(・・・ラ・ラ・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・・・・)
聞こえるの。
話してるの。
・・・・・・・・・言葉を覚えるよりも早く、私は世界と、対話していた。
残 照
−ララァとすべての人々−
ぬめぬめとした暖かい、でも窮屈な産道を通り抜けて、私がこの世で目にした最初のものは、とてもまぶしくて。
・・・・・・・・・でもそれは、一瞬で奪われてしまった。清潔な使い古しの布が身体に巻かれ、まぶたの上まで覆う。
(私は、・・・泣いていたのかしら。・・・・・・・・・それとも鳴いて?)
生まれもった力(文字通りの)で、小さな手足をばたばたと動かして、息苦しさから逃れようとする私。その耳に、ううぅとうなる私自身以外の声が聞こえてくる。なんとか喉の辺りまで布がずれる。自由になった目が、ううぅ、の正体を捕らえる。
(犬?)
産湯も使われず、へその緒が付いたままの私は、飢えた犬にとって、さぞかし美味しいそうな匂いを漂わせていたことだろう。すらり、ではなく痩せ過ぎの体。餌を前に脚の関節が曲がり、体が沈む。今にも飛びかからんばかりに。襲われるとか食べられるとか、・・・わかっていても、私は受け入れるしかない。自分では歩くことも逃げることもできない。双方二つずつの目と目が合う。瞳が輝く。欲望が満たされる前兆だろうか。
・・・・・・・・・だが次の瞬間、『きゃん』と悲鳴をあげたのは、私ではなく、犬の方だった。
「あっちへおいきっ!」
それはとても、力強く、私の中の、まだ一度も与えられていない母なるものを探す本能の疼きを、抑える声だったように思う。
「・・・おお、・・・・・・・・・かわいそうに。」
中年の域にさしかかった女は、籠の中の私を布ごと抱え、ぐらぐらする頭に片手を添え、それから血にまみれた身体が放つ異臭に、ちょっと顔をしかめてから、それでもそのふっくらとした腕の中に私をしっかりと抱いてくれた。それからガンジスのほとりまで歩いていって、聖なる川の水で、私を洗った。その頃には、ますます女の母性が増し、孤児院か養護院なりに置いてこようと考えていたものが、どうにかならないだろうか、なんとか自分の元で育てられないだろうか、に変わっていた。女は一ヶ月ほど前に子供を堕ろしたばかりだった。・・・しかも初めてではない。しょうがない。娼館で孕んだ子など、男に生まれたら娼館の用心棒か街のごろつきか、女に生まれたら自分と同じ娼婦になるか。そんな運命を子供に背負わせたくはない。もう孕めないだろうと、言われた。春をひさいで生きてきて、やがて老醜をさらして死んでいく。それだけの人生。・・・子供、子供、子供が欲しい。生きてきた証が欲しい。
女が人差し指で私の頬をつつく。ぷにぷにした頬。元気そうな私。その手が下がって小さな手に触れる。女の指をぎゅっと握ると、まるで私が女を母親と思っているからこそのように、錯覚する。
(ただの反射にすぎないのにね)
・・・・・・・・だが女はそれで意を決して私を娼館まで連れて戻ることにした。
しかし娼館が近づくにつれ、だんだんと足が重くなる。今朝、夜も明け切らぬ内に、沐浴のために歩き出た高くて頑丈な門を再びくぐる。女将は朝食の仕度をあれこれと指図しながら台所で忙しく働いていた。赤ん坊を腕に抱いた女が現れると、一斉に視線が集中する。憧れの、哀れみの、けして手に入らぬものを眺める、愛を売る女たち。
無け無しの勇気を振り絞って、ここで育てたいと女は頼んだが、あっさりと断られた。叱られた。あと何年かで客が取れるという年齢ならまだしも、赤ん坊では、皆の手間がかかるだけだ。・・・もう女に選択肢はなかった。用心棒の野太い腕に抱えられて門を出ていく私を、女は黙って見送っていた。
・・・・・・・・・涙を流して。
(なんのための涙?)
養護院で育った私が、九つになる年に、結局は『カバス』という名の娼館に引き取られることになったのは、この時運命づけられていた、と言う人もいるだろう。その後の人生で、この記憶は心の奥深い処にすっかり埋もれていたけれど。
(でもね、あの時のあの犬は、もしも女に邪魔をされなかったとしても、私を食べなかったわ)
今にして思えるのだ。世界には犬と私しかいなかった。生まれたばかりの、保護されることでしか生きていけない赤ん坊を前に、蔑まれゴミをあさって生きてきた犬は、誇りをもって私を食べることを拒否しただろうと。
宇宙世紀、そんな時代を迎えていたけれど、地球には国家がひとつしかなくて、連邦と名乗っていたけれど、宇宙にはたくさんのコロニーが浮かび、何十億もの人々が住んでいたけれど、どうしても地球にしがみついて離れられない人間がいた。それと同じことだと思う。私の生まれた旧インド地区には、旧世紀から続く、カーストと呼ばれる身分制度が色濃く残っていた。人間を生まれ出た瞬間にランクづける深い深い業。
移り住んだ娼館には、美しいものを美しいと感じられるように、たくさんの花がいつも飾られていた。極彩色の細かなタペストリーが壁いっぱいに吊るされていた。そこで私は、歌と踊りと愛の技を徹底的に仕込まれた。少しでも綺麗に見せるための、化粧や身体の磨き方も。料理やお裁縫は、習わなかった。手が荒れるからと。この子は『高く』売れそうだからと。感がいい、筋がいい、と言われた。特別熱心に、身を入れて練習したりはしなかった。むしろ踊りながらも、私の心はその場を離れてどこか遠くを・・・ガンジスのほとりを、源泉近くの深い森を、鳥が飛ぶ空を、さ迷っていた。上の空でも何でもそつなくこなす私を、女将も姉さんたちも、ヒンズーの神の落とし子だから、と言った。
17歳の時、私は『女』になった。初めてでも私は習った通りの技を尽くした。身体に破瓜の痛み。流れる赤い血。でも心は痛みも喜びも感じていなかった。重く鬱陶しいものが通り過ぎていっただけで。しかし相手は、私に夢中になった。私を城に、彼の住む世界に、連れていってやろう、と何度甘い声で囁いてくれたかしら。どうしてそんなウソが言えるの?・・・私にはわかっている。本気で思ってもいないのに。彼は彼の言葉に酔っているだけで。カーストの中でもエリートに属する彼は、施しを与えるのと同じに私を抱いた。私の中に欲望の印を残しては、愛を恵んでやっている優越感に浸っていた。これが本当に養父の教えてくれた心の交歓なのかしら。・・・でも深い疑問はなかった。私の知る世界は、ここか、それとも心の中か、そのふたつしかなかった。
他にも何人かの男が、いずれも養父の選んだエリートたちだったが、・・・私を抱いた。誰も彼も私に夢中になり、私だけが何も見つけられなかった。
(私の血は、そんな彼らが卒倒しかねないほど穢れていたのに)
カーストのさらに下に位置するアウトカースト。私の母はその不可触民の生まれだった。
(不可触民の子供が病気になったらどういうことになると思う?)
『医者』ですら、触ることを拒否するのだ。だから親は寺院で自分たちの神に回復を祈るしかない。そして幸運にも子供が治ったとしたら・・・、その子は神に捧げられる。せめてもの感謝の気持ちとして。本来の名前を奪われ、ただの記号で呼ばれ、首からは神の子になった印の銀のネックレスを下げて。
そして祭には・・・、すべての男を受け入れるなければならない。
神に抱かれるように、生身の男に。
私の父親は、抵抗できぬ女を抱いて、スカートのひだにお金を挟んでいくような男だったといえる。あるいは、神であったとも。
(もう、どうでもいいことだけれど)
なんだろう。
胸がふるえる。
呼んでいる。
こんなこと今までなかったわ。
私の中で何かが膨らみ、もう弾けそう。
(世界が変わる)
そうして私は出会った。
シャア・アズナブルというひと。
・・・・・・・・・それからアムロ・レイというひとに。
燃えている。
アクシズという名の星のかけらが燃えている。
どれだけ生きても癒されないのね。・・・・・・・・・あの時、助かった命をこんな風にしか使えないなんて。
(かわいそうな人たち)
シャアは私を母に見たてる。
娼婦のように、聖母のように、優しく包んでくれる女に。
アムロは私を白鳥にする。
夜ごと、彼の夢におとずれて、誘惑しては去っていく。
シャアもアムロも、自分が見たい私を見てるだけ。死んだ人間がどうしてあなたたちを見続けなければならないの?
(どうでもいいことなのよ。本当に。どうしてわからないの)
私はララァ。・・・・・・・・・いいえ、違う。・・・もうララァでもない。私は私。ただの私。生まれては死んでいく、ただの・・・・・・・・・。
(・・・ラ・ラ・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・・・・)
一瞬、歌声を聞いたような気がしたが、ここは戦場。そして今はモビルスーツのコクピットの中だ。コウは、空耳に過ぎないと、わずかにそれた意識をモニター上に戻した。
止められる。止めてみせる。もう二度と地球にこんなものを落とさせやしない。・・・させるものか!
υガンダムのバーニアを吹かしあげて、アクシズを押し戻す。動いているのか。止まっているのか。戻りつつあるのか。確認する間もなく押し続ける。近くの基地から発進したジェガンやジムIIIや、あろうことかジオンのギラ・ドーガまでアクシズに取りついて。
(ああ・・・!!!)
なんという違いだろう。10年前、たった一人でコロニーに立ち向かった時と。この光景と。
仲間とか敵とかそういうのじゃなくて。ただひとつの青い星を、そこに住む者たちを、大切に思う人がこんなにも。・・・アムロ、わかるか。わかれよ。頼む。
(・・・ラ・ラ・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・・・)
(いい加減、観念したらどうです)
カミーユ・ビダンは燃える宇宙をサングラス越しに見つめながら、その深淵に向って心を解き放っていた。どこかにいる。笑っている。あの人がいる。叫んでいる。うまくいったと思ってる?・・・そんなことだと100年生きても癒されないよ。
(・・・ラ・ラ・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・・・)
「・・・この感覚?」
ああ、懐かしい。何年ぶりだろう。
そして憎しみ。
コウが燃えながらアクシズを押し戻し、それに釣られたように、ジェガンたちもアクシズに取りついて。・・・とうとうギラ・ドーガまで!
どういうことだ。あの星をなくして、新しい未来を築くんじゃなかったのか。俺の演説に激しく答えた声はウソか。人の心はこんなにも移ろい易く、そしてもろいものなのか。・・・そうだよな、たぶん。・・・わかっていたはず。ずっと昔は。
「・・・・・・・・・この感覚、やはり?」
ララァの声がする。夢じゃなく。幻じゃなく。聞こえる。12時の方向。まっすぐ!
アムロはサザビーでアクシズを回り込むようにして、その向こうにいたジオン艦艇の姿を見た。帰艦レウルーラ。そして・・・巡洋艦ムサカ。・・・そのどこかに。
「シャアーーーッ!」
馬鹿な。どうして今まで気づかなかったんだ。こんな近くにいただと!あふるる憎しみのあまりビームショット・ライフルをその艦橋に向けて構えてから・・・踏みとどまる。
(ふーふーふー・・・)
大きく肩で息をしなければ、身体の中に燃えた火が沈んでくれない。
わかってみれば、それはあまりにもあっけない。ずっとシャアの手の上で踊らされていたのか。そんなこともわからなかったのか。俺の直感はどこへいった?
「・・・出てこい、シャア!!!」
(・・・ラ・ラ・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・・・)
(これこそが私の求めていたもの)
シャア・アズナブルはけして認めたくはなかったが、ニュータイプとしての能力はアムロに負けていた。アムロを亡き者にすれば、このむなしい報われない気持ちは晴れるのか。父ジオン・ダイクンの唱えた理論を具現化したのが、実の息子ではなく、アムロ・レイだという悔しさが。
・・・・・・・・・よけいにむなしいだけだ。何故といって、アムロがいなければ、シャアは宇宙に触れることができない。一度でも知ってしまったあの感じを、触媒たるアムロがいなければ、シャアは得ることができないのだ。
だからパイロットではなく政治家のような道を選んだ。まるで手駒のようにアムロを扱って、それで影の支配者のようにふるまってきた。・・・だが、いま、悲しい歌声が響く。失われようとする地球を嘆いてか、それとも死に満ちたこの宇宙を憐れんで?
『エゴだよ、それは!!!』
どこかで誰かが叫んでいたな。
(シャア!)
(アムロ!)
(・・・ラ・ラ・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・ラ・ラ・・・・・・・・・・・)
聞こえるの。
もうだいじょうぶ。
(・・・さよなら、大尉)
「さぁ、忙しくなるぞ。」
祈りの時は終わった。
緊急出動で母艦を持たないモビルスーツたちが僚機に支えられて、ラー・カイラムに着艦する。その姿は戦場で傷ついた親友を支えるかのよう。人型のモビスルーツであるゆえに、遠目には、よりいっそうのこと。格納庫はすぐにいっぱいになり、ラー・カイラムの回りにモビルスーツたちが漂う。連邦もジオンもなく、重傷者も軽傷のものも。ぼろぼろのジェガンがもっとぼろぼろのジェガンを抱いて。どうしても助けたいと。
カミーユ・ビダンは次々と運び込まれてくる怪我人にトリアージ・タグを付ける作業を担当していた。医学の心得は無いが、パイロット時代にに覚えた応急手当の心得と心の声を合わせて手際よく。モビルスーツデッキ側のメンテナンススペースが臨時の救護所と化す。緑と黄色と赤と・・・そして黒いタグ。
たくさんの人。たくさんの死体。一目で死んでいるとわかるのに、運び込まれてくる者が。・・・だって助けたい。死なせてなるか。ここまでがんばってきた仲間じゃないか。
人と死体の間を歩き回るカミーユが次に目にした身体は・・・、
(きゅっ・・・)
と何かが心をかすめる。まだ若い男。この雰囲気。ジオンのモビルスーツに、見覚えのある顔。
「ジュドー?」
ジュドー、ともう一度声をかけてても身体はピクリとも動かない。『死?』・・・だが手首を取ると脈が触れる。ほっとする。・・・・・・ネオ・ジオンで何を?アムロさんのせいか?ぐるぐると巡る思考。
「見ーつけた。」
空いた左手でカミーユの手首を握り返した・・・というより掴んだジュドーの、この場にそぐわない明るいトーンの声。びくっとするカミーユがその手をふりほどくより早く、ジュドーの手が伸びて、
「そのきれいな目を見せなよ。」
カミーユのサングラスを外す。
(ああ・・・この色だ)
深い海とも、宇宙とも思える、むかし見たままの瞳。
「俺は死なないから。カミーユを残しては絶対死なないから。・・・安心しなって。」
大人になったカミーユともっと大人になったジュドーの時が動き出す。
落ちないように願った。やれるだけやった。
(やったのか?)
・・・・・・・・・たくさんのモビルスーツがオーバーロードで焼けていったが、コウは生き延びた。まだ身体は熱く、息が苦しい。救急キットからドリンクパックを取り出して、口に咥える。
(・・・ずっと昔だ)
そう、ガトーにそれを口移しで飲ませたのは10年近くも前のことだ。なのにやっぱりこの時に思い出している。・・・ばかやろう。永遠にわからない勝負の行方。だが、コウは生き延びた。正々堂々と生き延びた。
だから、ニナにもう一度、会いに行こう。
俺と生きて欲しいと。
伝えるために。
ラララ・・・ラララ・・・ラララ
私はまだ歌っている。
・・・あら?・・・・・・・・・何かしら。
強く引っ張られる。・・・あの船。・・・・・・・・・あの場所。・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの人。
たしかナナイって。
・・・あああああああああ。はじまる。またはじまるんだわ。お腹のなかには新しい命。まだ気づいてない。人はこうして永遠に繋がっていく。
「うっ。」
ナナイ・ミゲルはレウルーラのブリッジで、不意に胸の悪さを覚えた。この死に満ちた宇宙のせいだろうと思った。それから本格的に吐き気がこみあげるに及んで、頭の中に不吉な推測がよぎった。
(まさか・・・?)
そういえば生理が遅れている。もちろん子供ができれば生むつもりだった。・・・これまでなら。
ニュータイプ研究所の所長の地位を手に入れた時、『女を』使ったと陰口を叩かれた。それはいっこうに構わなかった。持って生まれたもの全てを利用して何が悪い。あなたたちがためらってる間に、私は行く。
・・・だが、シャアもアムロも消えてしまった、なぜこの時なのか。・・・・・・そうやって男を利用してきた罰とでも?・・・そんな!
それ以上に、ナナイを放心させたのは、子供の父親がどちらなのかナナイにもわからない、ということだ。ナナイだけのせいじゃない。シャアがアムロの痕跡の残ったままのナナイを抱きたがったから。
月満ちるまで不安な時を過ごすことになるだろう。
もうだいじょうぶ。
私がなにを思っても思わなくても世界は変わっていく。
人々は生きていく。
守るべきものを見つけながら。
END
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電波を飛ばしつつ終わりにしたいと思います(笑)。
(2003.09.30)
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