度も使ったら効果が無くなるのです。」
 ・・・これ以上、だんな様の領分を侵すことはできません。

 「さぁ、ひとまずスープを飲んで、ゆっくりお眠りなさい。」
 「・・・・・・・・。」
 こくりとうなずかれると、ぼっちゃまはやっとスプーン一杯のスープを召し上がられました。一杯、一杯、また一杯と少しずつ。

 「・・・おいしい。」
 「よおございました。」
 それからシーツの下にもぐって、おやすみなさい、イヌイさん、と。ただのそのひと言がたいそう嬉しゅうございました。



 その晩、ぼっちゃまが何を思い何を考えられたのかは、わかりません。しかしひとつの決心をなさったようでございます。翌朝、食卓に下りてこられたぼっちゃまは、自ら、髪の毛を切られたようで、不ぞろいの毛先が耳の上ではねておりました。



 その姿に私は、これからどのような人生がぼっちゃまに待っていようと、きっとすべて乗り越えていけるであろうと思ったのでございます。




















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