コンペイトウ
・・・・・・・・・俺は、いつかコンペイトウに行くのだ。
(自分の生まれた国の名前が変わるのは、そんなにも許せないことなんだろうか。)
初めて会った日、俺は何にもわかってなくて、知ってたのはただ、この男がクーデターの起きた祖国から難民として逃げてきて、その国の名前が『ソロモン』から『コンペイトウ』に変わったらしい、ということだけだった。
16歳の高校生だった俺は、ボランティアで日本語を教える手伝いをしていた。別に無償の愛に溢れていたからじゃない。俺の希望する大学に入学するためは、『ボランティア』にAが必要だった。他にも、老人ホームでお年寄りの世話とか、バッチやマスコットを作って売って収益金を寄付するとか、いろんなのが選べたけど、中ではこれが、一番ラクそうな気がしたのだった。・・・おまけに外国語も上達して一石二鳥でイケルかもと。
収容施設で、正式な日本語教師の免状を持った先生が授業をするのは、週に一度。当然それじゃ、日本語もなかなか上手くならない。ということで、俺や他のボランティアたちと一緒に、ゲームをしたり宿題テキストをみてやったり近くをぐるっと連れ出したり、イキのいい日本の少年少女と直に触れあうことで、日本の風土や生活習慣の違いなんかを早く知ってもらおうとしたわけだ。
何度か通ううち、妙に気になる奴ができた。その男は、そういう触れ合いの時間、談話室にいてもいつも窓際の席から外を眺めていた。晴天に射しこむ光がまぶしすぎて目がちょっとしか開けられなくても、大雨で窓の向こうは煙る世界しか見えないとしても、やっぱりそっちを眺めていた。・・・ここにまったく気がないようだった。そいつは俺より20cmぐらい背が高くおまけにガタイも良かったので、なかなか近寄りにく感じていたのだが、あまりに外ばかり見ているので俺は「何を見てるんだ?」と思いきって聞いてみた。「ベツニナニモ。」と男が言った。おまけにそう聞いた俺の方を全く見なかった。やる気がないんだなぁ、と思ったが、ここにいれば食うのも寝るのも困らないし、いいご身分だよな、と勝手に見下していた。
そんな感じでほぼ一年が過ぎて、ボランティアが終わる日がやってきた。そこそこに仲良くなった奴も、日本語が上手になった奴も、身元引き受け人とやらができて施設を出ていった奴もいたが、あの外ばかり見ていた男は、相変わらずやる気のない態度でここにいた。やっぱり外ばかり見ていた。名をアナベル・ガトーといった。
一年近く経ったのに、アナベル・ガトーについて知っていることといえば、クーデターの起きた祖国から難民として逃げてきて、その国の名前が『ソロモン』から『コンペイトウ』に変わったらしい、ということだけだった。
この日俺は、自転車をこいで施設に来る途中、駄菓子屋さんで金平糖を買った。・・・それがポケットに入っていた。たぶん、何を見ている、ベツニナニモ、以外の会話がしたかったんじゃないかと思う。俺はガトーの前に立って、赤や黄や青した金平糖を机の上に置いた。ガトーの視線は窓に向かったままだった。俺は、これ、コンペイトウっていうんだぜ。面白い形だろう?・・・なんであんたの国がコンペイトウなんだろう。南太平洋の国だったよね?とたたみ掛けるように聞いた。ガトーが金平糖をちらりと見たかと思うと、『バーンッ!』と急に大きな音が響いた。俺は一瞬何が起こったのかわからなかったが、ガトーの右手が机の上に載っていた。どうやら、金平糖を潰すほどの勢いで叩いたようだった。・・・が、ガトーは知らなかったろうが、金平糖は案外固いのだ。あんなに小さくても。・・・・・・・・・金平糖はガトーの手の平にめりこんだだけで、そのまんまの形をしていた。手の平を返すと、うっすら血が滲んでいた。「うわっ?」と俺が言うと、ガトーはぱんと左の手でそれをはたいた。金平糖はコロコロと床の上に落ちた。そして何事もなかったように窓の外を見た。「ごめん、大丈夫?」と聞くとしばらくして「こんぺいとうデハナイ。そろもんダ。」とガトーが喋った。こんな状態なのに、俺は不謹慎にも嬉しくなった。会話が続いたように思えたからだった。ガトーの視線の先には、三月終わりの咲きはじめの桜があった。ピンクの花がきれいに見えた。「なぁ、こんど花見に行かないか。・・・外出許可は俺が取ってやるからさ。」と言ってしまった。会話が続けられるように思えたからだった。「コンド?・・・・・・・・・アシタナライッテモイイ。」とガトーが言った。俺はもう飛びあがりそうなぐらいに嬉しくなって、わかった、明日母にお弁当を作ってもらうから、絶対だよ、とすぐに施設長さんのところへ外出許可を申請に行った。
花見はどうということはなかった。施設から歩いて十分ぐらいのところにある河川敷で、ただ桜を見ながら二人でお弁当を食べた。酒は母に持たせてもらえなかったし、飲ませるわけにも飲ませてもらうわけにもいかなかった。ガトーはまただんまりに戻っていたが、それでも俺はかまわなかった。時々「きれいだろう?」「ソウダナ。」とだけ繰り返された。弁当も食べ終わって他にすることもなくなったので、二人で歩いて施設まで戻った。門のところで、不意にガトーが俺の目を見た。それはいつものぼんやりと遠くばっかり見ているガトーの目とは異なってひどく真剣に思えたので、俺は固まってしまった。すると急にガトーの顔が近づいてきた。右の口元にキス、それから左の口元にキス、さいごにもう一回右の口元にキス。・・・・・・・・・うわぁ、キスされちゃったよ、俺!!!と驚いている間に、「アリガトウ。」と言ってガトーが門の奥へ消えていった。あのガトーがありがとう、だって、と俺はるるるると歌いたい気分で家路についた。
夜、風呂から上がると、母がテレビを見ていた。コウ、『コンペイトウ』が映ってるわよ。この国の人に日本語を教えてるって言ってなかった?と教えてくれた。俺はパンツ一丁で肩にバスタオルをかけたまま、テレビに見入ってしまった。そこには、真っ黒焦げになった人間や砲弾で屋根に穴の開いた家や焼け落ちた橋や痩せてお腹の膨れた子供たちが映し出されていた。レポーターが、この国はコンペイトウと名を変えたものの、ソロモンの名を忘れられない人たちがゲリラとして政府軍と戦っていると伝えていた。ゲリラと呼ばれる人たちも、少し前までは政府軍だった。ひとつの国を同じ国の人たちが戦って戦ってそれぞれ自分たちのものにしたいと争っていたのだ。
この時まで、アナベル・ガトーについて知っていることといえば、クーデターの起きた祖国から難民として逃げてきて、その国の名前が『ソロモン』から『コンペイトウ』に変わったらしい、ということだけだった。コンペイトウ、はそんな国だとようやく知った。どうして戦わなければならないんだろう、みんなで仲良く暮らせばいいのに。・・・俺は単純にそう思った。
もう施設に通う必要もなくなった。成績は無事Aを取った。それでもそんなニュースを見てしまったので気になって施設に行くと何やら騒がしい。門の中にも入れてもらえなかった。職員の人を大声で呼んで聞いてみると、どうやらアナベル・ガトーが脱走したらしい、とのことだった。俺はびっくりした。花見の間中、ガトーはいつものガトーだと同じだったのに。・・・花見に明日、と言ったのは、もうそのつもりだったんだな、といまさらに思った。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ。
俺はやっとわかった。
どうしてガトーが窓の外ばかり見ていたのか。
・・・・・・・・・いつもいつも窓の向こうの遠い祖国を見ていたのだ。
ガトーは帰っていった。自分が必要とされる場所、・・・いや、自分が必要とする場所へ。
俺は家に戻るとコンペイトウに行くと言って、親をあわてさせた。だって何も知らなかった。ガトーがどうして日本に来たのかも、ソロモンがコンペイトウになったわけも、それが許せないことも、あの国では今も戦ってる人たちがいて、泣いてる人たちがいて、苦しんでる人たちがいて、死んでいく人たちがいて、・・・俺は本当に何も知らなかった。
日本はコンペイトウと国交を断絶していた。ビザが取れなくて渡航できないことも、・・・・・・・・・俺は本当に何も何にも知らなかったのだ。
(いつかコンペイトウがソロモンに戻ったら、俺はガトーに会えるだろうか。)
・・・・・・・・・三回のキスは、『ワタシノタイセツナトモダチ』に贈るものだった。
だから俺は、いつかコンペイトウに行くのだ。友達にキスを返しに。
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・・・・・・・・・生きてる分だけ、良かったです(笑)。
管理人@がとーらぶ(2002.03.27)
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