『おきて』のはなし
むかしむかしのずっとむかしのこと、この銀の谷から南へ向かって三百箇日も歩かなければならないほど遠い、大きな山を百と小さな山を五十と大きな川や小さな川や大きな谷や小さな谷をたくさんたくさん歩いたほど遠い、トリントン山のすそ野に、アルビオンという村がありました。
切立った白い岩肌がまぶしい山々に囲まれ、俗世から忘れ去られたようにぽつんとある小さな静かな村でした。
ある日のこと、あらゆる喧騒と無縁に思えるその村が、喜びの声で沸き立っております。
村中の人間が、石屋のバニングの家の中を、窓という窓、扉という扉からのぞき込んで、ひそひそと声を上げています。がさつものばかりが暮らすこの村でも、さすがに大事の一仕事を終えたばかりで疲れているバニングの前では、声が小さくなりました。
この村では、実に20年ぶりとなる子供が誕生したのです。黒い髪に黒い目と卵のような肌をした元気な赤ん坊でした。『名付けの儀式』のため、バニングの腕に抱かれて、村の真ん中にそびえるネズコの木の前へ現われると、おぎゃーという声が村の入口の白い石のアーチまで届くほど、まことに元気な赤ん坊でした。
村人たちの歓声を受けながら、小さな暴れん坊を慣れない手つきであやすバニングに、まじない師が何やら話しかけております。
『一日が過ぎる前に、終わらさねばならぬ。名は、もう決めたかの?』
『はい、御師さま。名前は・・・』
『これこれ、私にも聞かせてはならん。真(まこと)の名は、成人するまで親と子だけのものじゃ。・・・では、私がよしと言ったら、その名を三度、赤ん坊の耳元で唱えなさい。』
そう言うと、まじない師は右手を赤ん坊の額に当て、左手に握っているイチイの木の杖を高く掲げました。
『光の神と闇の魔王に願おう。掟の日まで災厄から逃るるよう真の名を封印せしめよ。・・・・・・・・・よし。』
最後の『よし』という言葉以外は、神と通じる古語で語られたので、バニングにはまったく聞き取れませんでしたが、『よし』さえわかれば充分でした。出産の苦痛からまだ半日と経たないまま名付けの儀式に及んだため、顔には疲れの色がありありと見えましたが、それでも喜びを隠せずに、赤ん坊の小さな桃色をした耳に真の名を囁きました。
『・・・、・・・、・・・。』
『掟に従い、生命を誇れる者となれ。』
まじない師は、最後に普通の言葉で赤ん坊に祝福を与えました。わーっ!という声が、五歩分ばかし離れて回りをぐるりと取り囲んでいた村人たちから上がりました。
真の名を知れば、その人の人生の全てを操れると信じられていた頃のお話です。こうして真の名を封じられた黒髪の赤ん坊は、仮の呼び名を貰いました。
『"タマスダレ"が良かろう。』
儀式が終って、やっと触れることを許された村長(むらおさ)と長老たちが、赤ん坊の顔を間近に見ております。白い布に包まれた赤ん坊はいつの間にか眠っており、それでもその布が邪魔とでもいうように元気良く手足をばたつかせておりました。
初夏を迎えたこの季節、村の真ん中からそれぞれの家に通じる石の道のほとりには、タマスダレが白い花をつけています。小さな花ですがそれでも満開に咲き誇っていたのです。
こうしてタマスダレは、山の中の静かな村で、人生の最初の一歩を踏み出したのでございます。
「とおおおぉぉぉっ!!!」
「まだまだーっ!」
今日もタマスダレとバニングの威勢のいい叫びが、村の広場にこだましています。日課の剣の稽古です。バニングはにわとりが鳴くより早く起きて石屋として働き、太陽が天辺を過ぎた頃、持ちなれた斧を放り出して、細身の剣(やっぱり石製でしたが)を取ると、タマスダレと向き合うのでした。
タマスダレの片親は、生まれる前に亡くなっており、バニングは一人でタマスダレを育てています。それでも、タマスダレは寂しさというものを知りませんでした。ほかの村人たちもみなそれぞれ片親しかいない上に、生まれてからずっと村で一番小さい子供だったので、つまりはタマスダレの後に新しい赤ん坊は生まれていないので、まるで村中の大人がタマスダレを自分の子供のようにかわいがってくれたのです。
「最後は、素振り百回だ。」
「はい。」
タマスダレは、親の贔屓目ではなく、素直で良い子に育ちました。剣の練習も真面目に取り組んでいます。それ故に、バニングは時々悲しくなりました。
掟に従い、タマスダレはやがて運命(さだめ)の相手と戦わねばならないのです。そして戦えば倒されるかもしれないのです。唯一の望みは、成熟期の大人がバニング一人な上に、近隣の村々もあそこは誰もいなくなった、ここも誰もいなくなったという噂ばかりなので、この村ではもう子供が産まれないかもしれない、・・・それならタマスダレの相手は、現われないかもしれない、ということでした。
もうすぐタマスダレは19歳。いよいよ成人の年です。
(もしかしたら、タマスダレは戦うことなく、一生を過ごせるのではないか。)
掟がそんな甘いものではないことを、20年も戦いのない村に住んでいたバニングは、忘れかけていました。
19歳の誕生日の前夜、明日は村のみんなにお祝いしてもらえるというので、タマスダレはとても楽しみにしていました。タマスダレが生まれてから後、誰も成人を迎えていないので、お祝いがどんなものかも知らなかったのです。
タマスダレは、嬉しさのあまり眠れずに、こっそり森へに散歩に出掛けました。隣のベッドでは朝が早いバニングがもう寝息を立てています。そーっと足音を出さないように通り抜けて、お気に入りの山すその森を目指しました。
それはタマスダレの大好きな遊びのひとつでした。これまで、夜に森を歩いたからといって、一度も危険な目に合ったことはありません。月の光の中、木々の間を抜けていくと、夜にしか会えない獣たちが、タマスダレを迎えてくれます。小さくて弱々しい生物を、タマスダレは兄弟の代わりのように思っていったのかもしれません。なにしろ、村には年寄りしかいませんから。
「ん?」
さらさらと森の中を流れる川の向こうに、ぼーっと赤いものが光ったように見えました。何だろう?と、タマスダレが少しずつ近づいていくと、大きく赤く、時々形を変えています。
・・・それは、焚き火の明かりでした。それだけでなく、人間の背中のようなものが見えました。もっと近づくと、赤い髪が背中に垂れているのがわかります。木の串に刺さったパン、石の上に置かれた鍋、右手ですぐ掴める位置にある剣に、なんだか赤っぽい毛布まで、はっきりと見てとれた所で、タマスダレはようやく足を止めました。
しかし、すでに遅し。・・・足音に気づいたのでしょう、ゆっくりとそれが振り返ったのです。二人の視線がぶつかりました。
タマスダレはびっくりして動けません。そこにいる人間が自分とそんなに年が変わらないように見えたからです。何しろ年寄りに囲まれて育ったので、そんな『若い』人を見るのは、生まれて初めてでした。
声も出せないでいるうちに、それは立ち上がってこちらへ歩いてきます。焚き火から離れるにつれて、長い髪が銀色をしているのがわかりました。炎を受けて赤く見えただけだったのです。なにものかといぶかしみながらも、敵意というものを知らないタマスダレは、恐れることなく近づくのを許します。そしてとうとうすぐ目の前に、銀の髪の人間が立ちました。
すっと、長い手が伸びてタマスダレの頬を撫でました。びくん、と身体が震えました。頬から不思議な力が全身に走ったような気がしました。一瞬、目の前がはじけたように光り、そして暗くなって、また光を取り戻すと、辺りの景色が消えてしまったように、紫色の目をした人間の顔しか目に入りません。
・・・・・・・・・タマスダレは、さっきから自分の身体が熱っぽいような気がしていましたが、いよいよそれがひどくなるのを感じていました。少しの緊張がそれを忘れさせていたのですが、立っているだけで足はだるいし、心臓がたくさん走った後みたいに、どきどきしています。
タマスダレは気づいていませんでしたが、散歩の途中で真夜中を過ぎ、19歳の誕生日を迎えていたのです。身体には静かに変化が起こり始めていました。
「私は、ペール・ギュントのガトー。おまえと契りを結びたい。」
それはバニングから聞かされたことのある、掟の言葉でしたが、すぐに現実のできごととは思えません。これから契りそして戦うことが、どうもピンとこないのです。
しかし理性よりも先に本能がタマスダレに応えさせます。
「私は、アルビオンのウラキ。おまえと契りを結びたい。」
タマスダレは、真の名を取り戻しました。ああ、そういう名前だったのかと、どこか頭の遠くで思いながら、ガトーの右手と自分の右手を重ねました。二人とも熱くて熱くて、もうどうしようもありませんでした。
初夏とはいえ、夜の青草の茂みはしっとりと露をはらんでいます。背中が冷たいはずなのに、二人にはまったく関係がないようです。唇と唇が胸と胸が太ももと太ももがひっつきます。熱は膨れ上がって、出口を求めて身体の中を駆け巡ってます。お互いの背中に回された腕が力いっぱい抱きしめ合いました。
獣じみた声がいくらでも自分の口から出ることに、ウラキは驚きながら、それでも叫びつづけました。ガトーも叫んでいました。繋がり合った部分から身体が融けて、世界の深淵へ落ちていく気がしました。
「あああぁぁぁっ!!!」
「うおおおぉっっっ!!!」
最後にひときわ大きく叫ぶと、急にぐったり静かになりました。・・・・・・・・・二人は契りを尽くしたのです。
|
重なった身体を離すと、ガトーは衣服を整えだしました。ウラキも立ち上がって、めくれたシャツをズボンの中に押し込みます。さっきまでの熱が嘘のように引いています。が、お腹だけが少し重いように感じていました。
もう朝が近いのでしょう。焚き火にくべた枯れ木は燃え尽き、山の向こうからぎざぎざの光が射して辺りを明るくしています。その中で、はっきりと捕らえることができた運命の相手ガトーの姿は、ウラキより一回りがっしりとした体格で、珍しい銀糸のような髪がさらりと肩の上を這い、鋭い目つきを宝石のような紫の輝きがいくぶん柔らかく見せていました。・・・やはり若くて、どこか遠い村の人に違いない、とウラキは思いました。物々交換のためにたまに出かける山向こうの村々のどこにも年老いた人間しかいないのですから。
ガトーは身支度を終え、最後に襟足でその長い銀髪をきりりとひとつに結ぶと、右手に握った剣を空に掲げて言いました。
「光の神に誓い、この命を預けん。我に智を!」
戦いの言葉です。
(闇の魔王に誓い、この命を預けん。我に力を)と、ウラキが応えねばなりません。それが掟でした。しかし、
「僕は剣を持っていない。」
「・・・それでは、剣を取って戻って来い。」
渋面を作りながら、ガトーが言います。自分が契りを尽くした相手が、剣も持たずに歩くような、自覚のない奴だったとは、と。
「どうしても戦うの?」
「・・・なんだと?!」
ガトーは、カッと頭に血が昇りました。掟をないがしろにするにも程があります。契りを尽くしておきながら戦わないなど、考えられないことなのです。
「こんな・・・すばらしいことを教えてくれたのに、戦わないといけないの?・・・どうしても?!」
どうしても、ウラキにはわかりきれません。掟の話は、小さい頃から何度も聞かされています。しかし、この山の中でなら戦う相手とめぐり合わないかもしれないというバニングの思いがウラキに濃い影を落としてしまったようでした。
「私は、初めての時も、契り、戦い、倒したぞ!・・・なんと情けない!!!」
「でも・・・」
「それが、掟というものだ。」
「うわっ?!」
ガトーは右手に握っていた剣をウラキの足元に放り投げると、背後の消えた焚き火の側に近づきました。そこにはガトーの荷物らしきものがいくつか置かれていました。がさっと大きな袋を開けると、中から剣を取り出します。・・・それは小さな小さな剣でした。ウラキが子供の頃、剣の稽古に使っていたような。もちろんガトーの身体にはひどく不釣合いな大きさです。
「貴様のような奴を相手するには、これで充分だ!」
しびれを切らしたガトーは、自分の剣をウラキの貸し与え、その子供用の剣で戦おうというのです。さすがにそれは卑怯すぎると、ウラキがためらっていると、ガトーが一歩踏み出しました。切先が目にもとまらぬ早さでウラキの頬をかすめていきます。・・・一陣の風が通り過ぎた気がしました。
「くっ!」
どうやら並大抵の腕ではないようです。・・・うかうかしていると、何もしないままにやられてしまうのは目に見えています。ウラキは慌てて足元の剣を握ると、やっと戦いの言葉を唱えたのでした。
「闇の魔王に誓い、この命を預けん。我に力を!!!」
作法通り、右手にガトーから借りた剣を握り天に向けて高く掲げます。
「よしっ!・・・遠慮はせぬぞ!!!」
その時のガトーはとても嬉しそうに見えました。・・・ウラキには、それが不思議でした。
「ううっ!」
「ちっ!」
シャン、シャン、シャーン、・・・剣と剣がぶつかる音が静かな森に響きます。剣の長さの違いなどガトーは全く意に反しません。ウラキは辛うじて受けるのが精一杯です。
黒髪が切れて宙を舞いました。胸元をかすめて、大切な服が破れました。左の上腕に赤い鮮血が滲んでいます。長引くにつれ、足元がおぼつかなくなってきました。下生えの雑草に何度も足を取られそうになりました。
「・・・(痛っ)!」
「そこかっ!」
(・・・いやだっ!・・・死にたくないっ!・・・死にたくないっ!!!・・・・・・・・・死にたくないーーーっ!!!)
ガトーの剣がもたらす痛みが、今まで知らなかった感情を呼び覚ましました。必死の反撃が、ガトーの脇腹を傷つけます。
「あっ?!」
「・・・ふっ・・・そうでなくてはな。」
自分の手でガトーに血を流させたことに、ウラキは一瞬罪悪感を覚えましたが、ガトーの方はやっと手応えが出てきたことに喜んでいる風に見えました。そう見えたとたんに、ウラキも腹立たしくなってきました。
・・・・・・・・・生存本能から闘争本能にスイッチが切り替わったのです。ウラキは幼い頃から修行を積んだ剣の腕を存分に揮えることに、満足感を覚えながらガトーの元へ飛び込んでいきます。
技量では、ガトーが勝っていました。思いきりの良さでは、ウラキが勝っていました。・・・ただ、ガトーには2度目の戦いで、ウラキにはこれが初めての契りの後の初めての戦いでした。時間が長引くほど、ウラキにより疲れの色が増していきます。・・・朝日が完全に山の稜線から顔を出し、森の緑も、川辺の石の白さも、野の花の赤や黄も、目にはっきりと写っていました。
「くそっ!」
「どうだ、逃げられまい!!!」
ウラキの背中がトチの幹に当たっています。後ろに下がろうとして右か左に回ればその瞬間に、ガトーの剣がウラキの喉を捕らえることは間違いありません。
(ここまでか。)
どくん、どくん、と心臓の音が、まるで他人のもののように、耳から聞こえてきます。それでもガトーをにらみつけることだけは忘れませんでした。ゆっくりと剣を胸元に引き上げます。ガトーの方は右上段に剣を構えています。
・・・・・・・・・その時でした。
「がとーぉ。」
甲高い声が叫びました。わずかな、本当にわずかな間だけ、ガトーの気がそがれました。張り詰めていたウラキの神経は、それを逃しません。足を踏み込むと同時に、ウラキの握ったガトーの剣がガトーの心臓を貫いたのです。
「ぐおおぉぉぉっ!!!」
「ああっ!!!」
そのぐにゃりとした感触に驚いたウラキが、戦いの前の自分に立ち戻ったように、倒れたガトーの元に駆けよります。
「・・・私の・・・・・・・・・負け、だ。」
・・・・・・・・・もう虫の息です。胸どころかほぼ全身、下草まで真っ赤に染まっています。
「て・・・手当てするから、・・・えっとっ・・・」
「だめだ、・・・早く、・・・・・・・・・ここか、ら、・・・立ち・・・・・・・・・去れ。」
破れかけの服を引き裂いて傷口を塞ごうとするウラキの手を、ガトーが押し戻そうとします。・・・が、形だけで全く力が入っていません。
「掟・・・だ。・・・・・・・・・転生、でき、ない。・・・早く、消えろ・・・」
死ぬところを誰かに見られると、魂が永遠にさ迷い続けることになるのです。ウラキは、胸が絞めつけられるような思いを抑えて、その場を離れようとしました。
「・・・がとーぉ。」
あの甲高い声が、もう一度聞こえてきました。何か小さなものが、木の後ろから現れます。・・・倒れているガトーの側に近寄ろうとしました。ウラキは、それを抱え込むと、暴れる身体を押さえつけて、森を後にしました。
森を抜けて眼下に村を見渡せる小高い丘の上まで出て、やっとウラキは腕の力を緩めました。中のものが静かになったからです。・・・それは子供でした。・・・自分が小さかった頃に川や鏡に写った姿を見ていらい、久しぶりに見る本当の子供でした。
(このぐらいだと・・・6歳・・・、いや、7歳、8歳か)
もう19歳にもなってるのですから、よくわかりません。その子供に聞こうとして、膝を折ると目線を合わせました。銀色の髪に、紫色の目をした・・・さっき戦いそして死んでいったはずのガトーにそっくりな子供でした。
子供は、静かに泣いていました。・・・真っ赤な頬に幾筋も涙を落としていました。
「な・・・」
「わたしは、ぺーる・ぎゅんとの"ホオズキ"。・・・・・・・・・せいじんしたあかつきには、おまえとちぎりをむすびたい。」
ウラキが聞くよりも早く、ホオズキはそう言いました。・・・小さな目がウラキを睨んでいました。それは、契りの後の戦いを約束する、せいいっぱいのホオズキの敵討ちでした。
ガトーと戦う前の自覚の足らなかった自分を思い、ガトーならばこの子に掟を教えてきたのだろう、とウラキは悔しいような悲しいような、そして誇らしいような気がしました。
「ホオズキ・・・、おまえいくつだ?」
「・・・5さい。」
「そっか。」
・・・・・・・・・あの契りと戦いの日から、2ヶ月が過ぎました。森から帰ったウラキとホオズキを、バニングも村人たちも驚きながら喜んで迎えました。ともかく成人の儀式の相手が見つかったこと、・・・そして生きて戻ったことは、とてもおめでたいことだったのです。
ホオズキはウラキの家で一緒に暮らしています。契り戦った相手の子供を生き残った方が育てることも、掟にありましたから。・・・ホオズキは、ガトーが最初の契りで生んだ子供でした。2度目の発情期を迎えたガトーはホオズキを連れて、何ヶ月も旅をしてやっとウラキとめぐり会えたのでした。・・・それぐらいこの星では、人間が少なくなっていたのです。
最近、ウラキは身体がだるくてたまりません。石を削るにも、振り上げた斧が狙った位置に叩き込めません。ご飯の後にひどく眠くなり実際にベッドに横になってばかりいるウラキに、バニングが言いました。
「契りの後だからな・・・ちゃんと赤ん坊ができたのさ。」
「・・・・・・・・・赤ん坊。」
そうでした。ガトーは亡くなりましたが、その命はこうしてここに繋がっているのです。ウラキは、まだ膨らんでもいない自分のお腹をゆっくりとさすってみました。
(ガトー・・・・・・・・・。)
なぜだか涙が滲んでしまいました。
ガトーのことを思います。・・・初めて契った日のことを、初めて戦った日のことを。・・・たった一晩の、ほんの数時間の記憶。銀色の髪をしていました。白い肌をしていました。紫の目をもっていました。・・・・・・・・・他には何も知りません。よけいに悲しくなりました。
「どうしたの?」
「え・・・。」
ベッドに腰掛けて、うつくむウラキの顔を、下からホオズキが見上げています。心配そうな顔。見つめる瞳はガトーにそっくりです。
「ホオズキ。・・・ガトーってどんな人だった?」
「がとー?。・・・・・・・・・あのね、とてもおおきくてね・・・」
亡き親のことを考え、一瞬、顔をしかめると、ホオズキは言いました。
「とてもつよくて、とてもきびしくて、とてもえらそうで、とてもこわくて、とてもかっこよくて、・・・とてもとてもあたたかいの。」
「・・・・・・・・・そう、そうだったね。」
大きくて、強くて、厳しくて、偉そうで、怖くて、カッコよくて、暖かだったことをようやく思い出しました。・・・でも今にも忘れてしまいそうで、ウラキはただ小さなホオズキを抱きしめたのでした。
|
初めての契りからほぼ一年後、ウラキは子供を生みました。・・・黒い髪に黒い目をした、ウラキによく似た赤ん坊でした。
仮の名を"ノビル"とつけられたその子は、昔のウラキみたいにお包みを剥がさんばかりに元気良く手足を遊ばせています。6歳になったホオズキが揺りかごの中をにこにこしながらのぞき込んでいます。
・・・この村では、子供、は、この二人しかいません。・・・・・・・・・このまま時が過ぎれば、ウラキがホオズキと戦うか、ホオズキがノビルと戦うか。もしかしたら、流れ者がまたやってくるかもしれません。が、その可能性はとても低いと思えました。
ホオズキは、とても良い子です。剣の練習も石屋の手伝いもきちんとこなしています。・・・ノビルだって、まだ生まれたばかりです。それでも大きくなれば、戦うしかないかもしれないのです。
掟は絶対です。・・・しかしウラキの心には、やり切れない思いが広がっていました。
ノビルの3歳の誕生日、初めての剣の稽古に、長老たちやまじない師がぞろぞろとやってきました。ますます村は年寄りだらけになり、村人の数も減っていました。
剣の神の祝福をノビルに与えようとするまじない師に、ウラキはとうとう言いました。
「掟なんて、いったい何の為にあるんだ?!・・・戦って戦ってみんな死んでいって、いったい何になるんだ?!」
「掟は、掟。破ることはできん。」
ざわざわと動揺の色が村人たちの間を走ります。・・・掟に疑問を持つとは、なんと罰当たりな、と。
「戦い続ければ、最後にはただの一人だけになるんだ・・・そんな世界は、おかしい!!!」
「掟は神が決めたこと。わしらがどうこう言うべきものではない。」
「ノビルに・・・この子に剣は必要ない。・・・俺は俺の子供たちに殺し合いをさせはしない。」
「何を、ばかなことを!」
「そんなことは許されんぞ。・・・仕方ない。ウラキを捕まえろ。」
村長の一言に、村人たちがウラキを取り囲むように動きました。
「どうしても剣を教えるというのなら、俺が全力で阻止する!」
ウラキは、腰に下げていた剣を・・・ガトーの形見の剣を、右手に握りました。
「・・・・・・・・・このバカがっ!・・・始末は俺がつけまさぁ!」
村人の群れから一歩進み出たのは、ウラキの親のバニングでした。やはり剣に手を掛けています。
「・・・。」
「・・・・・・・・・。」
二人の間の空気が緊張します。親と子で剣を構えあっているのです。
「とりゃあぁぁぁっっっ!」
カキーンッ!
かけ声と共に剣を切り出したバニングですが、ウラキの反しの剣の勢いで手の平から剣が離れてゆきました。・・・ウラキは悲しくなりました。かつて大きく強くあったバニングがただの一撃の元に負けたのです。・・・・・・・・・そうです、村にいるのは本当に年寄りばかりで、バニングも他のみんなも、もはや誰もウラキに勝てるわけがなかったのです。
ウラキは止めを刺しませんでした。・・・黙って背を向けると、ホオズキとノビルを連れて家に篭りました。明日になったら、稽古をはじめるからと告げて。
そうして、ウラキはその夜、アルビオンの村を出ていきました。・・・・・・・・・バニングは寝たふりをしたまま、子供と孫を行かせたのでした。
(どこまで行けるだろうか。・・・もうたくさんの村が滅んだというのに。)
険しい山々を幼い子供二人連れで越えるのは一苦労です。それでもウラキは歩き続けました。なるべく遠くまで行くつもりでした。掟の日が来れば、自分がそうだったように、子供たちが運命の相手とめぐりあってしまうかもしれません。人がいない方、いない方、冬の厳しい土地を目指して、ずっと歩き続けました。
いくつも人の消えた村を通り過ぎて、銀色の氷がまぶしい湖のある谷にたどりつきました。夏の三ヶ月しか氷が溶けないような寒い寒い谷でした。
ウラキとホオズキとノビルはそこに家を建てました。・・・・・・・・・剣は湖に捨てました。
それが、私たちのずっとずっと先祖の物語だということです。
『掟』がどうなったか、・・・・・・・・・ですか?
私にはわかりません。・・・ただ、今はこんなにたくさんの人間がいます。ホオズキとノビルが戦っていたら、そうはならなかったでしょう。
掟よりも大切なものが、きっとあったのです。・・・・・・・・・これが銀の谷の物語の全てございます。
(民間伝承より)
+ END +
戻る
+-+ ウラの話 +-+
『こどもとぎんのりゅう』を読んで、ガト竜さんに泣かされて、思いついたお話なんですね。
というわけで、書き始めたのはずっと昔なんですが、やっぱり今頃できあがってみたり(とほほ)。
・・・こっそり樹さんに捧げます、ええもちろん(笑)。
管理人@がとーらぶ(2001.11.27)
Copyright (C) 1999-2002 Gatolove all rights reserved.