カッコイイ王子さまのくちづけでいばら姫は百年の眠りから覚めました。
・・・それからそれから。
荊の冠
「・・・こうしてふたりはしぬまでなかよくくらしました。・・・はい、おしまい。」
「うわあぁ。」
「ふぁーねえちゃん、ありがとぅ!」
「またよんでねー。」
ファ・ユイリィが読み終えたばかりの童話『いばら姫』の本を閉じて顔をあげると、聞き入っていた子供たちが次々にお礼を言った。来週ね、とその子供たちを見送った後で、急にがらんとした教室の中に散らばったままの本やクレヨンや大きな画用紙やおもちゃを片付けていく。
ファは地球のヨーロッパ地区ダブリンにある病院で雑用係をしていた。すべては幼なじみのカミーユ・ビダンの為にである。エゥーゴとアクシズとティターンズによる戦いの後、ファに残されたものは、廃人同様のカミーユと僅かなお金だけだった。他にも何か残っているのかもしれないが、今のファにとってはそれが真実だった。エゥーゴはカミーユの治療費を幾らか払ってくれるような話だったが、現実としてファの口座への入金は途絶えていた。いったんアーガマを降りる際に支給された未払い給料は、カミーユと暮らせるアパートを借りる際にほとんど消えてしまった。何か仕事をして生活費を稼ぐしかないが、同時にカミーユの面倒も看なければならない。時間の制約もあり、なかなか思うような仕事が見つからなかった。仕方なくファは病院に頼み込んだ。ここで働かせて貰えないかと。・・・いい先生がいるから、ちらと聞いた噂ではるばるやって来たダブリンの地。カミーユの治療には長い時間が掛かるだろう、と言われた。或いはもう二度と正気に戻ることはないかもしれない。だがあきらめずにいこう、と。・・・気が重くなる。働き口があったのは、小さな幸運といえるだろうか。カミーユの世話をしながら、病院の雑役をこなして、なんとか食べていける。
(子供はいいわね・・・)
病児学級に通う子供たち。・・・つまりは何らかの病気でこの病院に入院している子供たちなのだが、それでも教室で勉強をする幼子らの表情は明るい。時折、注射や検査や治療の痛みのせいで暗い顔をすることや泣くことがあっても明るい。会話の無いカミーユとの生活だけでは・・・ファの心が寂しさを感じていたのだろう。病院の下働きの合間に、それも半強制的なボランティアで引き受けた先生役だったけれど、それなりに楽しかった。
(シンタやクムは、)
どうしてるかな・・・、と思う。席についても後ろの子にちょっかいを出したり、ファの話を遮って茶茶を入れるような子を見ると、特に。アーガマの中で一緒に過ごした時間は一年にも満たないが、カミーユがフォウやロザミィやエマやとにかくファ以外に目を向けてばかりだった頃、シンタやクムの笑顔は確かにファの救いだった。
とん、と本の背を揃える。今日は、いばら姫の物語を読み聞かせた。ファの受け持ちは7歳以下の子供たちだ。感情を込め抑揚を付けて読むと、目を輝かせて聞いてくれる。自分の子供時代もあんなだったかしらと思い出そうとするが、あまり記憶らしい記憶が無い。一年ほど前、グリーン・ノアIで『普通の』ハイスクール生だった自分は、友達との馬鹿っ話で『普通に』子供時代の話をしていた気もする。けれど、この一年があまりに目まぐるしくて、それ以前のことは遠い遠い彼方に流れていってしまったよう。
その日、残業で帰りが少し遅くなった。
「ごめんね、カミーユ。お腹空いたでしょ?・・・すぐ用意するから。」
ファは玄関のドアを開けながら、返事を期待せずに言う。カミーユの為にカミーユが物言わなくてもファは意識的に話しかけた。医者からそうするように言われていた。キッチンに立つ前に、カミーユのベッドをのぞく。カミーユは眠っていた。ベッドの上では天井を見ているか、寝ているかのどちらかだ。カミーユの体力を落とさないよう、夕食を終えると散歩に連れ出す。週末は昼間二人で街を歩くことができたけれども、後の五日も寝たきりというわけにはいかない。暗くなっても、疲れていても、カミーユの手を引いて、ファは夜の街を見て回るのが常だった。
珍しい深海の髪。その柔らかなウェーブ。白い肌にバラの頬、閉じられた長い睫毛も、小さく結ばれた唇も、美しく美しく人形のように。
『いばらひめのねむるすがたはたいへんきれいだったので、おうじさまはめがくぎつけになってしまいました。』
カミーユの顔を見ていると、昼間子供たちに読んだばかりのいばら姫の一節が頭の中を過ぎる。
「・・・カミーユ。」
ファはその身を屈めて、くちづけた。・・・・・・・・・冷たさだけが唇から伝わる。
「どうして目覚めてくれないの・・・・・・・・。」
絶望が近くまで忍び寄っていた。・・・いや今でなく、もうずっと前から、絶望は近くにあった。ファが立っているラインは狭くていつでも転げ落ちてしまいそうで、・・・・・・・・・いけない、早く・・・夕食を。・・・・・・・・・・・・・・・・・・返事を期待しないで、ファは言った。・・・そしてやはり返事は無かった。
カッコイイ王子さまのくちづけでいばら姫は百年の眠りから覚めました。
・・・それからそれから。
(ああ、まぶしい)
バサッと真っ白なシーツを広げる音。病院の屋上に並ぶ物干し竿と洗濯物。天から射す太陽が眩しい。・・・そんな当たり前のことが地球に来るまでわからなかった。陽を浴びながら、ただ洗濯物を干すことがこんなに気持ちいいということも。
朝起きて身支度をしてカミーユと自分の朝食を用意し食べて病院へ。・・・カミーユの様子が特におかしい時や定期検診の時は一緒に連れて来て。病院内の清掃や入院患者たちの洗濯ものを片付けて。速攻でお昼休みには家に戻ってお昼を食べて。それからまた病院。くたくたになるまで働いてやっと帰宅。カミーユとの夕食。散歩。お風呂に入れて眠るまで見守って。アパートの部屋の掃除も日用品の買い出しもまとめて週末に。それがファの日々。
(暖かい)
もうイヤ、と思ったことが無いというのは嘘になる。家でカミーユの顔を見続けているより、病院で働いている方がどんなに身体が疲れていてもホッとしていることもある。・・・それに気づいて自己嫌悪。時に涙が流れる。それを拭ってがんばらなきゃ、と自分に言い聞かせる。絶望が近くに。だが希望が無いわけじゃない。こうして病院で働いていて思ったけど、・・・看護婦になれないだろうか。今はまだ余裕がないけど、ちょっとずつ学費を貯めて、貯めてる間に、カミーユが少しでも良くなってくれれば。働きながら学校へ。看護婦なら一生の仕事として相応しい。エウーゴのパイロットも自分にできると思った。できるかもしれない。できたかもしれない。だが誰かを殺すより、誰かを救う方がよっぽどいい。そしていつかカミーユが、元のカミーユに戻ってくれて。・・・ありがとう、ファ、って聞けたり、・・・ううん、黙って抱きしめてくれるだけでも。
あの日、いばら姫のイメージをカミーユと重ねた日、ふと与えたくちづけは、与えたことでファの中で儀式化してしまった。毎夜カミーユが眠っている時に、その唇にキスをする。一度ずつ。おまじないだから。
(起きてカミーユ)
(目覚めてカミーユ)
(私を見て)
(どうして)
(なんで)
(ねえ)
(カミーユ)
(戻ってよ)
キスに込められた願いは、今だ叶えられてはいない。
(・・・・・・・・・ああ・・・そうだ、思い出した。・・・私は、ああいう童話が嫌いな子だった)
幼い頃、母に読んでもらったお話。・・・いばら姫も白雪姫もシンデレラも親指姫も、・・・・・・・・・みんなみんな長い金髪に白い肌で煌びやかなドレスをまとった、私とは似ても似つかない女の子で、なんだかピンとこなくって、だから嫌いだった。
(・・・・・・・・・鏡の中の私は、黒髪で黄色い肌の中国系。いつ見てもおんなじ。・・・かわいければいいの?幸せになれるの?)
それを思い出したファは、なんだか無性に悲しくなった。・・・風にはためくシーツと頭から射す光と遠い記憶。
(どうせ誰も私のことなんて気にしてやしない)
ファ・ユイリィは干したばかりのシーツに顔を埋めた。その冷たい湿った感触が頬を落ちる涙と一体になった。
カッコイイ王子さまのくちづけでいばら姫は百年の眠りから覚めました。
・・・それからそれから。
戦艦アーガマの一室にカミーユ・ビダンとエルピー・プルの二人がカーテン一枚を隔てて並んで眠っている。カミーユには懐かしい場所に違いないのだが、いつものごとく気にもしていないようだった。
「ファさん。疲れてるでしょ?俺代わるから。」
「ジュドー・・・。」
カミーユの側の椅子に座って、眠る二人に付いていたファに、声が掛かる。ジュドー・アーシタ。・・・カミーユの後を継いでZガンダムのパイロットに、そして今は、ZZ(ダブルゼータ)という名のモビルスーツに乗っている、カミーユより若い少年だ。
「ありがとう、ジュドー。」
「へへ。」
照れくさいのか、ジュドーは小さく笑った。ファには、そんな親切が身に染むほど嬉しかった。前から居る、・・・ファやカミーユと共に戦った人たちじゃなく、ジュドーのような男の子が来てくれたことで、余計に。
ジュドーはただ、この機会を逃したくなかった。カミーユとじっくり話してみたかった。・・・・・・・・・話なんてできない状態だと聞かされたし、実際ダブリンの海岸線で捕まえたカミーユは、そういう風に見えた。だが、カミーユの声に導かれて、ネオ・ジオンのMSと戦ったジュドーには、何か・・・何か小さくてもちょっとでもあり得なさそうでも、何かが起こるんじゃないかと・・・そんな気持ちが捨てきれずに、カミーユの所に来たのだった。
「・・・カミーユ。・・・・・・・・・カミーユ。」
ファが去った後の椅子に腰掛ける。ベッドの中のカミーユは、眉間に皺を寄せたまま眠っている。カーテンの向こうからは、スースーとプルの寝息が聞こえてくる。・・・プルを起こさないように、でもカミーユには聞こえるように小さく囁く。
(・・・やっぱ起きないか)
眠りの中のカミーユ。目蓋が時々ひくひくと動く。夢を見てるのかな。苦しい夢だろうか。・・・・・・・・・この目が開いたらもう一度、あの宇宙が見えるかなぁ。
珍しい深海の髪。その柔らかなウェーブ。白い肌にバラの頬、閉じられた長い睫毛も、小さく結ばれた唇も、美しく美しく人形のように。
(カッコイイ王子さまのくちづけでいばら姫は百年の眠りから覚めました)
「カミーユ。・・・ほんとは聞こえてるんじゃねーの。・・・・・・・・・なんてね。」
ジュドーは椅子から立ち上がり、真上からカミーユを覗き込む。生きてるのはわかる。わかるけど、お棺の中の人みたいだ。死んだまま眠ってるみたいだ。
「・・・カミーーーユ。」
顔をカミーユに近づけると、暖かい息がジュドーに掛かった。噛み締めた痕がうっすら見えるほの赤い唇。ジュドーは吸い込まれるように、拙く例えるなら、魔女にでも魅入られたように、カミーユにくちづける。・・・しばらくそのままでいる。・・・・・・・・・挨拶のキス、親愛の情のキスなら、友達ともリィナともしたことがある。だからこの時はなんとも思わなかった。ただくちづけただけだった。だが、
「うわっ?!」
カミーユの腕が不意にシーツの下から伸びてきて、屈んだジュドーの頭に巻きついた。逃げられないほどの力がこもっていた。それと同時に、ジュドーの唇を何かが割った。生まれて初めての本物のキス。カミーユの舌がジュドーの口内に忍び込んで来たのだ。・・・・・・・・・挨拶のキス、親愛の情のキスなら、友達ともリィナともしたことがある。だが、このキスは・・・、
(う・・・)
ジュドーの身体の中の一番奥深いところに、いやもしかしたら心の中の一番奥深いところに、キスが届いて。・・・ざわざわと肌が総毛立つような、性的な震えがジュドーの全身を駆け巡る。・・・初めて意識する深く甘い感情。
『ガシャーン!』
「わっ?」
急な音に、ジュドーは海老の背が伸びるように起き上がる。部屋の入口にはファの姿。その足元に散らばる、トレイと皿とフォークとスプーンとフードパック。カミーユが目覚めた時の為に用意をしてから休もうと、ファがいったん戻ってきたのだ。
(カミーユがジュドーと、・・・カミーユの手がジュドーに)
そこまではまだ許せたかもしれない。ただの反射で、身体が覚えていることを、実行しただけかも。・・・そんな風に理論武装するより早く、ファに追い討ちをかける様に、
「・・・ジュドー。」
はっとしてジュドーとファが同時に振り返る。それはカミーユの口からこぼれた言葉だった。・・・ジュドーの名を呼んだ。うっとりとしたような眼で。唇を濡らして。
(私は・・・一度だって、・・・・・・・・・一度だって、呼んでもらったことなんてない!)
ずっとカミーユを世話してきた。手取り足取り、それこそ赤子のようなカミーユを。青春の時を犠牲にして。それなのに!!!
「なんでなの。・・・私がキスしても起きなかったのに?」
「え?・・・なに言ってるんだよ。」
「なぜ、あんたなんかが!カミーユを!!!」
ファが両手をあげてジュドーに掴みかかる。一度、二度、とジュドーの胸を揺らす。
「わわっ?キスしたことなら謝るって。・・・謝るからさぁ。」
いつかカミーユが、ありがとう、ファ、と言ってくれたら。・・・それだけで。なのに!・・・なのに!!!・・・・・・・・・そんなファの気持ちはジュドーにはわからない。ただ困惑し、だが女の子が相手ではやり返すわけにもいかず、手を押さえようとするのが精一杯で。
・・・・・・・・・世の中には確かに、選ばれない人と、そして選ばれ続ける人が存在するのだ。
「・・・ああ。あああ。ああああああぁぁぁ・・・・・・・・・。」
ささやかな・・・ほんのささやかな願いすら、易々と奪い取ってしまえるような人が。確かに。
・・・・・・・・・それからそれから。
ネオ・ジオンによるコロニー落としの影響を避けるため、ファとカミーユはアーガマを降りてグラスゴーに向かった。当然ジュドーはアーガマに残った。
(選ばれなくても、・・・それでも私はカミーユを見捨てられない)
それが、ファの悲しい真実、だった。
END
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ファ、ごめんよ〜。
バランスってことで、ジュドーとカミーユの出てくる話を(笑)。
(2002.12.22)
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