その年の夏はとても暑かったけど、そんなことは僕たちに関係なくて、世界はまだ未知数で、毎日を楽しく過ごせれば良かった。















君がいた夏。















 『パーン!パパーン!!』



 この島の夏祭りは、花火がはじける小気味よい音で始まる。



 「あ・・・」

 僕は縁側で、その音を聞きながら、お祭りに行こうか行くまいか悩んでいた。14歳の中学生ともなれば、お祭りにはしゃいで出かけるってのは、ずいぶん子供ぽいんじゃないかと思っていたわけだ。

 それに祭りといっても、人口は800人規模の小さな島だ。小学校の校庭の真中に組まれた櫓の上で鳴り響く太鼓の音に合わせて、輪になって踊る列に加わるか、10軒もない露店を、のぞいて歩くしかない。

 ・・・金魚すくいに綿菓子売り、飴屋に射的、輪投げ遊び。



 「あらー。」

 「・・・大変だったわね。」

 「ええ、居るわよ。」

 玄関口から母の大きな声が、部屋2つ分を隔てたこの縁側まで届いた。島の人間は、みな声が大きい。海の上に浮かぶ船に向って叫んだり、山の上の畑からふもとにどなったりしてるうちに、必然的にそうなってしまうのだ。

 ともかく、会話の内容から、誰かお客さんかなと思っていると、



 「こーう!お友達よー!!」

 一段と大きな声で母が僕を呼んだ。



 特に約束はしてなかったけど、誰か誘いに来てくれたのか・・・と、側に置いてあった飲みかけの麦茶を一口含んでから立ち上がった。日に焼けた畳を踏んで開いたままの襖から廊下に出る。そこから玄関までは一直線に見渡せた。母のちょっと太目のシルエットの向こうに、ほっそりとした少年が、浴衣姿で立っていた。



 「・・・鈴(りん)。」

 だった。



 「よう。」

 彼は僕を見とめると、『久しぶり』の意を込めたように軽く右手を上げた。・・・実際、僕の家を訪ねてきたのは、久しぶりのことだった。



 「お祭り、行かないか?」

 唐突な彼の誘いに、僕はちょっと躊躇した。小さい頃はよく一緒に遊んでいたけど、中学に入ってからは、だんだんと疎遠になっていたからだ。



 「・・・うん。」

 そう答えてしまったのは、たぶん同情心、からだろう。

 ・・・鈴は夏休みに入ってすぐ、母親を亡くしていた。この日本で、彼のことを、本気で思っていてくれていた、恐らく唯一の人を。



 「じゃあ、いってきまーす!」

 ガラガラッと音を立てて、玄関の引き戸を閉めると、母から貰ったお小遣いを半パンのポケットに放り込んで、夕日射す小路を鈴と連れだって歩き出す。西に落ちていく太陽は空と海の両方をオレンジ色に染めて、島ならではの景色を演出していた。



 「・・・?」

 急に夕方の風が吹いて、鈴の髪を僕の顔に運んでくる。・・・何だかイイ匂いがした。彼の髪の毛は、当時の男の子の基準からいえば、長めで、耳が隠れるほどの長さで切りそろえられていた。僕は、坊主頭とは言わないけど、彼に比べたらずいぶんさっぱりしている。

 その匂いが、高級なシャンプーのものなんだろうとぼんやり思った。・・・彼の母親が使っていたはずの。家にあるスーパーの特売品とは、どこか違う。





 彼の母親は、島一番の美人で、島一番のおしゃれな人で、島一番のスキャンダラスな人だった。

























 僕が住んでいた宇品島は、不思議な島、だ。



 島といっても、対岸の本土からは、50m離れていない。広島湾を取り囲む本土側の付け根が、ほんのわずか海に浸食されたせいで、向こうと切り離されてしまったんだろう。

 その一番本土と近い場所には昔から橋がかかっており、・・・たった50mだから、大そうな技術がなくてもいいわけだ、おかげで島特有の台風でモノがないとか、急な病でも医者に診せられないとか、そういうことには無縁でいられた。

 近くにある宇品港は四国へ渡る玄関口で、人の往来も多い。広島市の中心地からも近くて、その距離圏だけを考えると、十分「都会」の範疇に入りそうだ。が、ここはなぜだか別天地だった。



 本土から「暁橋」を渡って島へ入って来ると、すぐに辺りの雰囲気が違っているのがわかる。島全体が緑で覆われて、その植相も複雑だ。太古から生きる杉の原始林も風防としての松林も、誰かが気まぐれに植えたとしか思えない蘇鉄林も仲良く並んで立っていた。

 瀬戸内の温暖な気候に適した、蜜柑の段々畑が、南斜面に広がっている。最南端には、この島で、最も人工的なもの、でも最も優美なものが、そびえ立つ。それは、真っ白な灯台だ。夜になれば沖合いを行く船の安全を守る光を放ち、背の高い松林の上にさらにニョキッと突き出た様は、神々しくさえ見えた。

 毎年11月1日の灯台記念日は、島の子供たちのとっておきの楽しみの一つだ。その日は、入口の重たい鉄の扉が開放されて、自由に中へ出入りできた。内側の長い長い螺旋階段を登って、天辺から海を眺める。





 階段を登る途中で見上げた螺旋は、どこまでも終わりがないようで、宇宙まで届きそうな気がしていた・・・

























 そうだ・・・鈴が僕の家に来たのは、中学に入ってから、初めて、のような気がする。



 小学生の頃、僕たちは行きも帰りも一緒につるんでいた。

 小学校は島のほぼ中央に在って、島の子供だけが通う、小さな世界だ。僕たちの学年は男女合わせて12人。・・・ああ、卒業した時には11人、だったけど。野球で遊ぼうと思えば、他の学年も一緒でないとできない。同学年はおろか、全校生徒と顔見知しりになっても当たり前だ。

 島には小学校しかないので、中学からは本土に通うことになる。中学には、島の10倍以上の同級生がいた。そして、その頃から、僕たちは、もしかしたら親友、と呼んでもいい仲から、普通の友だち同士に変わった。

 僕の周りには、『ハヤカワ・ポケットSF』を貸し合いこして目を輝かせて読むような少年が、彼の周りには、ちょっと怖そうな、世の中の全てに不機嫌な態度をとるのが大人だと思っているような少年たちが集っていた。



 何が、どうなって、そうなったのか、わからない。あんなに一緒に遊んでいたのに。

 でも、こんな時にこうして僕のところに来たってことは・・・



 (おばさんが、亡くなって、まだ一月足らず。)

 (悲しくないんだろうか?・・・うーん、そんなはずない。)

 (・・・お祭りって気分でもないよなぁ、普通。)

 道すがら、鈴の心根を察しようとしていた僕の思考は、まとまらないままに、目的地へ着いた。



 「けっこう来てんなぁ。」

 今日はお祭りの会場になっている小学校の校庭、そこまでなだらかな未舗装の路を600mばかし歩いた。闇がだいぶ辺りを覆い、祭り場を囲むように取り付けられた色とりどりの提灯の明かりが、ようやく目立ち始めている。



 「・・・だねー。島中の人間がここに来てるみたい。」

 ちょっとはずれたが、島の9割方の人間がこの校庭に集まっていたのは間違いない。



 中央の櫓で、太鼓のバチを威勢良く叩きつけている、おじさんたち。その音に合わせて、ゆったりとした島の盆踊りを、披露しているおばさんとおばあさんと小さなこどもたち。

 そして、ちらちらと鈴を盗み見している、浴衣姿の同級生の女の子のグループ。鈴の奴、中学に入ってからよくモテてるらしい。特定の彼女はいないみたいだけど・・・あ、近づいてくるぞ。



 「加藤くん・・・その・・・大丈夫だった?」

 「少しは元気、出た?」

 「あっちに、射的の屋台があってね。・・・鈴くん、得意だったでしょ。」

 「・・・ああ。」

 鈴のそっけない返事にかまわず、女の子たちが周りを囲む。たぶん彼女らも気を使っているんだろう。鈴が、ある意味、たった一人の身内を亡くしたことを、島の人間なら誰もが知っていた。引きずられるように、鈴が奥の屋台の方へ、連れていかれそうになる。



 2年ほど前から急に背が伸び始めた鈴だったが、さすがに大人に混ざると、背の高さはそれほど目立たない。



 でも、



 でも、彼が僕を見失っても、僕が彼を見失うことは、たぶんない。・・・その銀色に輝く髪が立派な目印になったので。





 彼は、半分フランス人、半分日本人の血を引く、島で唯一の異邦人だった。

























 鈴がこの島にやって来たのは、7歳の時だ。フランスで生まれた彼が、日本人の母親に連れられて日本に戻った時は、5歳だったらしいが、最初は東京で母親と二人、暮らしていたという。



 彼の母親は、島の中では、ずいぶんと出来が良くて、女性の一生の職業は教師か公務員か看護婦という時代に、娘のことを思いやった半農半漁を営む両親が、無理して大学にやったものの、その大学で彼女は子供を身ごもった。

 フランスからの留学生と恋に落ちたのだ。そして彼女の妊娠が発覚したのと、彼の帰国予定とが、ほとんど同じ時期だったことが、この場合はマイナスに作用した。



 『中絶しろ。』

 その一点張りの両親と同じ島に住む親戚一同に対抗するように、彼女は駆け落ち同然で、男についてフランスに渡った。・・・大学を中退してまで。もしも彼女の両親が出産だけでも認めていたなら、日本で未婚の母という道を選択していたかもしれない。が、もう過ぎたことだ。



 そして、フランスでの生活・・・は、大方の予想通り、中途で破綻した。

 相手の男との間に、何があったのか、島の誰もが正確には、知らない。・・・遊びだった。捨てられた。軽率だった。バカだった。小さな島を席巻する噂。



 彼女たち親子が、東京で2年間、二人きりでがんばったあげく、出産に反対した親に頭を下げてまで島に戻ってきたのは、女一人で子供を養うことが、いかに苦労多い故かと、想像するのは難しくないだろう。

 最後まで彼女を許そうとしなかった父親が生きていれば、それでもこの地を踏めなかったかも知れないが、幸か不幸か、一年ほど前に亡くなっていた。肝臓を悪くして。

 『お前があんなことをしなければ、父さんも酒びたりにならなくて済んだのに・・・』時々思い出したように娘を責める声は、やはり大きくて、近所にも筒抜けだった。



 だが彼女に何ができるだろう。結局、息子の『鈴』を母親に預けると、稼ぎのいい水商売、で生活費を得るために、街中に住んだ。毎日曜の朝に島に戻って、月曜日の出勤時間に合わせて島を出て行く、そんな彼女の姿を、彼女が生きている間中、僕は見ることができた。





 ・・・そうして、一目見て、「あっ、外人!」とわかる『鈴』に僕が初めて出会ったのは、小学校の2年1組の教室だった。

























 「ああーっ!くっそう、逃げられた!!」

 鈴の手の中で、濡れた『ポイ』から水が滴り落ちている。



 「だめだよ、もっとそっとやらなきゃ・・・」

 すでに金属の碗の中に、赤い金魚を7匹と黒い出目金を2匹ほど泳がせている僕は、彼に教えてやる。・・・水平に動かして、斜めから持ち上げるんだってば。



 「・・・おじさん、もう一枚。」

 「あいよ。」

 だがとうとう、1匹も捕まえないうちに、鈴のポイは無残にも破れた。悔しがる彼は、さっそく次のポイを受け取って、再挑戦する。浴衣の裾がめくれて、白い素足が見えた。島の子供らは、夏が来ればあっという間に真っ黒になったけど、鈴だけはいくら太陽の下にいても、なかなか黒くならなかった。



 「いけるいける・・・・・・あっ!」

 「・・・クスッ。」

 鈴は、今ほど背が高くなかった頃から、体を使うことはなんでも得意だ。でも、ただ一つだけ、僕が勝ってることがある。残念ながら、威張って言えるほどのことじゃない。・・・『金魚すくい』だ。こればっかりは、センスの問題もあるらしく、島の『金魚すくいチャンピオン』を父に持った僕に、鈴はどうしても勝てないのだった。



 「・・・やめた、やめた。・・・綿菓子、食おうか。」

 収穫のないまま、2枚目のポイも見事に破った鈴が立ち上がって言った。

 「ま、待て、よ・・・」

 すくえなかった子にも、1匹だけ金魚が貰える。だが、鈴は『いらない』と告げると、金魚を15匹ほどに増やした僕を置いていこうとする。まだまだすくえた僕は、おじさんに出目金だけビニールに入れてもらって、彼の後を追った。





 久しぶりに、鈴のそばで過ごす時間は、思っていたほど違和感が無くて、そのゆったりと流れる時を、僕は楽しんでいた。

























 『加藤 鈴』



 黒板に名前を書いてと言われた転校生が、小学2年生のくせに姓名とも漢字で書いた時、先生は、机について好奇心いっぱいの目でこちらを見ている生徒らのために、名前の横にルビをふらなければならなかった。



 『かとう りん』



 転校生は、見慣れない銀色の髪と、見慣れない紫色の目をしていた。



 (わー、外人の子だー!!)

 肩まで届くキラキラ輝く髪、宝石にも似た丸い紫の瞳、大人が着るような・・・それもお出かけの時だけだが、紺色のジャケット、に半ズボンから伸びた真っ白な足。珍しいものを見るように、いや実際、初めて生で見た異国の子供だったのだが、一番前の席にいた僕は、黒板のふりがなを見て、不思議に思ったことを覚えている。



 (外人の名前っていったら、『トム』とか『ジェリー』とかじゃないのー?)

 子供の僕が考えることいったら・・・全く。



 「『かとう りん』くんです。みんな、仲良くしてあげましょうね。」

 先生が、鈴の両肩を掴んで、みんなに紹介する。



 ・・・ざわざわざわ。

 小さなどよめき、そして『はーい。』という子供たちの声。



 「・・・おれ、知ってるぜ。あいつ、お父さんがいないんだってー。」

 後ろの方で、『圭一』のヒソヒソ声がした。クラスで一番体が大きくて、それ故にクラスで一番リーダー格の男の子。・・・ようするにガキ大将だ。悪意と意識する以前のちょっとした意地悪。



 もちろん、この島に帰ってきた時から噂の的だった彼ら親子のことを、両親らの会話の端から聞いて知っている子が他にも居た。ただし、小学2年生の頭で理解できる範囲で知っているだけだったが。

 とにかく『変わっている』ことが珍しいこの小さな島で、彼がからかわれたり、子供らしい意地悪の対象になったのは、当然かもしれない。



 「おまえ、お父さんに捨てられたんだろ?!」

 初めての学校からの帰り道で、圭一と腰ぎんちゃく二人に取り囲まれた鈴は、その声を全く無視して歩き続けようとした。が、前に回りこんだ圭一が、両手を横に広げて『止まれ』の合図を出す。鈴はくるりと横を向いてその脇を抜けようとする。見事なくらい『無視』した態度。

 僕は、そのちょっと後ろを歩いていたのだが、影に隠れるようにして、事の成り行きを見つめていた。



 「ガ・イ・ジ・ン!」

 「なんだ?その髪。」

 「やーい!!」

 少ない語彙で鈴を罵倒しながら、胸元を突いたり、髪の毛を引っ張ったりする。だが、声一つ発しない鈴にしびれを切らした圭一が、とうとう胸倉を掴んだまま、反らすように押し倒して馬乗りになった。



 「・・・何か言えよ。おい!」

 「・・・・・・・・・」

 紺色のジャケットが砂に汚れて、長めの髪の毛が乱れた。それでも鈴は、幾分しかめっ面をしたまま、黙って耐えている。



 クラスで一番のちびだった僕が、それまで彼らのからかいの対象だった。けれど彼らの興味が『かとう りん』に移れば、これからは意地悪されずに済むかも・・・そんなことを姑息にも思いながら見ていた僕は、鈴の態度に圧倒されていた。

 腕力では絶対勝てないと思っていた僕は、鈴と同じように無視しようとしても、最後にはたいてい『やめてよ・・・』と泣きながら訴えるハメになってたからだ。



 今思うと、最初の二年の東京暮らしの間に、恐らくこういうことに慣れっこになっていたのだろう。そして鈴が反撃すれば、母親に迷惑がかかるということさえも理解していたのではないかと思う。僕の目にだけ、そう写っていたのかもしれないが、とにかく彼は『大人びて』見えたのだ。



 「つまんねー。こんな奴、おいといて、野球しにいこうぜー!」

 圭一は、ついに飽きてしまったらしい。三人とも、倒れた鈴を引き起こすこともしないまま、家の方へかけって去った。



 最後までただ見ていた僕は、圭一たちが視界から消えたのを確認すると、ようやく立ち上がってジャケットの裾を叩いている鈴に近づいた。ポケットからちょっとシワの寄ったハンカチを取り出して彼に差し出す。無言のまま、彼の目がハンカチに注がれている間、僕はほんの少し自分の行動を後悔していたけれど、やがて彼の手がハンカチを取ったので、ホッとした。顔に付いた砂ぼこりを拭い、右手で髪を撫でつけている。

 ・・・ただハンカチを貸しただけのことだが、あの頃の僕にしては、ありったけの勇気を使った気がする。



 やがて彼は、小さな声で『ありがとー』と言った。テレビでよく見るような、外人の話す訛った日本語じゃなくて、さらりとした声だった。

 ぼくは、コクリとうなずいて、そのまま家の近くの分かれ道まで並んで歩いた。





 なんとなく、誇らしげな気分だった。

























 「あっちで少し、休まねーか?」

 屋台巡りも終え、会場で会った人からかけられるお悔やみにも飽きた体で、鈴は小学校の裏手にある神田神社の方を指差して、言った。



 「そうだね。」

 親身なのかどうかわからないお悔やみの言葉に、『・・・はい。』だの、『・・・いえ。』だの、困ったような表情で返事をする鈴の姿を、あまり見たくなかった僕は、喜んでその案に従った。




 杉林に覆われた神田神社は、祭りの喧騒が入ってくるのを拒むような空間にある。神社といっても、小さな石の鳥居とお社だけで、神主すら居なくなってずいぶん経つ。島の代表が幾人かで管理しているだけの神の杜。その小ささに比べて、辺りを囲う緑だけは、不釣合いなほど鬱蒼としていた。島の者は誰しも、節目節目に、35段の石の階段を登って、緑濃い神社に祈りに通った。



 「ここで、良く遊んだなぁ・・・」

 石段に腰掛けた鈴が、こちらがドキッとするぐらい、懐かしそうな表情を浮かべて話す。・・・なんで、そんなに遠くを見てる?



 「かくれんぼ、虫取りも、ここが一等地だったからね。」

 鈴の隣に座り込んで、僕も思い出していた。彼が島にやってきたあの最初の年、小学校2年生の夏。



 僕が教えたんだ、島での遊びを。

 かぶと虫をたくさん捕まえる方法、怪我をした時のよもぎの塗り方、海での泳ぎ、岩ガキを取って食べること、沖の岩からの飛び込み、それから、それから・・・



 「そういえば、花火をして怒られたのもここだ。」

 「ははははは・・・」

 神社の中だけは、火気厳禁なのに、たしか4年の夏だった。最初は胆だめしに同級生が神社に集まって、それが花火遊びになって、爆竹も混ぜたから、音に驚いた駐在さんが飛んできて、全員こっぴどく叱られた。・・・いや、たしか、



 「・・・圭一だけ、すばやく逃げたよな。」

 「そうだったね。・・・あいつらしい。」

 たぶん苦さとともに、鈴もその名を思い出していた。いつも鈴のことをからかっていた圭一。でもいつの間にか鈴のことを認めて、妙にライバル視していた圭一。





 何かと要領の良かったはずの『圭一』が、海で溺れて帰らぬ人になったのは、5年生の夏だった。

























 島では、漁船が連なる港内以外なら、どこでも泳ぐことができた。そんな環境で育てば、誰だって泳ぎが達者になるだろう。



 僕が『泳ぎ』で鈴に勝てたのは、悔しいかな、小学2年の時だけだ。全く泳げなかった彼は、一夏でそれを覚えて、あの圭一と、どちらが速いか、どちらが遠くまで泳げるか、競うようになった。

 黒岩までなら300m、沖の赤ブイまでなら500m、隣の『金輪島』までは、約1Km・・・そこまで泳げるようになれば、島では一人前だ。

 毎年、お盆を過ぎれば、海には『クラゲ』の群れが押しよせて、泳げなくなる。だからその前に、誰が決めた訳でもなく、僕たちは浜に集まって、戦った。一番の泳げる奴=かっこいい奴、の栄光を勝ち取るために。



 ・・・その日、少しだけ波が高かったかもしれない。でも僕たちには、それぐらい慣れっこで、どうってことないはずだった。

 あの小学5年生の夏。



 「おれは、あそこまで泳げるようになったぜ。」

 沖に見える金輪島を指して、誇らしげに告げる圭一。実際、この夏は何度か、海の上を往復していた。

 「おれだって、ちょろいさ。」

 その一言で、鈴も『挑戦』を受けてたった。



 この夏は彼ら以外に、そこまで泳げるようになった子がいなかった。・・・僕も含めて。残った子供らは二手に分かれて応援に回り、勝手な声援を送った。

 「いっけよー!圭一!!負けんなー。」

 「勝てよ、鈴!」

 もちろん僕は鈴を応援しながら、『よーい、どん!!』の合図で海に駆けこんでいく、彼らの背中を浜から見送った。



 抜きつ抜かれつしながら、それでもほぼ横一線で泳いでいた圭一の姿が、急に見えなくなった時、鈴は最初、何が起きたのか、すぐにはわからなかったという。それから慌てて圭一を探して、どうしても彼の姿が見つからくて、『溺れたのか?』・・・それを実感した途端に、恐怖が形となって鈴の体をもがんじがらめにして、手足が急に重く感じられて、自分もここで波の勢いに負けてしまうのかと思ったそうだ。

 負けずにすんだのは、たまたま近くを漁船が通りかかったおかげかもしれない。すいぶん沖で泳いでるじゃないかと、近寄ってきた漁船に、異変を告げると大騒ぎになった。



 500m級で争ったりしながら、鈴と圭一が沖から戻ってくるのを、のんびり待っていた僕たちは、なぜか鈴だけが、予定の時間より早く、裏のガケから、それも一人で歩いてくるのを見た時、悪い予感がした。



 結局、急報で集まった漁船の群れが、もう動かない『圭一』を見つけたのは、夕闇が降りる頃だった。事情を訊かれていた魚連の事務所の中で鈴と僕たちは、そのことを知った。

 連絡を待っていた圭一の母親の悲鳴が、事務所内を貫いて・・・僕は怖かった。咄嗟に鈴の方を振り返ると、彼は床の一点を見つめたまま、横に下ろした両手を震わせていた。



 本当は、無理をしていたのは、鈴のほうだったのに。3日前にようやく一度だけ、隣の島まで泳ぎきったばかりだったのに。



 翌年、夏休みに入る前、学校の先生が『海で気をつけること』を、いつもより厳しく僕らに教えた。親たちも天気がちょっと荒れ気味の日は、『泳いじゃいけんよ。』と言うようになった。

 だけど僕たちは、その夏も、浜へ集まった。今年こそ、誰が一番かを決めて夏を終えるために。



 幸い、快晴の空に穏やかな波の日だった。去年に比べて海へ出る回数が減った僕たちは、それほど上達していなかった気もする。



 「『あそこ』まで行ける奴は?」

 「・・・ぼく。」

 鈴がそう訊いた時、返事をしたのは、僕一人だった。



 「・・・おまえ、まだムリだろ?」

 僕がどれだけ泳げるのかよく知っている鈴が、同行を拒否する顔で言う。



 「いや、泳げる!」

 「『溺れて』も知らないぞ!」

 その言葉は、僕の、そして他の子供の心にも重く響いたが、

 「大丈夫!!」

 僕は、根拠のあまりない自信を胸に、そう答えた。・・・どうしても泳ぎたかったのだ。あの島まで。圭一のためとかいうんじゃない。でも、どうしても!



 500mの赤ブイまでは、楽勝だった。そこからさらに半分くらいまでは、順調だったと思う。でもそれを過ぎてから、僕の手足はそれこそ鉛のように重くなった。やっぱり遠い。

 先を行く鈴は、何度も僕の方を振り返りながら、待った。彼のペースで泳げなかった分、彼も辛かっただろう。



 少し泳ぐ、僕。止まって休む、僕。前を進む、鈴。こちらを見る、鈴。僕を待つ、鈴。・・・心配そうな、鈴。



 長い格闘の末に、僕たちは、金輪島へ着いた。ヘトヘトだった。熱い砂の上に仰向けに倒れこんで、大きく息を吐く。



 ・・・はぁ、はぁ、はぁ、

 (くっそー。)

 ・・・はっ、はっ、はっ、

 (あー苦しい・・・・・・・・・)



 だけど、いつのまにか、吐く息が、

 「・・・はは、ははっは。」

 「・・・・・・・・・はっ、ははは。」

 笑い声に変わった。



 ・・・・・・・・・やったんだ!僕たちはやったんだ!!



 よくわからないけど、二人とも、それでやっと『圭一』を弔った気分だったんだと思う。お葬式で泣いただけじゃ、全然ダメだった何かが、心の中から取れていくような気がした。



 疲れ果てた僕たちは、迂闊にも浜で眠り込んでしまい、再び目を開けた時は、

 「わぁ・・・すっごい。」

 星空が広がっていた。・・・信じられないけど、6時間は眠っていた?よっぽど、疲れてたんだろうな。



 「起きてよ、鈴。」

 隣で眠る彼を揺り起こす。



 「・・・うーん、・・・・・・・・・・・・・・・・・・わっ?・・・・・・・・・ヤバイ。」

 「クスッ。・・・いいから見てごらんよ。ほら。」

 辺りの暗さに慌てる鈴を制して、僕は宇宙を見上げた。・・・鈴もそれに習った。



 星空なんて見慣れていた。その美しさも、いつもと変わりないはずだった。だけどその日、人気ない浜で、二人きりで見た星空は、まぎれもなく『特別』だった。



 そこには、永遠の憧れにも似た何かが無数に存在し、あと少しだけ手を伸ばせば、僕たちにもそれが、掴めるのだ、と。



 ・・・去年の今年だから、夜になっても戻らない僕たちを心配した島の人たちが、夜半過ぎに、ようやく僕たちを見つけた時は、安堵とともにかなりの怒りが渦巻いていた。それはもう、ひどく怒られた。色んな人から。

 父親の怒鳴り声なんかは、単純に怖かったけど、それでも僕たちは、へこまなかった。





 あの『星』が、僕たちの勲章だったから。

























 「俺さー、・・・フランスへ行くんだ。」

 「え・・・?行く??」

 僕は、突然の鈴の言葉に、意味がのみこめないまま、ストレートに訊き返した。『行く』って・・・



 「『フランスで暮らす』ってこと。」

 「・・・鈴。」

 腰掛けたままの石段の先を見つめながら、淡々とした口調で鈴が言う。

 (・・・居なくなる?鈴が?!)



 「しょうがねーよな。この年で一人で暮らすわけにもいかないし。」

 確かに、鈴の身内は、冷たい親戚だけになっていた。島に来た当初、鈴の面倒を見ていた祖母は、一昨年亡くなり、今年は母親も亡くしていた。若すぎる二人の死は、あの『駆け落ち』のせいで、加藤家にもたらした不幸の種が原因だと、広言する者も居た。それでも鈴の母親が生きている間は、いやいやながらも面倒をみていた親戚たちは、彼女の遺品からフランス語の手紙を探しだし、苦心して鈴の父親と連絡を取った。



 片言の日本語を喋るその男が鈴を『引き取る』ことを承知した時、親戚一同はとにかく胸をなで下ろした・・・疫病神が去ってくれるのだと。



 「フランスへ行くことが決まってから、何だか色んな事を思い出してさ・・・。」

 ・・・また、遠い目だ。ああ、思い出を見てたのか。



 「鈴・・・りん・・・僕・・・」

 石段から腰を上げて、鈴の前に立った。何って言ったらいい?・・・急に空気がジトッとして、蒸し暑い。暑いよ。



 「俺、フランスなんか行きたくない!!・・・・・・・・・フランス語だって喋れないのに。」

 『行きたくない』は激しい口調で、そうして、その言葉の激しさに自分でも驚いたかのように、後の言葉を静かに付け加えた。



 『行かなきゃいい!』

 ・・・僕は、どれほど、そう叫びたかっただろう。



 鈴の顔は、とても悲しそうで、それまでに悲しんでる人の顔は何度か見たことがあったけど、あの圭一のお葬式に参列した時も、おばさんがわんわん泣いてて、それを見たら僕もとにかく悲しくなって泣いたりしたけど、鈴は・・・鈴は、涙を流してもないのに、本当に『悲しそう』にしか見えなくて、・・・だからフランスに行くってことは彼にもどうしようもないことで、僕は、そんなに簡単に『行かなきゃいい!!』って、言うわけにはいかないんだと、わかったのだ。



 だから・・・

 だから、僕は、また鈴の横に座りなおして、黙ったままうつむいていた。

 鈴ももう、何も言わなかった。





 遠くでは祭りの喧騒が相変わらず続いていたけど、僕たちの周りだけを静寂が取り囲んで、まるで二人だけの世界に居るみたいだった。

























 『パーン!パパーン!!』



 ・・・どのくらい、そうしていたのだろう。夏の祭りの終わりを告げる花火の音が、始まりの時と同じように、唐突に鳴った。





 「帰らなきゃ・・・」

 「うん・・・」

 思いを断ち切るかのように、鈴が勢いよく立ち上がった。相変わらず、外人っぽい見た目のわりには、浴衣姿がよく似合っている。その裾が少し短いのは、去年の夏に鈴の母親が縫ったものだからに違いない。そして今年は、直してくれる人が居なかった。





 カラン、と鈴の下駄が石段を踏む。僕もそばを下りていく。・・・カラン・・・カラン・・・





 家までの道は、祭り帰りの人でにぎわっていた。僕は、そんな中を鈴と歩きたくなくて、わざと遠回りになる小路へそれた。

 「攻(こう)・・・」

 僕の意図がわかったんだろう、鈴も一緒に曲がる。





 「・・・・・・・・・さんきゅーな。」

 しばらく歩いた頃、本当に小さな小さな声で、鈴が言った。



 「うん・・・」

 僕もそれだけしか、言えなかった。










 ・・・その年の夏はとても暑かったけど、そんなことは僕たちに関係なくて、世界は急に冷たいものに思えて、帰り道をいつまでもいつまでも歩いていたかった。

























 母に頼み込んで、広島駅まで鈴を見送りにいった。



 ・・・前日に島まで迎えに来たフランス人の父親は、鈴と同じ銀色の髪をした、すごく背の高い人だった。



 「鈴、手紙・・・くれよな。」

 「・・・ああ。」

 僕が最後に聞いた彼の言葉は、味気ないことに『ああ』だ。



 二ヶ月後、鈴から届いた絵葉書は、ここと同じように青い海とここより白い砂の敷き詰められた海岸の写真だった。たぶんフランスのどこかなんだろう。



 見覚えのある字でただ一言、

 『元気でやってる』

 そう書かれていた。



 僕は、表書きを見ながら、アルファベットをたどって、手紙を出した。



 鈴から次の手紙は、・・・・・・・・・来なかった。

























 時は流れる。



 この島にも、リゾートホテルなるものが建った。小さな漁港しかなかったのに、『マリーナ』にはヨットが整然と並んで、白い帆をはためかしている。夏だけをこの島で過ごす『都会の人』も増えた。



 ・・・それでも、夏に帰省する僕の目に映る島は、昔、見知ったままだ。僕の中のノスタルジーがそうさせるのだろうか。



 海も波も岩も砂も魚も鳥も、緑も花もかぶと虫も蝉の声も朝焼けも夕暮れも、夏祭りの活気も、終わった後の寂しさも。





 あの日、どうして鈴は、僕のところに来たのだろう。

 フランスへ行くことが、どうしようもないことだったとしても、もしかしたら僕が言うのを待っていたのではないだろうか。


 『行くな。』



 ・・・と。



 緑の杜の中、古びたままの神社まで、夕涼みに歩くつど、僕は思う。小さな痛みとともに。



 言うべきだったのか。言った方が良かったのか。










 ・・・・・・・・・そうして、僕はあれから、鈴に会ってない。















+ END +










戻る















+-+ ウラの話 +-+



BGMに必ず『夏祭り』を流してお読みください(笑)。

私は、Whiteberryより、ジッタリン・ジン世代です。・・・とーぜん!

管理人@がとーらぶ(2000.08.20)











Copyright (C) 1999-2002 Gatolove all rights reserved.