暑い日















 その日は、朝から暑い日だった。










 本来なら気象管理局に苦情の電話が殺到していたであろうが、実際には数人が、どうなっているんだ、なんとかしろ、と電話を掛けてきたのみであった。コロニーの住人たちにとって、その日はもっと別の事に心を占められていた。

 だからといって、この暑さが人間の不快感を刺激する暑さであった事は確かである。ただでさえこの凝縮された空間に醸し出されている、やりきれない悲しみと疑惑の渦に、さらなる重苦しい不穏な空気を付け加えることとなった。

 そもそも、移住が開始された頃の初期型コロニーならまだしも、サイド3の1バンチ、つまりは『首都』として整備されてきたこのコロニーで、気象管理システムに重大な故障が起こるはずがない。ここのリーダー層は北半球の出身者が多く、彼らに合わせて季節と気候を決めたせいで、温暖な北半球を模し、且つ、より緩やかに完璧に温度調節がされていた。

 そこに人為的な意図でもない限り、この異常な暑さが起こり得るはずがない・・・・・・・・・。



 後になって、『どちら側』の仕業なのかと綿密な調査が行われたが、公式には不明とされている。










 彼の住み慣れた公邸から官邸までのおよそ2kmの目抜き通りの両端には、人がびっしりと並んでいた。車道も歩道も都市計画に基づき、幅広く取ってあったが、その歩道の部分には、十数列もの人の群れが車道を向いて立っており、歩道と車道の境目には、一級礼装に身を包んだ警官隊が等間隔で整列し、人々の方に顔を向けて、鋭い視線を走らせていた。守備位置に直立している彼らの顔は、一様に厳しく、どこか緊張している風情である。

 一見には、何かのパレードかと勘違いしそうだが、パレードにありがちな、華やかな歓声も浮かれる人々も振られる小旗もありはしなかった。ここに立ち尽くしている人の多くは、灰色や黒といった地味な服装に身を包み、その何割かは、ハンカチを手に持ち、この暑さで流れてくる汗をぬぐいながら、時おり目元にもハンカチを当てていた。

 これだけの人数がいながら、ささやくような声がいくらか聞こえてくるだけで、静けさ、というものに支配されているかのようでもあった。

 誰かが統制を取っているというわけでもないのに、理由がわからない人が見れば、この行列はたいそう不気味に思えるだろう。

 ざわっ、と突然、静かな中にも一瞬の人の動きがあった。公邸の方からその声があがり、人々はその方向に一斉に視線を向ける。門扉が開き、まず騎馬隊の先頭の馬とそれにまたがった将校の大きな身体が現れた。パカパカと宇宙世紀という名の時代とコロニーという未来の街に不似合いな、蹄の音が聞こえてくる。



 おお、と嘆く人々の顔に浮かんだのは、悲しみであろうか。・・・これから、この国の首相であるジオン・ズム・ダイクンの葬送の儀が始まるのだ。










 そのニュースを人々が聞いた時の、衝撃は大きかった。大きすぎてすぐには信じられないほどだった。心臓の発作で倒れたというアナウンサーや解説者の声を聞きながら、また信じられずにいた。

 遅れて悲しみがやってきた。家族で集まり、親戚で集まり、近所で立ち話をし、職場の仲間と会話をして、ようやく、彼の死が本当であると思えてきた。それでもまだ、多くが涙を流せずにいた。彼の偉大な功績とこれまでのコロニーへの尽力を知らない者はおらず、感謝の念を捧げて、その死を当然惜しむべきなのに、悲しむことでその死を本当には、したくはないかのようであった。



 それから深く静かに、噂が始まった。



 彼の死は謀殺ではないのか?

 心臓の発作と言っているが、毒殺ではないのか?

 中年の域に差し掛かったぐらいで、心臓発作とは早すぎるのではないか?

 いやいや、心臓発作といえば、アレだ。本当は愛人の家で死んだんじゃないのか。

 馬鹿やろう、そんなはずがないだろう。



 どこから聞いてくるのか、テレビジョンからは、繰り返し彼の業績とこれまで辿ってきた人生を繋ぎ合わせた映像が流れてくるだけで、そういった類のコメントは一切ないにもかかわらず、こういった噂は後から後から種類が増えていくだけで、いっこうに途絶える気配はなかった。

 『本当は、ザビ家の奴らがやったに決まってるだろ!』

 もっとも憚られていたささやきが、1バンチ中で聞こえるようになった時、共和国政府は、公式な葬儀の日程と式次第を決めた。

 この噂を打ち消すためには、ザビ家としても完璧な葬儀を演出するしかなかったのだ。家族と暮らした公邸から、サイド3の為の数々の立法を行ってきた議会の前を通って、独立宣言記念広場を一周し、共和国の顔である彼が公邸よりも長い時間を詰めていた官邸までの道のりを馬車で静かに進み、教会では、デギン・ザビが弔辞を詠みあげ、人々は一輪の百合を供えて手を合わせる。

 とにかく公に、だが警備は厳重に、といった計画が練られていった。










 気温はますます上昇を続けていた。騎馬隊と続く儀仗隊とその後ろの黒い馬車がちょうど行程の中間地点にある議会堂に差し掛かった頃には、この場に似合わないと自粛していた、あつい、の声が聞こえ始めた。小さな声ではあったが、あつい、と言えば、より暑くなり、また隣がささやけば、こちらもいっそう暑く感じるものだ。

 暑い、暑い、暑いの声が、悲しみとあいまって、ざわつく人々の間を初めは小さな波のように、数分後には大きな波となって覆っていった。



 暑い、誰が、暑い、ジオン・ダイクンを、暑い、殺した、暑い、のか?、暑い。



 怨嗟と呪詛が混ざったようなうねりが、みるみる大きくなっていく。独立記念広場に着く頃には、静かだった沿道の群れは、まるで抗議の声をあげる集団の様相を呈してきた。



 (いかん・・・。)

 騎馬隊の隊長を務めていたドズル・ザビは、馬上から、殺気すら感じるほどになってきた集団をじろりと見渡した。その仕草は、まるでその一睨みで人々のざわめきが収まる眼力を持っているかのようであった。だが当然、そんなことで収拾はつかず、『ジオン』『ジオン』『ジオン』と重なる叫びが激しくなってきた。

 (このままでは・・・、)

 この葬列を狙って、一騒動あるのではないかという話は、当然のごとくあった。だからこそザビ家の一員として、表立ってこの騎馬隊長の役目を買ってでた。父デギンが葬儀委員長としての役割を担った以上、それはドズルにとって当然の申し出であった。一方で影に引っ込んでいるらしい兄ギレンへの対抗心もなかったのかといえば、嘘になる。

 ジオン・ダイクンは心臓発作で亡くなられたのだ。我がザビ家にやましいことなど何もない。

 それを身体で表すのが、ドズル・ザビという男であった。そんな彼に連られたように弟のサスロもこの隊列のしんがりを勤めている。こうしてザビ家が顔を出せば、何かをたくらむ奴がいても、ためらうのではないか、ぐらいの気概であったが、肌にピリピリとした空気を感じる。軍人特有の勘がまずいと告げている。



 最も人が集まっている独立宣言記念広場を一周しおえて、あとは官邸に向かって、進むだけになった時、最後尾でドズルが恐れていたことが起こった。



 『ドンッ!!!』
 「きゃー!」
 「わーっ!」
 「逃げろ!!!
 「危ない!!!」
 「助けて!!!!!!」

 大きな爆発音が一度だけ聞こえてきたのと同時に、それ以上の叫び声がこだまする。

 「サスローッ?!」

 ドズルが後ろを振り返っても、馬と隊員と馬車と一般人の波に埋もれて、音の発生源は見えない。だが、サスロの詰めていた辺りで音がしたのは間違いない。この位置から見る限り、ジオン・ダイクンの棺を納めた馬車には事故ないように見える。馬車とサスロの元へ向かおうとするが、回りの者が制止する。また爆発があるかもしれない、そんな危険な場所にドズルを向かわせるわけにはいかないというのだ。

 「ええーいっ!」

 だが、手綱を引っ張って馬の前足を上げさせ、それらを追っ払うかのような仕草をし、馬首をくるりとめぐらせて、最後尾へと走らせる。・・・馬車は何ともないな、と安心したのもつかの間、

 「サ、・・・サスロ?!」

 嫌な予感は当たった。今日のために掃き清められた道路の上に、横たわっていたのは、まぎれもなく、サスロ・ザビであった。白い礼服が真っ赤にそまり、家族でなけらばわからないほどに顔がつぶれている。

 「うおおおおっ!!!」

 馬上から降りると、血まみれの身体を抱きしめて、ドズルが叫ぶ。



 『がしゃーんっ』

 今度は、どこかでガラスの割れる音がした。・・・がしゃん、と一拍遅れて、ぱりーん、と二拍遅れて、同じような音が続いた。とにかくこの場から離れようとした群れとは別の動きをする者がどこかにいる。それも複数。



 「お前ら、何をしとるかっ!」

 弟を抱えたままで、ドズルは立ち上がって一喝する。我に返った、隊員と警官が沈静に乗り出す。だが、ここに集まった人はあまりに多く、いらついた人々の群れは、ただジオン・ダイクンの冥福を祈りたいと願っていたはずの民衆から、不平不満の声をあげる反対派の集団へと変貌しはじめていた。



 暑い、誰が、暑い、暑い、ジオン・ダイクンを、暑い、暑い、暑い、殺した、暑い、暑い、暑い、暑い、殺したのか?



 いま目の前で起こった出来事は、その答えだ。



 暑い、ちくしょう、やっぱり、奴らが、首相を、やったんだ。



 その思いを共有していく。・・・この閉じられた空間に、まるでウィルスのように広がっていく。



 『パンッ!』
 
 さっきの爆発音より乾いた甲高い音がした。一発の銃声。その効果は、明白だった。・・・いきおい静まる様子はまったく無く、むしろ刺激剤のように、人々は暴徒化していったのである。
 
 警官隊とつばぜり合いをして、銃を奪おうとする。別の警官がそれを阻止しようと銃を向けると横から別の手がそれを奪い取る。パン、パンと発砲音がさらに続き、もはや人々を抑えらるレベルを越えていた。万一に備えていた催涙ガスの使用をドズルは許可する。

 「なんということだ・・・。」

 サスロの亡骸でさえ、このままでは陵辱されてしまうかもしれない。不本意ながら、ドズルはこの場を副官に任せて、何とか逃れるすべを考える。ジオン・ダイクンの棺の載った馬車を盾にするしかないのかと屈辱の道に顔がゆがむ。



 「サスロ・・・許してくれ。」

 ドズルは腕の中の遺体に詫びながら、数人の側近に回りを囲まれ馬車と共に国防隊の基地へ向かう。その間も、どん、ぱん、がしゃーん、わー、おおーっ、あらゆる音と叫びが混ざって聞こえてくる。



 「ジオン!」
 「ジオン!!!」
 「ジオン!!!!!!!!!」



 これが、ジオン・ダイクンの死に対する報復と粛清のはじまりだった。



 そしてこのことが一人の少年の運命を大きく変えることになる。











 ・・・・・・・・・なお、この日の夜半には暴動は鎮圧された。

 ドズルの知らぬところで、兄ギレンによって配置されていた別働隊が、速やかに出動できたおかげだという。




















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