中国新聞の朝刊で『日本兵の遺品を返還するため遺族を探している』という記事を目にした時、日本兵であった祖父のことをちらと思い出したが、ただそれだけだった。記事には、日本刀を手にした男の写真も載っていたと記憶しているが、どんな顔をしていたかまでは覚えていなかった。
・・・・・・・・・なのに、目の前にはその男がいて、俺に嬉しそうに手を差し出してくる。戸惑いながらもほとんど反射的に手を差し出した俺と握手する瞬間を狙って、新聞社の人間が構えたカメラのフラッシュが光る。
西暦2003年の秋の、よく晴れた日曜の午後のことだった。
A NEW STYLE WAR
その男は、海兵隊岩国基地に所属する軍人だと話した。せっかく日本に来たのだから、祖父がずっと気にかけていた遺品を、日本兵の遺族に返したいと思っていた。岩国基地にいながら、なかなか時間が取れなかったが、自分はもうすぐ異動になる。休暇を与えられたので、これが最後のチャンスだと。そう思ったらしい。・・・・・・・・・なるほど。新聞社がわざわざ俺に遺品を渡すところを取材に来たのもそれで納得できる。海上自衛隊・呉基地。それが俺の居る場所。つまりかつて第二次世界大戦を戦った兵隊の子孫が、時を経て同じく国を守る任務につき、遺品を前に会う。そんなシチュエーションに感動するものがどれだけいるのかわからないが、どこかで誰かがなにかを狙って、こんな演出をしたということだろう。
俺は応接室のソファーに座り(入隊以来初めてだ!)、その外国人と向い合った。通訳を務めてくれた総務部の軍曹が、俺に経緯を語った。遺品の日本刀の柄に巻かれた布をほどくと、内側に一枚の護符が貼られており、そこに書いてあった神社の名前と由緒あるらしい刀のおかげで、浦木功(うらきこう)という日本海軍の少尉に意外と早くたどり着けたそうだ。・・・・・・・・・浦木功(うらきこう)。それが俺の祖父の名前である。最初、連絡は俺の親父の元に行ったようだ。親父は祖父が生まれ育った家に今も住んでいる。が、俺が呉基地にいると知って、親父の元に直接届けられるはずだった遺品は、孫である俺に渡されることなった。・・・じいさんなんて写真でしか見たことのねーのに。
三人掛けのソファーにどっぶりと腰掛けていた男の側らには風呂敷に包まれた長い物体があり、男はそれを丁寧に持ち上げて、それからテーブルの上に置いた。対面に座っていた俺の目の前で風呂敷が解かれ、中からは年代ものの・・・そう、こういうのをまさに鈍色(にびいろ)というのだろうが、昔のものではあるがけして古びた感じのしない、大切に大切に保管されてきたような一振りの日本刀が姿を現した。男はペラペラと英語で喋り、俺はほとんど聞き取れなかったが、
「・・・ありがとう。・・・Thank you。」
お礼だけは、英語で言った。不思議な縁で俺の元に戻ってきた刀を俺は手に取る。細身で、でもずしりと重い。右手で柄を持ち、左手の平で刀身を下から支えるようにして、男に軽く頭をさげた。それをうけて男がにこっと笑った。白い歯がこぼれて、ああなんかアメリカ人って感じーと俺は思った。
その男は、アナベル・ガトー・III(サード)と名乗った。サード?・・・面白い響き。・・・聞けば、祖父から名前を貰ったのだという。・・・へー奇遇だな。俺の名も祖父から名付けられている。『浦木幸(うらきこう)』それが俺の名前。アメリカ人には同じに聞こえるであろう名前の意味を俺は説明しようとする。・・・いや正確には俺が言ったことを通訳がわかりやすく伝えようとしてる、ということなんだが。
「祖父の『功』は、武勲とか、手柄とか、男ならいっちょやってやれみたいな名前で、俺の『幸』は・・・ハピネス(でいんだよな?)の意味で。・・・たぶん俺自身の幸せを願って付けられたんだと思います。」
「I see.・・・・・・・・・」 わかった。漢字は面白い。正反対の名前だな。
そんなことを男は言った。
1942年8月24日10時20分、帝国海軍第3艦隊所属、空母『翔鶴』は、ガダルカナル島(ガ島)へ向け攻撃機を発進。米軍ヘンダーソン基地を爆撃させた。・・・いわゆる『第二次ソロモン海戦』である。
祖父が乗った零戦は、その激戦の最中、機体を損傷しガ島へ不時着。軽傷で零戦から降りた祖父が目にしたのは、基地を守る海兵隊の群れだった。そこへ日本刀一本で斬りかかる。・・・とうぜん返り討ちにされた。
『やーーー!』と気勢あげて突っ込んできたその姿をめがけ、M1小銃を撃ったのが、いま目の前にいる男の祖父なのだ。形見の日本刀は珍しい記念品として持ち去られ・・・。
『祖父は晩年、この刀を持ち主の子孫に返したいと言ってました。それが叶わぬならせめて日本の地に返して欲しいと。・・・あなたの祖父、ウラキ少尉の最後の気迫はそれは凄かったと。恐れさえ感じたと。刀は一緒に埋めてやるべきだったが、あの頃は、ただ憎い敵でしかなかったのだと。』
俺が知らない祖父の話をまったくの他人から聞かされるのはヘンな感じだ。俺にとっては、祖父の敵(かたき)でもある男が祖父を語る。遠い昔の出来事であり、映画の中の話のようであり、わからないことのようで・・・その実、わかる気がするのは、俺が祖父と同じ、国を守る道を選んだからだろうか・・・・・・・・・。
銀色したクルーカットがまぶしい男と並んで俺はまた写真を撮られた。面会もそれで終わり。・・・と思ったら、新聞社の人間が、せっかく日本刀をこうして返しにきてくれたのだから代わりになにかあげたらどうた、と言い出した。勝手なことを・・・。日本的で記念になるものがあるか?基地の売店だと日本的というより、自衛隊みやげだしなぁ・・・。
『それは高いものか?』
通訳が何か言ったらしい。男が俺の腕時計を指しながら聞く。・・・ちょっと待て。高くはないけどコレかよ!・・・・・・俺の心を見透かしたように、男はおもむろに自分の腕時計を外して、俺の前に差し出した。・・・・・・・・・交換ならいいっか。俺は男の腕時計を着け、男は俺のを着けた。そしてまた笑った。笑わないとしかめつらしてるのに、その変わりっぷりがなんか印象的で・・・。面会は終わったが、俺は門のところまで男を自主的に見送った。
「アリガトウ。サヨウナラ。」
「さよーなら。」
それが、アナベル・ガトー・サードとの出会いと別れのすべてである。
『イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法』が7月26日に成立して以来、俺の回りはざわついている。俺の母艦である輸送艦おおすみが、復興支援のための人員をイラクへ運ぶ際の乗艦として有力視されているからだ。詳しいことは言えないが、訓練もそれらしいプログラムに変わってきている。俺たちは行けと言われればただ行くだけ。不安があろうが表面に出すことはない。
祖父の刀は、オヤジに田舎から出てきてもらって手渡した。どうせ艦(ふね)には持ち込めないし、許可を取らないと銃刀法違反にもなる。それに万一、俺の身に何かあったら、あの男の好意も無駄になる。
「父さんは、じいさんのこと何か覚えてる?」
「そうさなぁ・・・父親といっても、1歳にならない子と妻を残して出征したんじゃけ・・・。そうそうばぁさんの話だと、当時の青年としては背が高くてな。軍服がよく似合っとったそうじゃ。」
「・・・それだけ?」
「そういう時代だったんじゃ・・・。あの頃はな。」
結婚してない俺にはよくわからないが・・・。家族がありながら戦地へ赴くというのは、心残りがなかったのか?
寂しかったり悔しかったり無念だったり行きたくないと思ったり・・・そんなそんな風に思ったりしなかったのか?
毎日、テレビからイラクのニュースが流れてくる。アメリカ軍や他の駐留軍の死亡を伝える画面にみんなの耳目が集る。・・・・・・・・・ああ、あそこに行くかもしれないのだ。・・・俺たちは!
地下から地下へ運ばれた爆発物
国家に養われたテロリスト
成層圏に軍事衛星
It's A NEW STYLE WAR
飽食の北を支えている
飢えた南の痩せた土地
払うべき代償は高く
いつかA NEW STYLE WAR
貧困は差別へと
怒りは暴力へと
受け入れるか
立ち向かうか
どこへも逃げ出す場所は無い
It's A NEW STYLE WAR
愛は時に あまりに脆く
自由はシステムに組み込まれ
正義はバランスで測られ
It's A NEW STYLE WAR
「A NEW STYLE WAR」
もうすぐ2004年になろうという時、その知らせは唐突にやってきた。あの男の妻が俺に知らせたいといって、呉基地の広報を通じてメールを送ってきたのだ。
『・・・アナベル・ガトー・サードが、イラクで亡くなりました。』
「・・・は?・・・なんだ?・・・なんなんだ?!・・・いったい?!!!」
俺はふたたび呼ばれた応接室で、そう叫んだ。・・・それからお偉いさん方の前であったことを思い出し、驚きを隠せないまま背筋だけは伸ばした。
アメリカからイラクに派遣された兵士の家族から、いったいいつになったら自分の夫を、妻を、息子を、娘を、父を、母を、返してくれるのだ!という不満の声が高くあがるようになり、ペンタゴンは在イラク半年を越えた兵士から順次、休暇を与えたり帰還させたりした。そのため交代要員としてあの男の所属する部隊が、イラクに派遣されたのだと。死んだのは・・・もう2周間も前だって?!俺の頭の中で、ニュース映像がぐるぐるとめぐる。昨日のニュース。一昨日のニュース。2周間も前のはもう思い出せねぇ。アメリカ兵が死んだってニュースは何度となく流れていた。あのどれかに、あの男が?
イラクから遺体が航空機で仰々しく戻され、軍葬を済ませ、気持ちが落ちついて、それから俺にも連絡を・・・と。
『彼はとても喜んでいました。あなたに会えて・・・。』
喜んでいた?・・・そうかそういうもんか?
「何か伝えることがあるなら言いなさい。」
「・・・いえ。・・・なにも。ご連絡、ありがとうございました。」
・・・・・・・・・なにを言えというのだろう。たったの30分、俺の人生に交わっただけの男に。
KIA(= Kill in Action)1名:アナベル・ガトー・サード
それが記録に残されるすべて。
(・・・ああ!)
そういえば、俺の左腕には、あの男の時計が。
むかしから身に着けてたみたいに馴染んで、・・・すっかり忘れていた。俺は、おおすみに戻るために歩きながら、左腕を胸の高さまであげて時計を見た。それからなんとなく右手でガラス面を撫でて、・・・そうしてこの時計の真の持ち主の姿を思い出した。・・・なんというか、思い出してはいたんだが、いま目の前で見てるみたいに、思い出したのだった。
・・・すると不意に涙が滲んだ。・・・なんてこった。たったの30分だけしか知らない男のために、なんで俺が泣かなきゃならないんだ。
・・・・・・・・・ここ数ヶ月、俺の回りがずっときな臭くて、・・・これが他人事じゃないから、そう思ってるからか?
・・・ちくしょう。やっぱりなんでもいいからあの男のことを奥さんに伝えてやろう。俺が知ってる30分の間のあの男のすべてを。それに奥さんは、
「きれいな金髪美人かもしれないし・・・な。」
俺は俺自身を慰めるかのようにそう呟いて、総務部に引き返した。
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どーしてもイラク派遣の前に書きたかったのです。
フィクションであるうちに・・・ということです。
歌は、はましょーです。
・・・そうそうガトさまの名前は「ガ島」からって説はほんとにあります(笑)。
管理人@がとーらぶ(2004.01.05)
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